優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(138)…□◆□

    夕立が残していきし宵の星   優嵐

今日、夕立がありました。いいお天気が続き、すっかり梅雨明け
ムードの姫路です。日中は大変な暑さで、夏の陽が中天に輝いて
います。とはいえ、こちらはほとんど冷房の効いた室内での仕事。
炎天下で仕事をしている職人さんなどを見ると、本当に大変だろう
と思います。

「夕立」という言葉が使われ始めた歴史は古く、『万葉集』にすでに
「暮立(ゆうだち)」の用例があります。夕立は発達した積乱雲に
よって起こり、夕立が去った後は、はっきり気温が下がって、さっぱり
としたすがしがしさに包まれます。

□◆□…優嵐歳時記(137)…□◆□

    幾筋も風行く道や青田面   優嵐

「青田面」と書いて「あおたのも」と読みます。苗がのびて、青々
と苗が連なるさまを言います。風が吹いてくると、それに従って
稲が揺れます。これを「青田波」とも言います。これから穂が出る
前まであたりの稲が「青田」にふさわしいでしょう。

姫路はここ一週間晴天が続いています。もう梅雨明けかと思わせる
ようなお天気です。蒸し暑さも日差しの強さももう真夏です。そんな
中で青田の上を渡っていく雲や風を見るのは気持ちがいいものです

□◆□…優嵐歳時記(136)…□◆□

    少年の日をそのままに兜虫   優嵐

久しぶりに生きたカブトムシを手に乗せました。近所の方が夜、クヌギに
焼酎漬のバナナを仕掛けてつかまえられたものでした。小ぶりながらも
しっかり角もあり、漆黒の艶はカブトムシそのものでした。子どもは
別として、カブトムシとりに目を輝かせるのは圧倒的に男性でしょう。

夏休みの昆虫採集の記憶に今でも胸ときめくという人は多いのでは
ないでしょうか。「子どもをダシにしていそいそとカブトムシとりに
行くのよー」なんて職場の同僚が苦笑していました。カブトムシ、
少年の夢の象徴なのかもしれません。

□◆□…優嵐歳時記(135)…□◆□

    歌声が流れる窓のアマリリス    優嵐

アマリリスといえば小学校で習った「アマリリスの歌」を思い出します。
♪調べはアマリリス〜、というその部分しか覚えていないのですが(笑)
アマリリスはヒガンバナ科、幅広で、観葉植物を思わせる濃い緑色の葉
を持ち、ユリに似た大きな花を咲かせます。花弁はあまり開かず、
「これからかな」と思っているうちに枯れてしまいます。

アマリリスの原種はブラジルとペルーを中心とした南米に分布し、それら
を交雑させて作られた園芸品種を総称してこう呼んでいます。日本へは
天保年間(1830〜44)に、ギアナからペルーに分布する原種が、初めて
入ってきました。イギリスで18世紀末に初めて交雑種が作られ、20
世紀前半にオランダで、現在の園芸種の基礎が作られました。交配による
品種が多く、色は赤、白、紅白の絞りなど多彩です。

□◆□…優嵐歳時記(134)…□◆□

    事一つ終わりて吹かる南風    優嵐

私が師範代をさせていただいているISIS編集学校の8期の「破」の
過程が昨日で修了しました。一昨日、昨日、今日とメールで送られて
きた回答へのお返事でなかなか忙しい日を過ごしました。何かひとつ
ものごとが終わるというのは、すがすがしいものです。ひとつを終え、
ひとつを手放すから、またひとつ先へ進み新しいものと出会えると
いう気がします。

今日はかなり風がありました。南風は夏の季節風です。四月ごろから
八月末ころまで吹く暖かい風です。南風と書いて「みなみ」とだけ
読ませる場合もあります。船乗りなど海を生活の場としている人には
その土地独自の南風の呼び方があり、「はえ」「まじ」「くだり」など、
場所によって微妙に呼び方が異なります。

□◆□…優嵐歳時記(133)…□◆□

    七月の風麗しき昼下がり    優嵐

今日はいいお天気でしたが、一日中家の中でパソコンの画面と
向かい合っていました。私の部屋はアパートの5階にあり、目の
前を市川が流れています。昼間は窓を開けていると、南向きの窓
から気持ちよく風が入ってきます。エアコンを買わないのかと
尋ねられますが、やはりエアコンではこの自然の風の心地よさ
にはかないません。

