優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(118)…□◆□

    その先を知らず毛虫の這いにけり  優嵐

自転車で通勤していたころ、よくアスファルトの上で毛虫が轢かれて
死んでいるのに出会いました。餌があるとも思えないのに、車道の
中央に向かってもぞもぞ這っていく姿も、たくさん見かけました。

自転車の上から彼らの姿を見て、何のために車道へ出ていくのか
いぶかしく思いました。あのノロノロとした歩みでは、それほど
激しい車の往来ではなくても遅かれ早かれ轢かれてしまいます。草
むらにいればいいものを愚かな毛虫よ、と思ったものでした。

ある日ふと、神さまから見れば私たち人間はこの毛虫のようなもの
かも、という考えが頭をよぎりました。毛虫は毛虫なりの目的が
あって、せっせと這い進んでいるのですが、それはこの高い視点から
見下ろせば、実に愚かな行為にしか過ぎません。

神から見れば人間の日々の営みもこのようなものに見えるのかも
しれません。それぞれがせっせと懸命に前進しているのですが、その
先にあるものがさっぱり見えていないのです。哀れとも、滑稽とも。
「おもろうて、やがて悲しきなんとやら…」という感慨でした。

□◆□…優嵐歳時記(117)…□◆□

    蚊遣して夕べ明るき部屋にいる  優嵐

「蚊遣」とは、蚊をよせつけないために物をいぶして煙を立てることで、
蚊遣の「やり」は追い払うという意味があります。松や杉の葉、干した
蓬などが多く使われていたそうです。最も効果があるのが除虫菊で、
その粉末と杉粉を練り合わせたものが蚊取線香です。

今では昔ながらの蚊遣火などは見られなくなり、蚊取線香も屋内では
電子蚊取にとってかわられつつあります。蚊や蝿にまつわる季語、
「蚊帳」「蝿叩き」「蝿入らず」といったものも最近では目にすること
さえまれになってきました。しかし、電子蚊取や殺虫スプレーでは
まだ風情が感じられないのも確かです。

□◆□…優嵐歳時記(116)…□◆□

    リネンシャツすっきりと着て梅雨晴間  優嵐

今週に入って姫路は連日晴天が続いています。夏至が近く、日差しは
強烈ですが、湿気が少なく、風は爽やかで、ヨーロッパの夏を思わせます。
梅雨に入って何日か雨が降ったあと、ぽっかりと晴天になることを
「梅雨晴間」「梅雨晴」と言います。じめじめした梅雨の合間にのぞく
青空だからこそよけいにありがたさもひとしおというところでしょう。

麻のシャツを着て出勤しました。リネン(麻)は中空構造を持ち、水分
を吸収・速乾させる天然繊維です。さらりとした肌触りが夏の衣類に
最適です。冷房が入る盛夏よりも、今の時期の方がオフィスではむしろ
ふさわしいシャツかもしれません。

□◆□…優嵐歳時記(115)…□◆□

    播州の山野に栗の花ざかり  優嵐

栗はブナ科の落葉高木で、野生のものは高さ10メートルを越えます。
通常果実をとるために栽培されているものでは、3〜5メートル程度
です。5月末ころからあちこちで栗の花が咲き始めました。長さ10
センチくらいの毛虫のような長い花穂を垂らし、青臭い匂いを漂わせ
ますので、栗の花の時期になると、目だけでなく、鼻からもそうと
わかります。

播州は、姫路を中心とした兵庫県南西部地方の旧国名です。播磨とも
言います。旧の国としてはかなりの大国です。気候温暖で古くから
陸上、海上の交通の要衝として栄えてきました。明石や加古川を中心
とした東播磨と姫路を中心とした西播磨に大きく分けられます。東播磨
は阪神大都市圏の一角を形成し、西播磨は姫路を中心とした兵庫県
南西部の都市圏を形作っています。

□◆□…優嵐歳時記(114)…□◆□

    苗を待つ代田に雨の降り続く  優嵐

「代田」とは、代掻きが終わって、田植えをするばかりになった田の
ことです。昔は、代掻きは男の仕事で、田植えは女の仕事とされていた
ようですが、機械化の進んだ今となっては、それも昔話になりました。
姫路周辺でも田植えはほぼ終わりました。すでに早稲の田では苗の
背丈がかなり伸びています。

東京や大阪といった大都会に住んでいらっしゃる方は、水田を目に
されることもまれで、「代掻き」や「田植え」といった季語はぴんと
こないことでしょう。しかし、姫路のような中規模(48万人)の都市
では、少し中心部を離れるとすぐに水田が広がる光景に出会います。
水田は米の生産だけでなく、治水や景観の上でも大事な役割を担って
いるのです。

