優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(226)…□◆□

  天高くメープルシロップ香りけり   優嵐

「天高し」は「秋高し」ともいい、「秋高くして塞馬肥ゆ」(杜審言)
からとった言葉です。塞馬はとりでの馬の意味で、中国北方の匈奴侵入
に備える心意気を詠ったものですが、そこから転じて秋空の高く
澄みきったさまを表しています。「天高く馬肥ゆる秋」という表現の
もともここにあります。

カナダのトロントから戻った友人にメープルシロップをもらいました。
カナダ土産の定番です。サトウカエデの樹液を煮詰めた褐色のシロップ
で、はちみつのような風味があり、パンケーキなどにかけて食べます。
サトウカエデは寒冷な土地に育ち、カナダ東部や五大湖地方が産地と
してよく知られています。カナダでは葉が国旗の図案にもなっています。

□◆□…優嵐歳時記(225)…□◆□

  新しきいのち誕生秋晴るる   優嵐

福岡に住む友人に初めての赤ちゃんが生まれました。元気そうな
写真をインターネットで見ることができ、ほっとしました。
新しく生まれたいのち、これからいろいろなことがあるでしょうが、
どうぞすこやかにと願います。

秋の快晴の日は、空気が澄みわたり、遠くまで見渡すことができ
ます。季語には「秋晴れ」と「冬晴れ」がありますが、「春晴れ」
「夏晴れ」はありません。空気中の湿気が少なくなり、澄み渡った
晴天は秋と冬にふさわしいのです。

□◆□…優嵐歳時記(224)…□◆□

  村ごとに祭の幟秋天へ   優嵐

秋祭りのシーズンです。姫路では、特に南部の浜手でお祭りが
さかんです。例年10月14,15日におこなわれる姫路市白浜町の
「灘のけんか祭り」は特に規模が大きく、このあたりの人たちは
盆正月には帰ってこなくても祭りには故郷にもどって祭りを楽しむ
といわれています。

ただし、「楽しむ」といっても、「けんか祭り」の名称がある
ように、重さ300kg以上ある神輿を練り場で激しくぶつけあうと
いう荒っぽいもので、毎年けが人が絶えません。それでも、
ここに生まれ育った人たちにとっては、血が滾るかけがえのない
伝統行事なのです。

ここまで熱狂的ではありませんが、私の住むあたりにも街の辻に
は各神社のお祭りの幟が立ち並びはじめました。夜な夜な太鼓の
練習をする音も聞こえてきます。

□◆□…優嵐歳時記(223)…□◆□

  秋冷のかりっとアーモンドチョコレート   優嵐

「秋冷(しゅうれい)」とは、秋になってなんとなく肌に冷気を
感じることをいいます。「秋涼(しゅうりょう)」が初秋のころ
とすれば、こちらは仲秋から晩秋にかけての感覚といえるでしょうか。
秋の深まりを感じる季語です。

さわやかな冷気の中で、ここちよい歯ざわりのアーモンドチョコ
レートを噛みます。この食感にも秋が宿っています。この句は
通常の17音、五・七・五のオーソドックスな句とは少し違い
ます。字余りで、句の調べも破調です。基本的には17音で詠み
ますが、時に応じてこうした句が浮かんでくることもあります。

□◆□…優嵐歳時記(222)…□◆□

    いわし雲重機静かに横たわる   優嵐

いわし雲は小さい雲片がさざなみのように規則的に連なって
並んでいるものです。いわしが並んでいるように見えるので
いわし雲といいます。この雲が出ると、雨が近く、昨日の空に
この雲が出ていた姫路では、今朝には雨が降りだしていました。

鯖の斑紋のように見えることから、鯖雲ともいい、おりから
秋鯖の漁期にもあたります。また、いわしがよくとれるともいい
ます。もともと漁師の言葉から出たものでしょう。入道雲が
夏の空の主役なら、秋の空の主役はいわし雲といえそうです。

□◆□…優嵐歳時記(221)…□◆□

    竹やぶを透かし秋陽の落ちにけり   優嵐

俳句を詠む人にはいろいろなタイプの方があると思います。
私は、戸外へ出ないと詠めないタイプです。ほんのいっとき、
裏庭に出るくらいでもいいのですが、外へ出ないと詠めません。
ですから、私の句はほとんどアウトドアを詠んだものになって
います。たまに室内や人物を詠むこともありますが、めったに
ありません。

俳句は季節の移り変わりを詠む詩ですから、それも当然のこと
だろうと思っています。戸外を少し歩いてみるだけで、風、光、
日ざしの傾き、花、鳥、雲、すべてのものが季節の動きを
しらせてくれます。そこからぽんと何かが私の中にはいって
きたとき、それが句になります。

□◆□…優嵐歳時記(220)…□◆□

    ひつじ田の広がりひとつ刈り残る   優嵐

昨日は名古屋経由で岐阜まで行ってきました。新幹線の車窓から
ながめていると、場所によってすっかり稲刈りが終わっているか
と思えば、まだ青さの残る稲田が広がっているところもあります。

稲を刈り終わったあとの切り株から再び青い芽が出てくるのを
「ひつじ」といい、その「ひつじ」が一面に生じている様子を
「ひつじ田」といいます。すでに周囲の稲刈りがすみ、ひつじ田
になっている中で、まだ刈り取られないまま黄色く色づいている
田も見かけました。なにやらものさびしさを感じさせる情景です。

□◆□…優嵐歳時記(219)…□◆□

    さわやかに遠き太鼓の音響く 優嵐

「さわやか」は主観的な形容語ですが、秋の季語になっています。
こうした言葉には春の「うららか」「のどか」、秋の「さわやか」
「身に入む(しむ)」「冷じ(すさまじ)」などがあります。
「さわやか」とは気分がさっぱりとして、快いこと、はればれと
した気持ちをさします。

『源氏物語』や『枕草子』にも用例があり、これらの意味が秋の
大気の特徴にふさわしいことから、秋の季語となっていきました。
「爽涼」「爽気」「秋爽」など関連した熟語もすべて秋の季語です。
ぐずついたお天気があがり、昨日のようにすかっと晴れた大気の
中に出ると、まさに「さわやか」です。

□◆□…優嵐歳時記(218)…□◆□

    東西の山に向かいて秋気澄む 優嵐

今朝は雲ひとつない秋晴れでした。いつのまにかすっかり空が
高くなりました。台風が去り、少し空気も冷たくなり、服装も
しだいに秋らしいものへと移り変わっています。「秋気澄む」
とは、秋の澄んだ大気のことをさします。

本格的な秋になると、大陸から移動性高気圧がやってきて、
清浄な空気が日本列島をおおうようになります。秋の澄んだ
空気の中では、遠くの山も含めてすべてのものがはっきり見え、
物音も澄んでよく聞こえてくるようになります。「秋声」
「爽やか」「天高し」などの季語もこの清澄な秋の空気から
生まれてきた季語です。

□◆□…優嵐歳時記(217)…□◆□

    まぶしさや雲美しき九月尽   優嵐

今朝は久しぶりに青空をみました。今は夜空に17番目の月が
でています。台風が洗い流していったような空に、朝はまだ
なごりの雲が残っていました。その雲のかたちがやや強めの
風の中で刻々と変わっていくのがきれいでした。

「九月尽」は文字どおり、9月が終わるという意味です。もと
もとは旧暦の9月末日をさしていましたから、新暦なら11月
初めごろにあたります。しかし、最近ではほとんどの場合、
新暦で詠まれることが多いようです。明日から10月、今年も
ラストクォーターにはいります。


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