優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(38)…□◆□

    人生を惰性に流し春炬燵 優嵐

春の炬燵というのは微妙なものです。私が使っている暖房器具は炬燵
だけということもあるのかもしれませんが。冬の間や春もまだ浅い
ころは、炬燵は生活必需品です。部屋に戻って真っ先に電気炬燵の
スイッチを入れ、そこにもぐりこんで暖かい飲み物を飲むときなど、
本当にほっとします。

しかし、春も深まって、桜のころともなれば、時に異様に暖かい日が
あって炬燵の存在がうっとおしく感じられるようにもなります。ところが、
またある日には寒さがぶり返したりするものですから、炬燵を片付けて
しまうわけにもいきません。そんなこんなでだらだらと桜が散り果てて
しまうころまでは炬燵が部屋に居座ることになります。

□◆□…優嵐歳時記(37)…□◆□

    内示出て悲喜こもごもの彼岸かな 優嵐

春分の日、秋分の日を中日として、その前後三日間ずつを「彼岸」と
言います。彼岸は梵語の波羅(para)の漢訳で、生死流転に迷うこの
世界(此岸)に対して、煩悩の流れを越えて到達した悟りの世界を指
しています。俳句では、春の彼岸は単に「彼岸」と呼び、秋の彼岸は
「秋彼岸」「後の彼岸」と言います。

今日、私の職場では4月1日づけの人事異動の内示がありました。私
も3年いた現在の部署を移動することになりました。私の職場は引越
しを伴うようなおおごとの人事異動はありません。それでも、人々の
思惑が交錯し、喜ぶ人、怒る人、嘆く人とさまざまです。宮仕えをす
る以上誰もが避けて通れないことなのですが。

□◆□…優嵐歳時記(36)…□◆□

    春の夜のテニスコートを縦横に 優嵐

福岡で桜が咲き始めたそうです。姫路城の開花予想は3月22日。今年
は2月がとても暖かかったので桜の目覚めが早いのだとか。今夜は
ナイターでテニスをしてきました。つい先週まで手袋、スタジアム
ジャンパーといういでたちで、プレーしていたのに、今日は、少し
動くと汗ばんで、上は半袖のポロシャツだけになりました。

今日の季語は「春の夜」です。「春」という言葉の語源は「木の芽は
る」の「はる」だという説があり、春という言葉そのものに生命の躍
動が感じられます。テニスコートのまわりの広葉樹も芽吹きの時期を
迎えています。ラケットを抱えて戻りながら、夜気の中にその気配を
感じました。今日は旧暦の如月27日、月の出は遅く、闇の中に暖かな
生命の息吹です。

□◆□…優嵐歳時記(35)…□◆□

    残雪の嶺は夕陽を浴びており 優嵐

昨日、オートバイで鳥取まで行ってきました。最初は千種町から林道
を走ろうかと思ったのですが、雪のために三月いっぱいは閉鎖されて
いました。そこで、波賀町に入り、国道29号へ。姫路と鳥取を結ぶ国
道ですが、このあたりまでくると、車の通行もほとんどありません。
信号も無く気持ちよく走ることができました。鳥取県境の戸倉峠にも
雪が残っていましたが、こちらは国道、きちんと除雪してあります。

ブナ林の間を走り峠のトンネルを抜ければ鳥取県です。今日は何の計
画もなく、午後からバイクを走らせてきたので、鳥取市までは行かず、
きた道を引き返しました。夕陽を背に東に向かって走ります。目の前
に雪を被った氷ノ山(1,510m)の姿が見えます。夕陽を浴びてほんのり
桜色。この季節ならではの情景です。道路標示には姫路100kmとの表示。
それでも完全に夜になりきってしまう前に家に帰りつくことができま
した。

□◆□…優嵐歳時記(34)…□◆□

    春場所の力士の肌の紅潮す 優嵐

今日、大阪府立体育会館へ春場所の初日を見に行ってきました。
大相撲は現在おこなわれている六場所すべてが季語になります。
本場所の取り組みを見るのはこれが二度目です。館内には力士の
鬢付け油の香がほのかに漂っています。また行司、呼び出しを
はじめ、関係者が独特の衣装に身を包んで、きびきびと働いている
姿を見るのも楽しいものです。

三段目の途中あたりから会場に入りました。まだ館内はがらがらです。
その前で塩もまかずに簡単な仕切りだけをして、次々と取り組みが
おこなわれていきます。十両に入ると、とたんに土俵は華やかになり、
関取たちは色とりどりのまわしに大銀杏で登場です。

生で見る力士の身体の艶に驚きました。特に調子のいい力士の肌は
輝くようです。結びの一番は朝青龍でしたが、彼の肌の艶、身体の
しなやかさは群を抜いていました。強いわけですね。

