優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

春の空
山頂にはベンチがあります。日曜日は暖かくて風もほとんどありませんでした。ベンチに寝転びそばのコナラごしに空を見上げました。山頂からは東側を流れる市川と姫路市街、さらに播磨灘へと流れ込んで行く河口付近の川の蛇行が眺められます。
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風光る
増位山の山頂からは播磨灘の中に浮かぶ男鹿島、家島が見えます。日差しが傾き始め、海面に反射して光っています。増位山は標高259.0mの低山ですが、山頂からの見晴らしは素晴らしく、空気が澄んでいれば四国まで見えることもあります。
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春の山道
榊原政邦夫妻の墓所に出る手前にも獣除けの柵が設けられていました。墓所の前を通って尾根の自然歩道へと出ます。山頂に向かう分かれ道のところに古墳があります。古墳展望台という名前がついていますが、周囲の木々が育って展望は全くききません。

横穴式石室で長さ3m、幅1.5m、高さ1.5mです。墳丘は完全に失われ玄室が露出しています。ここに葬られた人の情報は全くわかりませんが、麓の市川中流域を支配した有力者だったはずです。亡くなってもそれらの土地を見渡せるようここに葬ったのでしょう。
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梅林
切り倒された木々の向こうに播磨灘が見えました。この区画のさらに上に姫路藩主・榊原政邦夫妻の墓所があります。政邦が亡くなったのは享保11年(1726)です。

墓所が作られたころ、周囲の木々の背は低く播磨灘を見渡すことができたのではないでしょうか。梅林を再生するためには、さらに南側の斜面の木々を伐採して、再び海が見渡せる梅林にすることが必要ではと思いました。
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春の空
切株に座ってしばらく梅林を眺めていました。高木でもヤマザクラやイロハモミジは残されています。春に美しく咲いたり、秋に紅葉を楽しませてくれる木々が喜ばれるわけで、花も目立たず紅葉もしない樹木は、まず伐採対象になってしまうのでしょう。
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梅林
この一画に入ってきたとき、妙に広々としていると感じたのは枯れて切り倒された梅の木が多かっただけではありませんでした。南側に生えていたアベマキ、カゴノキなどが数本切り倒されていたのです。

よくこのアベマキを見上げていただけに、ちょっと寂しくなりました。しかし、梅林を復活させるには必要な処置なのだと思います。周りの木々が高くなり梅林に十分日差しが届かなくなったのも梅の木が枯れた原因でしょう。
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紅梅
八重の紅梅が上の区画でも三分咲きくらいでした。ここの一画には早咲きの紅梅が多いのです。しかし、梅の木の多くが枯れているのに気が付きました。以前よく来ていたころも枯れ始めている木はありましたが、ここまでひどくはありませんでした。
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早春
増位山梅林は山の斜面に作られており、大きく四つの区画に分かれています。階段を登って行くと、金網で取り巻かれ鎖を外して次の区画に入る恰好になっていました。獣害を避けるためです。階段の上にはイロハモミジやヤマザクラの高木があります。
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紅梅
梅林の紅梅はちらほらと開き始めているところです。歩いて行くと地面近くをばたばたと飛んでいく野鳥がいました。黄褐色に黒褐色の縞模様、トラツグミです。ツグミ類では最大の種で日本では全国で見られる留鳥です。地上付近で行動し小動物を捕食します。
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藪椿
梅林の周囲にはヤブツバキがあちこちで咲いています。日本の照葉林はヤブツバキ群網と呼ばれます。地球規模での照葉林は中国南部から東南アジア、さらにヒマラヤへと続き、日本の照葉林は最も北にあたります。

冬になると葉を落とす落葉広葉樹の森と違い、照葉樹の森は冬でも鬱蒼としています。大昔、日本の西南半分の国土はこれらの照葉樹に覆われていました。それらを切り開き、一部の山は身近な雑木林として生活に必要な薪や炭を得ていたのです。
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