□◆□…優嵐歳時記(118)…□◆□
その先を知らず毛虫の這いにけり 優嵐
自転車で通勤していたころ、よくアスファルトの上で毛虫が轢かれて
死んでいるのに出会いました。餌があるとも思えないのに、車道の
中央に向かってもぞもぞ這っていく姿も、たくさん見かけました。
自転車の上から彼らの姿を見て、何のために車道へ出ていくのか
いぶかしく思いました。あのノロノロとした歩みでは、それほど
激しい車の往来ではなくても遅かれ早かれ轢かれてしまいます。草
むらにいればいいものを愚かな毛虫よ、と思ったものでした。
ある日ふと、神さまから見れば私たち人間はこの毛虫のようなもの
かも、という考えが頭をよぎりました。毛虫は毛虫なりの目的が
あって、せっせと這い進んでいるのですが、それはこの高い視点から
見下ろせば、実に愚かな行為にしか過ぎません。
神から見れば人間の日々の営みもこのようなものに見えるのかも
しれません。それぞれがせっせと懸命に前進しているのですが、その
先にあるものがさっぱり見えていないのです。哀れとも、滑稽とも。
「おもろうて、やがて悲しきなんとやら…」という感慨でした。
その先を知らず毛虫の這いにけり 優嵐
自転車で通勤していたころ、よくアスファルトの上で毛虫が轢かれて
死んでいるのに出会いました。餌があるとも思えないのに、車道の
中央に向かってもぞもぞ這っていく姿も、たくさん見かけました。
自転車の上から彼らの姿を見て、何のために車道へ出ていくのか
いぶかしく思いました。あのノロノロとした歩みでは、それほど
激しい車の往来ではなくても遅かれ早かれ轢かれてしまいます。草
むらにいればいいものを愚かな毛虫よ、と思ったものでした。
ある日ふと、神さまから見れば私たち人間はこの毛虫のようなもの
かも、という考えが頭をよぎりました。毛虫は毛虫なりの目的が
あって、せっせと這い進んでいるのですが、それはこの高い視点から
見下ろせば、実に愚かな行為にしか過ぎません。
神から見れば人間の日々の営みもこのようなものに見えるのかも
しれません。それぞれがせっせと懸命に前進しているのですが、その
先にあるものがさっぱり見えていないのです。哀れとも、滑稽とも。
「おもろうて、やがて悲しきなんとやら…」という感慨でした。