優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

春雪
ここ二三日気温が下がっています。立春を過ぎても彼岸までは何度か寒さがぶり返します。雪もちらつきました。交差点で止まっていると、競走馬を運ぶ車が通り過ぎていきました。姫路競馬場へ向かうのだと思います。
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冴返る
おからパウダーでもう一度パンケーキを作ってみました。前回は電動ハンドミキサーを初めて使ったため、今一つうまく泡立てることができなかったようです。今回は前回の数倍の時間をかけてしっかり泡立て、メレンゲの角が立つまでがんばりました。

ふわふわのメレンゲができ、これでうまくいくぞと思いつつ焼きました。ところが、一度に全部フライパンで焼こうとして、これはさすがに入れすぎだったようです。なんとか焼けましたが、次回からは半分ずつに分けて焼こうと思いました。
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春の池
山頂から自然歩道を戻り梅林を抜けて随願寺境内の放生池まで戻ってきました。池のほとりを歩いていると、池のあちこちで赤いものがちらちらと動いています。最初は水草かと思いましたが、近寄ってみると小さな緋鯉の群れでした。

三、四か所で塊になっており、こちらの動きを感知すると池の表面から下へ沈もうとします。初夏になるとこの池ではモリアオガエルが産卵します。そのときもオタマジャクシが池の水際に溢れます。

池にはアオサギなどの野鳥が飛んできます。これらの池の生き物を狩っているのでしょう。以前大きな緋鯉を嘴で串刺しにして飛び去って行くアオサギを見たことがあります。小さな池ながら、ここでも生命連鎖の一部が形作られているのです。
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春の空
山頂にはベンチがあります。日曜日は暖かくて風もほとんどありませんでした。ベンチに寝転びそばのコナラごしに空を見上げました。山頂からは東側を流れる市川と姫路市街、さらに播磨灘へと流れ込んで行く河口付近の川の蛇行が眺められます。
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風光る
増位山の山頂からは播磨灘の中に浮かぶ男鹿島、家島が見えます。日差しが傾き始め、海面に反射して光っています。増位山は標高259.0mの低山ですが、山頂からの見晴らしは素晴らしく、空気が澄んでいれば四国まで見えることもあります。
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春の山道
榊原政邦夫妻の墓所に出る手前にも獣除けの柵が設けられていました。墓所の前を通って尾根の自然歩道へと出ます。山頂に向かう分かれ道のところに古墳があります。古墳展望台という名前がついていますが、周囲の木々が育って展望は全くききません。

横穴式石室で長さ3m、幅1.5m、高さ1.5mです。墳丘は完全に失われ玄室が露出しています。ここに葬られた人の情報は全くわかりませんが、麓の市川中流域を支配した有力者だったはずです。亡くなってもそれらの土地を見渡せるようここに葬ったのでしょう。
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梅林
切り倒された木々の向こうに播磨灘が見えました。この区画のさらに上に姫路藩主・榊原政邦夫妻の墓所があります。政邦が亡くなったのは享保11年(1726)です。

墓所が作られたころ、周囲の木々の背は低く播磨灘を見渡すことができたのではないでしょうか。梅林を再生するためには、さらに南側の斜面の木々を伐採して、再び海が見渡せる梅林にすることが必要ではと思いました。
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春の空
切株に座ってしばらく梅林を眺めていました。高木でもヤマザクラやイロハモミジは残されています。春に美しく咲いたり、秋に紅葉を楽しませてくれる木々が喜ばれるわけで、花も目立たず紅葉もしない樹木は、まず伐採対象になってしまうのでしょう。
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梅林
この一画に入ってきたとき、妙に広々としていると感じたのは枯れて切り倒された梅の木が多かっただけではありませんでした。南側に生えていたアベマキ、カゴノキなどが数本切り倒されていたのです。

よくこのアベマキを見上げていただけに、ちょっと寂しくなりました。しかし、梅林を復活させるには必要な処置なのだと思います。周りの木々が高くなり梅林に十分日差しが届かなくなったのも梅の木が枯れた原因でしょう。
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