優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(94)…□◆□

   白シャツの襟にアイロン海芋咲く   優嵐

「海芋(かいう)」別名カラー、オランダカイウともいいます。
アフリカ喜望峰の原産で、日本には天保14年(1843年)オランダ船
によってもたらされました。5月から6月ごろ、大きな純白の
仏炎苞に包まれた棒状の両性花をつけます。仏像の光背のような
見事な苞を仏炎苞といい、ミズバショウを始め、サトイモ科には
美しい仏炎苞を持つものが多くあります。サトイモに似た根茎を
持ち、水を好むことから海芋と名づけられたようです。

園芸用や切花用として広く栽培され、緑色の花と真っ白な苞との
対比が鮮やかで、一度見たら忘れられない花です。なにかその姿
を見ると、白いシャツの襟をたてて風に吹かれている美しい女性
を思い浮かべてしまいます。

□◆□…優嵐歳時記(93)…□◆□

   待ちかねて雨上がりへと鯉のぼり   優嵐

この二週間は雨続きの姫路でしたが、昨日からようやく晴れ間が戻り、
さっそく鯉のぼりが泳いでいます。鯉のぼりは江戸時代に始まった
風習で、出世魚と呼ばれる鯉をかたどって高くかかげ、男子出生を
祝うものです。

姫路周辺では鯉のぼりしかかかげませんが、地域によってはその横に
幟を立てるところもあるようです。九州では生まれた男の子の名前に
定紋を入れ、武者絵を色鮮やかに描いた幟を見ました。確か、四国や
信州でも幟を立てていたと思います。

都会ではこのような大きな鯉のぼりは見られなくなりましたが、
田舎では、水の入った田を背景に、風をはらんで若葉の上を泳ぐ
鯉のぼりの姿は、まだまだおなじみの風景です。

□◆□…優嵐歳時記(92)…□◆□

   植えられし田に漣の立ちにけり   優嵐

コシヒカリなど早稲の田はすでに田植えが終わっています。姫路
周辺では早稲の田は比較的少ないので、田植えの本格的なシーズン
は六月に入ってからになります。「植田」とは、田植えが終わった
ばかりの田のことです。田水がいっぱいに張られ、そこに周囲の
景色が映ります。

日が長くなり、いつまでも明るさを残す空の色が張られた田の水に
映る景色は、私の大好きなもののひとつです。まるで周囲が一時的に
すべて湖にでもなったような気持ちになります。植えられたばかりで、
なんともたよりなげにひよひよと水の上に顔を出している苗の風情も
いいものです。

□◆□…優嵐歳時記(91)…□◆□

   雨上がる小満の陽の地に満ちて   優嵐

二日半降り続いた雨があがり、久しぶりに青空が広がった姫路
でした。今日は二十四節気のひとつ「小満」です。立夏の15日
後にあたり、太陽の黄系が60度に達します。小満とは、「陽気
盛んにして万物長じ、草木が茂って天地に満ち始める」という意味
です。久しぶりにのぞいた日差しは明るく、雨に洗われた緑は生き
生きと濃さを増しています。

早稲の田では、すでに田植えが終わる一方、麦畑では、麦が濃く
熟れてきています。暑くもなく寒くもなく、風は心地よく夕暮れの
時間はいっそう遅くなって、一年中でも最も過ごしやすいころです。

□◆□…優嵐歳時記(90)…□◆□


      今日の季語【薔薇】


   客船の姿に薔薇の重なりぬ   優嵐


長崎ではグラバー園を訪ねました。グラバー園は長崎港を望む高台に
あり、国指定重要文化財のグラバー邸を始め、オルト邸、リンガー邸
などの洋館に泉や庭園が配され、開国のころの異国情緒を伝えて
います。特にグラバー邸からの長崎港の景観は素晴らしく、この日も
入港しているダイヤモンド・プリンセス、港の入口に建設中の女神大橋
などを一望することができました。園内は薔薇が見ごろで、オルト邸
では薔薇の香りの演出もされていました。

薔薇はバラ科バラ属の総称です。特にバラの主流をなす四季咲き大輪種
はその姿、香りともに鑑賞花の王座に君臨しています。次々に新種の
改良がおこなわれ、名の有る名花だけでも2万種近くはあります。
晩春から咲き始め、初夏が盛りです。