□◆□…優嵐歳時記(33)…□◆□

    卒業す柱の傷を追い越して  優嵐

日本では、小学校から大学まで卒業式は2月下旬から3月下旬まで
の一ヶ月間に集中します。慣れ親しんだ友人や先生と別れ、学校の
建物を後にする感慨には特別のものがあります。

今日は、中学の卒業式でした。中学の3年間というと、幼児期を除
けば人が最も激しく変貌する3年間ではないでしょうか。子どもと
して入学し、青年として卒業していきます。第二次性徴が現れ、精
神的にも大きく飛躍します。昔なら、とうに元服し大人の仲間入り
です。

ドイツ語では「あなた」を表す言葉が二種類あります。ごく親しい
人や子どもに対して用いられる"Du (ドゥ)"と、敬称として用いら
れる"Sie (ズィー)"です。教師が生徒を前にしたとき、15歳あたり
を境によびかける言葉が"Du"から"Sie"に変わるそうです。生徒とい
えども一人前の大人とみなして話す、ということなのでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(32)…□◆□

    暖かき雨が降りける街路樹に   優嵐

季語としてふさわしく感じられてくるのは、これからの時期でしょ
う。関西では、東大寺のお水取りが終われば暖かくなると言われて
います。何をもって暖かいと感じるかはそれぞれの皮膚感覚による
でしょうが、気温が15度を越えると、暖かく感じられるのではない
でしょうか。

今日の姫路はお昼ごろにお天気が崩れ、少し雨が降りました。雨は
しかし、冬の冷たいものではなく、少しくらい濡れても気になりま
せん。『月形半平太』で、芸者梅松に「月さま、雨が…」と問われ、
半平太が答える「春雨じゃ、濡れてまいろう」は、まさに実感のこ
もった台詞なのです。これからは一雨ごとに暖かくなっていくこと
でしょう。

□◆□…優嵐歳時記(31)…□◆□

    たゆたうは春の夕べの心地かな   優嵐

春らしい陽気が戻り、今日は気温があがりました。寒さが緩むと、
やはり気持ちもどこかゆったり、のんびりした感じになります。
今日の季語は「春の夕べ」です。「春夕(しゅんせき)」「春夕べ」
などとも言います。

清少納言は「秋は夕ぐれ」といいましたが、これを受けて後鳥羽院
は「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕は秋と何思ひけむ」と詠んで、
春の夕べをたたえました。私も後鳥羽院派です。つるべ落としに日
が落ちて、あっと言う間に暗くなってしまう秋の夕べよりも、日没
後も長く明るさが続く春の夕べは、気分をのびやかにしてくれます。

仕事を終えてMTBで職場を出ると、ちょうど山の端に夕陽がかかろう
としていました。春の寒さもやわらぎ、風もない、こんな夕暮れ時
はペダルを踏むスピードも少し緩んで、どこかおおらかな気分です。
空全体に薄いベールがかかったような淡い春の夕空を眺めながら、
家に向かいました。

□◆□…優嵐歳時記(30)…□◆□

    料峭に揺れる梢の光かな  優嵐

少し暖かさが戻ってきましたが、今日も風が冷たい姫路でした。日
の暮れるのがすっかり遅くなり、春分の日も近いことを感じます。
そろそろお花見の予定が話題に上リ始めた今日このごろです。私た
ちにとって第一のお花見の会場は、なんといっても姫路城です。満
開の桜に映える白亜の大天守。夜桜も、ライトアップされた天守閣
との取り合わせが幻想的で、実に素晴らしいのです。

「料峭(りょうしょう)」は春風が肌に寒く感じられるさまを表し
た季語です。職場の前には欅の街路樹があります。葉を落とした欅
は箒を空に向かって立てたような樹形をしています。芽吹きにはま
だ早く、裸の枝が今日の強い風に揺れていました。

□◆□…優嵐歳時記(29)…□◆□

    頂上の岩に腰かけ囀りを  優嵐

鳥が繁殖期に出す特別な鳴き声を「囀り」と言います。特徴的な美しい
声で、雄が縄張り宣言と求愛をこめて歌います。春の代表的な季語と
いえます。

今日はオートバイで丹波から北摂周辺を回ってきました。途中京都府
のるり渓に立ち寄り、そこから掃雲峰(723m)に登ってみました。コナラ、
クヌギ、リョウブなどの間を縫って意外に急な斜面が続いています。
昨日の雪があちこちに残っており、頂上近くでは雪を踏みしめて登る
ことになりました。

頂上のすぐ東に天狗岩と呼ばれる巨岩があり、そこからの眺めは抜群
です。京都府北部から滋賀、福井へと続く山なみが見渡せました。今日
はこのあたりもうっすらと雪化粧ですが、北陸へと続いていく山は
まだ深い雪の中です。すぐ前にアカマツの群落があり、その中で早くも
いくつかの野鳥が囀っていました。澄んだ鳴き声が空へ響いていきます。
それを聞きながら、明るい日差しの中で遠い雪山を眺める…。こういう
時間がとても好きです。

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