□◆□…優嵐歳時記(113)…□◆□

    立葵背筋のばして咲きにけり  優嵐

葵と書けば、かつては薬草として用いられたフユアオイを指しました
が、今では単に葵というとタチアオイを指します。西アジア、中国が
原産で、観賞用に栽培され、『枕草子』にもカラアオイという名で
登場しています。

草丈は2メートル以上になり、真っ直ぐに伸びます。暑くなり始める
ころ、白やピンク、紅といった大きな花が下から開花していきます。
ハイビスカスと同じ仲間(アオイ科)なのだということですが、
確かにそう言われてみれば花の雰囲気が似ています。どちらも照り
つける強い日差しが似合う花です。

水戸黄門で有名な徳川家の「葵の御紋」の葵はフタバアオイで、
ウマノスズクサ科の全く異なる植物です。

□◆□…優嵐歳時記(112)…□◆□

    荒梅雨の中を駆け行く女あり  優嵐

昨日は台風崩れの低気圧の影響で、姫路では午後からかなり強い雨が
降りました。梅雨というと、しとしと降り続く霖雨を連想しますが、
ときには梅雨前線の活動が活発になり、豪雨となって被害をもたら
すことがあります。「荒梅雨」とはそうした梅雨の時期の激しい雨
を指しています。

ここで作者は"駆けて行く女"を詠んでいるわけですが、俳句は十七
文字で完結するため、この女がどのような女なのか、は読み手の
想像に委ねられてしまいます。年齢、服装、雰囲気、体型、それら
すべては読み手が好きなように想像すればいいのです。これが俳句
の面白さでもあります。

また「女」を「男」に変えてみただけで、全く違う風情がそこに生
まれてきます。「女」を「少女」にするだけでも。人間の豊かな
イメージの広がりを十七文字に結び付けて遊ぶ。十七文字だから
こそイメージの広がりが大きくなる。それが俳句の楽しさですね。

□◆□…優嵐歳時記(111)…□◆□

    しもつけに煙の如き光あり  優嵐

シモツケは下野国(しもつけのくに・栃木県)にちなんで名づけ
られました。下野産のものが古くから庭木に使われたことからこの
名前になったようです。高さ1メートルほどのバラ科の落葉低木で、
根元からよく枝分かれし、5月から7月にかけて、枝先に小さな
五弁花を多数つけます。

ピンクのものが多いようですが、私の職場の裏では白いシモツケが
花を咲かせています。小ぶりですが、よく見るとなかなか華やかな
花です。オシベが花弁よりも長く、線香花火が集まったような印象
を受けます。

日当たりのよい酸性の礫地や草地を好み、石灰岩質のところには
生えないようです。北海道西南部から九州まで、さらに朝鮮半島、
中国にも分布します。

□◆□…優嵐歳時記(110)…□◆□

    さっぱりと刈られつくした麦の金  優嵐

大麦や小麦は一般に水稲の裏作として作られます。五月中旬から
六月上旬にかけ、麦は金色に熟れてきます。麦刈は、強い日差し
と麦の芒から身を守るために、麦わら帽子と長袖シャツを着て、
鎌で根元を刈り取るという酷な手作業でしたが、今ではコンバイン
が見る間に刈り取ってしまいます。

刈り取られた麦畑は、稲刈りが終わった後の田んぼとはまた一味
違った風景を見せてくれます。残った芒には火が放たれ、麦藁は
鋤きこまれ、数日のうちには水が張られて、水田へと姿を変えます。

□◆□…優嵐歳時記(109)…□◆□

    代掻きの後をつぎつぎ燕飛ぶ  優嵐

「代」とは植代、つまり田植えをする区画のことで、「代掻き」は
田植えをするための重要な作業です。田打ち、耕しの済んだ田に水
を張り、その田の底をかき回し、水持ちをよくし、肥料を土中に
混ぜ、苗を植えやすくします。機械化以前の時代には馬や牛に馬鍬
を曳かせておこなわれた大変な重労働でしたが、今ではわずかの
時間で耕運機がそれをおこなってしまいます。

田植えにちなむ言葉がたくさん季語に取り入れられていますが、
機械化、省力化された現代の農作業の中では、それらの多くがすで
に見られなくなっています。代掻きに関する季語の中では
「田掻き馬」「代牛」などがそれにあたるでしょう。「早乙女」や
「水争い」も間もなく歴史の彼方に消える季語と言えます。

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