七月、いよいよ「盛夏」です。初旬は梅雨の最中ですが、晴れ
れば日差しは強烈です。まして梅雨があければ炎暑がやってきます。
誰もが顔をあわせると「暑いですねぇ」というのがこの時期の
挨拶になります。確かにげっそりするような暑さが続きますが、
私自身は夏はしっかり暑い方が好きです。入道雲が空高くそびえる
夏、夏はこれでなくちゃ、と思いますね。

□◆□…優嵐歳時記(132)…□◆□

    梅雨の夜の風心地よく吹きにけり    優嵐

七月に入り、梅雨も後半です。今週は週明けからいいお天気が続き、
梅雨の中休みという感じの姫路です。それでも徐々に蒸し暑さは
本格化してきました。これがやはり日本の夏です。初めて夏に欧州
へ行ったとき、日差しは強いのに日陰に入るととても涼しいことに
驚きました。湿気が少ないからなのですね。

この肌にまとわりつくような暑さはやはり日本独特のものです。
ヨーロッパの夏を体験すると、はるかに緯度が高く、夏ですら肌寒い
日があるこの地で発達したビジネススーツを、蒸し暑い日本の夏に
着ようというのは根本的に間違っていると実感します。

□◆□…優嵐歳時記(131)…□◆□

    陽の色の地上に集い凌霄花    優嵐

梅雨も半ばを過ぎ、徐々に蒸し暑さがつのるころになるとノウゼン
カズラのオレンジ色の花をあちこちで見かけるようになります。
庭木やフェンスにからめて育てる蔓性の落葉木本で、夏の暑さが
盛りを迎えるころ満開になります。まさに炎天が似合う花です。

中国原産で日本には平安時代初めの9世紀には入っており、『本草
和名』(918年)にはすでに「乃宇世宇(のうせう)」の名で記載が
あります。

出勤途上に酒造メーカーのビルがあるのですが、そこの壁いっぱい
にノウゼンカズラが茂っています。これからの季節、ラッパ形の花
が咲き、遠くから見ても大変よく目立ちます。

□◆□…優嵐歳時記(130)…□◆□

    万緑や時いずこより流れ来る    優嵐

「万緑」は濃淡様々であった緑が、すっかり濃い緑になり、強い夏の
日差しの下で輝いて見えるさまをいいます。6月も今日で終わり、
2004年がこれで半分過ぎ去ったことになります。年々一年が過ぎて
いく速さに加速度がついていく気がしてなりません。子どものころは
あれほど時間がたっぷりあるように思っていたのに、今では走り去る
時間を必死で追いかけている始末です。

時間は相対的なものだと誰かが言っていました。7歳の子にとっての
1年は人生の7分の1だが、70歳の人にとっての1年は70分の1に
すぎない、と。流れ去るのは時間だとばかり思っていましたが、今
では流れ去っているのは我が身の方だということが、実感されるように
なりました。


□◆□…優嵐歳時記(129)…□◆□

    短夜や昔の歌が口をつく    優嵐

「短夜(みじかよ)」は「明易し」とほぼ同じ意味の季語です。句の
調子や語感で、用いる言葉を変えていきます。先日、目が覚めた
とたん、ずっと以前、子どものころに聞いたテレビの挿入歌が口を
ついて出てきました。そんなに大流行したわけでもなく、この歌の
存在さえ忘れていたのにワンフレーズ歌えてしまいました。

人間の記憶の仕組みがどうなっているのか詳しくは知りませんが、
恐らく一度経験したことは人間もコンピュータのように脳のどこかに
すべてしっかり格納しているのではないでしょうか。忘れたと思う
のは、それを再生するすべがわからないというだけなのでしょう。

この朝、私はこの歌が出てくる夢を見ていたのではないかと思います。
夢というのも随分不思議な働きをするものですが、なんだかよくわから
ないだけに面白いですね。あの朝からいまだにその歌が自分の頭の中
でずっと鳴っています。

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