2025年05月18日 夏初め白藤にある白さかな ◆夏初め 噴水の側の藤棚のフジは花の時期が終わっていましたが、森の中で白いフジが咲いているのを見かけました。ヤマフジの園芸品種のひとつです。 タグ :#夏初め#白藤#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月18日 池の辺の薔薇園抜けて堤へ出る ◆薔薇園 飯盛山の南斜面を利用してつばきの森、つつじの小道などが設けられています。その時期にはヤブツバキやコバノミツバツツジが森を彩るのでしょう。亀ノ倉池のほとりにはあじさい園、しゃくなげ園、うめ園、ばら園があります。 季節に合わせていろいろな花が咲くように設計され、いつ行っても楽しめます。車椅子を押して池のほとりを散策している人の姿も見かけました。 タグ :#薔薇園#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月17日 雲切れて風強くなり桐の花 ◆桐の花 午後から急速にお天気が回復すると同時に風が出てきました。桐が花を咲かせています。山ではこの時季、薄紫色の花として藤が咲き、それから桐が咲きます。藤は晩春の、桐は初夏の季語です。 桐はシソ目キリ科キリ属の落葉広葉樹です。中国中部原産と言われ、現在日本で見られるのは栽培されたものか、それが野生化したものです。日本では経済価値が高く林業の特用樹種になっています。 タグ :#桐の花#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月17日 石楠花や深山幽谷は遠し ◆石楠花 シャクナゲはツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属の常緑低木です。北半球の亜寒帯から熱帯山地まで広範囲に分布し、特にヒマラヤ周辺には多くの種があります。日本にも自生していますが栽培は難しく、「高嶺の花」でした。 その美しい花が欧米の園芸家の興味をひき、近年は欧米で交配育種された西洋シャクナゲが比較的丈夫で育てやすいとして普及してきています。フラワーセンターにもしゃくなげ園があり、何種類かのシャクナゲが花を咲かせていました。 タグ :#石楠花#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月17日 アイリスや虹の女神のそこにあり ◆アイリス 外国種のアイリスにはダッチアイリス、イングリッシュアイリス、ジャーマンアイリスなどがあります。ギリシャ神話の虹の女神イリス、その英語読みのアイリスが名前の由来です。 ジャーマンアイリスはヨーロッパから中近東にかけて分布する複数種を交配して生まれた園芸品種グループです。1800年代から欧米を中心に盛んに交配・品種改良が行われ、さまざまな色彩や花形が作出されてきました。 毎年のように新しい色や形のジャーマンアイリスが誕生し、「ない花色はない」と言われるほどの色数を生み出しています。 タグ :#アイリス#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月16日 播磨国風土記の里の卯の花よ ◆卯の花 『播磨国風土記』には大汝命(オオナムチノミコト)のご飯をこの山に盛った、それで飯盛岳との名前になったと書かれています。大汝命は大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名です。全国に飯盛山という名前の山は数多くあり、稲作との関連も連想されます。 卯の花はウツギのことです。降りてくる道のかたわらに白い花をいっぱいにつけていました。アジサイ科ウツギ属の落葉低木で北海道南部から本州、四国、九州に広く分布します。 『播磨国風土記』は奈良時代初期(8世紀初め頃)に編纂されました。そのころからこの土地で咲いていた花のひとつです。 タグ :#卯の花#播磨国風土記#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月16日 山若葉里若葉なり平らかに ◆若葉 飯盛山展望台まで登りました。展望台からはフラワーセンターの大温室とその向こうのこんもりとした丘が見える以外はほぼ平坦な土地が広がります。飯盛山は標高124m、『播磨国風土記』に登場する飯盛岳と考えられています。 タグ :#若葉#飯盛山#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月16日 雨だれの名残や芍薬ふわり咲く ◆芍薬 シャクヤクはボタン科ボタン属の多年草です。アジア北部の原産で、日本には古い時代に中国経由で伝来し、薬用、鑑賞用として栽培されています。 同じボタン科のボタンは樹木であるのに対し、シャクヤクは草木です。どちらも豪華な美しさを誇り、ボタンは「花王」と呼ばれ、芍薬は花の宰相、「花相(かしょう)」と呼ばれます。 タグ :#芍薬#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月15日 純白もあるべしドイツアヤメかな ◆ドイツアヤメ ジャーマンアイリスの正式な種名はドイツアヤメといいます。白、赤、黄、紫、青、紺、黒、オレンジ、ピンクなど多種多様な色があります。真っ白なものもあり、ウェディングドレスを思わせるようなノーブルな美しさです。 タグ :#ドイツアヤメ#兵庫県立フラワーセンター
2025年05月15日 芍薬や薄紅色の影見せて ◆芍薬 「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」は美女を形容する言葉として知られています。七・七・七・五なので和歌でも俳諧でもありません。 初出は安永5年(1776年)刊の滑稽本『無論里(ろんのないさと)問答』です。作者は不明ですが、250年近くたった現在にも伝わっており、芍薬といえばこの言葉を思い出す人は多いでしょう。 一方、これは生薬の用い方を例えたという説もあります。「芍薬は気を落ち着かせ、牡丹は血行を良くし、百合は精神を安定させる」と、それぞれの薬効を女性の姿に重ねて表現しているそうです。 タグ :#芍薬#兵庫県立フラワーセンター