優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

◆金木犀
晩秋に入りキンモクセイの香りが漂うようになりました。住宅地で庭のあるお宅にはキンモクセイが植えられているところが多く、その一帯が香りに包まれています。快晴でも、もはや暑いとは感じない気温になりました。
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◆寒露
10月8日は二十四節気の寒露でした。秋分のあと15日で、太陽の黄経が195度に達します。露が冷たく感じられるとの意味で、『改正月令博物筌』に「露凝んで霜とならんとするゆゑ、寒露と名づく」とあります。一か月後の11月7日は立冬です。

近所のサッシを扱っている工場の前を歩いていると、サッシのガラスに紙が貼られています。近づいてよく見ると「破産宣告」でした。ついこの間まで車が停まっていたのを記憶しているのに、破産とはと驚きました。
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◆爽やか
愛染古墳は加西市佐谷町字上天寺にあったものを現在地へ移築復元したものです。墳丘の上に、後に愛染明王の祠が祀られていたのが、名前の由来ではないかと考えられています。

直径18mの円墳で、古墳時代後期(7世紀後半ごろ)の築造で、無袖式横穴式石室の中に、組合せ式家形石棺が配置されています。
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◆秋の池
長倉池のある加西市は、隣接する小野市の鴨池(鴨池公園)とともにコハクチョウの越冬地の南限です。毎年秋に池干しが終わり再度貯水すると、付近の池で越冬していたコハクチョウが飛来し帰行までの集結地となります。
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◆初鴨
玉丘史跡公園に隣接する長倉池は2010年に農林水産省のため池100選に選ばれています。池の南西側にはなだらかな山があり、このあたりの典型的な風景です。近畿地方有数のミズトラノオの群落があります。

池周辺にはカスミサンショウウオ、ニホンアカガエルなどの貴重で多様な動植物が生息しています。やや離れていたので種類ははっきりわかりませんでしたが、鴨もすでに飛来しているようでした。
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◆秋
玉丘古墳の周濠の上に突き出した枝にチュウサギがとまっていました。白鷺といわれる鳥は大きく三種類に分けられ、身体の大きさでダイサギ、チュウサギ、コサギがいます。

ユーラシア、アフリカ、オーストラリアの温帯から熱帯に広く分布し、日本には夏鳥として飛来し、暖地では越冬する個体もいます。河川や湿地で単独か小規模なコロニーを形成して暮らします。

古墳の西側の散策路からは、発掘調査中と思われる人たちが濠で作業しているのが見えました。古墳の上にテントがあったのはその調査用のものだったのでしょう。
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◆秋うらら
玉丘古墳は『播磨国風土記』に登場する根日女伝説の舞台と言われています。皇位継承争いに巻き込まれて都を追われた兄弟の皇子が、名前を変え身分を隠して播磨の地に移り住みます。そして播磨国賀毛里を納めていた国造許麻の娘である根日女と出会います。

彼女は巫女であり神秘的な力も持っていたと言われています。ここで恋物語が始まりますが、その後は現代人の目から見ると不思議な展開になります。要するに「二人の皇子が互いに譲り合っているうちに年月が経ち、根日女は年老いて亡くなった」というのです。

兄弟の皇子は都に戻って順次天皇に即位するのですが、根日女が老いるなら同じように皇子たちだって老います。特に弟皇子は兄の後に即位するわけですから、さらに時間的整合性がありません。伝説とはそういうものなのかもしれないですが。
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◆澄む水
「ろまんす亭」を出た後、玉丘史跡公園に立ち寄りました。公園内には、5世紀前半造立の玉丘古墳をはじめ、移築復元された1基の愛染古墳をふくめて合計7基の古墳が残されています。

国指定史跡となっており、古墳をつなぐ散策路があり、遊具もあります。芝生広場では家族連れがシートを広げたりしていて、気軽に市民が楽しめる公園になっているという印象でした。

公園名の元となっている玉丘古墳は古墳時代中期の前方後円墳です。全長約109メートル、幅約54メートル(前方部)、約64メートル(後円部径)で墳丘が3段築成からなり、兵庫県下6番目の規模を誇ります。
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◆十月
「ろまんす亭」ではAセットを注文しました。口コミに「ヘレかつ」「ヒレかつ」とあります。ヘレとヒレはフランス語のfilet(フィレ)由来の言葉です。関東ではヒレ、関西ではヘレと呼ぶことが多いとか。

最初にサラダが出て、それから海老を中心にした磯部巻き、フィレとんかつが出てきました。切り干し大根の煮物、赤出汁、漬物などがついて1,980円。お肉は柔らかく美味しかったです。
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◆秋
加西市周辺の北条盆地や鶉野台地は古墳が多い所です。その理由として、第一に、有力な豪族の存在があげられます。五世紀前半頃からこの一帯にはヤマト政権と結びついた極めて強力な首長層がいました。

第二に、加西市一帯は古代から交通・経済の要衝の地であり、人や物資、情報が集まりやすい土地でした。そのため経済力・生産力があり、大規模な土木工事を伴う古墳の連続造営が可能でした。

昼食の予約をしていた「ろまんす亭」へ行きました。1937年創業の老舗のとんかつ店です。店のすぐ目の前に玉丘古墳群の一つである笹岡古墳があります。全長52mの帆立貝式古墳で、住宅地の中にぽんと存在する雰囲気がいいです。
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