□◆□…優嵐歳時記(89)…□◆□

   具雑煮を食べる島原薄暑かな   優嵐

具雑煮とは、長崎県島原地方の郷土料理です。島原の乱のとき、一揆
軍の総大将であった天草四郎は信徒たちに餅を兵糧として貯えさせ、
そこへ海産物、野菜などのいろいろな材料を入れて雑煮を炊き、栄養
をとりながら戦った、との言い伝えがあります。島原で有名な「姫松屋」
の具雑煮を食べました。野菜、鶏肉など入り、出汁がよくきいて、
ボリュームたっぷりですが、味は意外にあっさりしています。

「薄暑」は初夏の、少し暑さを感じるくらいになった気候のことを言い
ます。一年中で最も過ごしやすいころです。いいお天気であれば、日中
は汗ばむほどになります。上着も脱いで、服装は軽快になり、気持ちも
軽く、木陰や涼風への思いが動く時期でもあります。

□◆□…優嵐歳時記(88)…□◆□

   青き海静かにありて新樹光   優嵐

夏を迎え、瑞々しい緑の葉をつけた木々のことを「新樹」といいます。
その明るさ、新鮮な輝き、透明感のある美しさにうれしくなってきます。
新しい命の息吹を感じられるからです。「新樹」に映る明るい光を
特に「新樹光」と詠みます。あのいきいきとした緑に心楽しくなった
俳人が、きっと多かったのでしょう。

ここで詠んでいる海は開聞岳の周りを囲む東シナ海です。開聞岳を
一周する道路を走ってきました。麓自然公園の入口横のコンクリート
製トンネルを抜けていけば、その先に島影の無い水平線が広がって
います。

□◆□…優嵐歳時記(87)…□◆□

   若葉に今包まれ我は峠越ゆ   優嵐

オートバイの魅力は、空間に向かって自分の肉体が開かれていること
でしょう。そこが自動車との一番の違いです。ですから、旅する空間
に自分の全身を浸すことができます。潮風も山の空気も、感じる密度
が自動車とは段違いなのです。

九州は想像以上に山深く、峠への道で右も左も、それどころか、最後
には頭上も新緑におおわれて、若葉のトンネルを走るような場所も
ありました。木の種類によって、若葉の色は微妙に異なります。
「柿若葉」「椎若葉」「樫若葉」など、それぞれの木の名前をつけて
その美しさを詠む場合もあります。この句では形、色、濃淡さまざまな
周囲にあふれる若葉すべて、全身を緑に染めるような瑞々しい空気に
包まれる自分自身を詠んでいます。

□◆□…優嵐歳時記(86)…□◆□

   憧れは天指すこころ夏きざす   優嵐

島原や天草というと、やはり隠れキリシタンの歴史は避けて通れま
せん。厳しい弾圧と迫害に耐えて信仰を守り続けた彼らは、江戸末期、
大浦天主堂(当時はフランス寺と呼ばれたとか)へ、フランス人の
プチジャン神父を訪ね、キリスト教信者として名乗りをあげます。
270年近くの空白期間の後の「信徒発見」はキリスト教史上でも初めて
のことでした。

今回、天草では崎津天主堂と大江天主堂、長崎で大浦天主堂と浦上
天主堂を訪ねました。それぞれの建物にさまざまな歴史があります。
外観はもちろん、中に入ると天井が高く、アーチ状になっていて、
視線が天上に向かって引き上げられるのを感じます。外は少し汗ばむ
ほどの陽気でも、聖堂の中は静かでひんやりとした空気に満ちて
いました。

□◆□…優嵐歳時記(85)…□◆□

   パノラマに雲仙迫る夏始め   優嵐

雲仙普賢岳の噴火がおさまってから、今回で二度目の島原行きでした。
前回は自転車でしたので、下から仰ぐだけでしたが、今回はオート
バイで国道57号の途中から仁田峠循環道路に入り、普賢岳山頂直下
まで行くことができました。この道路は観光用の有料道路で反時計
回りの一方通行です。目の前に雲仙普賢岳、平成新山が迫る一方、
目を下界に転じれば、島原半島、島原湾、天草、宇土半島を一望の
下に見渡すことができます。

夏の始まり、下界は新緑の季節ですが、噴火の余韻を残す普賢岳は、
まだ緑に覆われるにはいたっていません。山頂近くのロープウェイ駅
近くではミヤマキリシマの群落がようやく花をつけ始めていました。
ゴールデンウイークが終われば、見ごろを迎えるのでしょう。

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