優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(2095)…□◆□

  浅春の風をとらえし鳶一羽   優嵐

先日、銀行の窓口でチョコレートをいただきました。バレンタインデーが近いからのようです。ちょっとしたものですが、思いがけないところでこういうものに出会うとうれしいですね。誕生日とか記念日とかそういうときに何かをいただくというのとはまた一味違ううれしさです。

「浅春(せんしゅん)」は「早春」とほぼ同じ季感を表します。立春から暦のうえでは春なのですが、実際には少し暖かくなったかと思うと急に寒の戻りがあったりして春は一進一退を繰り返しながら進んでいきます。「暑さ寒さも彼岸まで」が肌で感じる正直なところでしょう。「春浅し」「春淡し」「春早し」といった季語もあります。こちらの方が語感はやわらかですね。

<後から>
未来は前からやってくると
人は思っている
実は違う
未来は後からやってくる

見ようと身構えている背後から
かたわらをすり抜けて
未来は
私たちの前にいきなり立つ

未来が「今」になったときの顔を
誰も予想できないのはそのせいだ


数日前にmixiのマイミクの方から「私に名言」というアプリを紹介していただきました。利用者の名前を使って一日一回名言を作ってくれるというものです。これ、なかなか含蓄に富んでいて、面白いなあと感心しています。今日の名言は「優嵐は学校のためでなく、優嵐の人生のために学習すべきである。」でした。これから名前を省略してこちらでご紹介したいと思います。

今日の名言:学校のためでなく、人生のために学習すべきである。

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□◆□…優嵐歳時記(2094)…□◆□ 

  立ち止まるとき梅が香に包まれる  優嵐

バンクーバーオリンピックが今日から開幕しますね。『負けないで』がNTTdocomoの「応援inバンクーバー」に採用されてすでにオンエアされています。この映像はこれでまた素晴らしいのですが、ここはやはり坂井泉水さんご自身の歌声も聴きたいですね。

負けないで



代表選手のみなさんには、メダルや勝負も大事でしょうけれど、やっぱり「自分自身に負けないで」というメッセージをお送りしたい。だって、国を代表してその場に立てるということ自体が素晴らしいことなんですから。そして、国籍を越え、素晴らしいパフォーマンスを見せてくださるすべての参加選手に声援を送りたいと思います。

<思い出して>
人はいつも強くいられるわけではない
誰もがもろい部分をもち
壊れそうな心を支えながら生きている

だからこそ
そんな君におくりたい
「自分自身に負けないで」
くずれそうなとき
それを思い出して

□◆□…優嵐歳時記(2093)…□◆□

  風強き夜明けて建国記念の日   優嵐

10日の夜から11日にかけては雨交じりの強い風が吹きました。春一番を連想させるほどの風でした。「建国記念の日」は第二次世界大戦で日本が敗れるまでは「紀元節」と言われていました。神武天皇即位の日とされる日を陽暦に換算したものです。敗戦を境にいったん廃止され、1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として政令公布、翌年から祝日になりました。

風の音の影響か、複雑なサスペンス映画のような夢を見ていました。私は高級ホテルのレセプション会場で食事をしています。すぐ後の席に首相夫妻がいらっしゃいます。何か大きな催し物がおこなわれていて、私は間もなくそこにテロリストがやってくることを知っています。そう思っているうちにテロリストが現れ、人々を銃で脅します。その混乱の中で私は何かとても大事なものを手に入れてその建物を出ることに成功します。

私は出て行きながら何か後ろめたいものを感じています。テロリストの仲間ではないのですが、テロリストがやってくることを知っていながら、そのことを誰にも言わずにいたことを後ろめたく思っているのです。自分が何を手に入れたのかはよくわかりません。とにかく自分にとっては非常に大事なものであるのは確かです。

夢から覚めて、この夢は先日から見ている一連の夢と関係があるかもしれないと気がつきました。私はやはり大きな建物の中にいます。これまでの夢では自分はどこかへ行こうとしているのに容易にはたどり着けず、何かをなくしてあせっている、というものでした。

ところが今日は、何かがやってくるのを知っていて、それをきっかけに自分にとって非常に貴重なものを手に入れ、ちょっと後ろめたく思いながらも建物を無事出ることができるというものでした。夢は象徴だと言われています。あまり分析しすぎず、全体の雰囲気から受けるものを大事にしたいと思います。


<もし世界を変えたければ>
もし世界を変えたければ
自分自身を変えることから始めよ

世界が汚れて見えるのは
あなたの眼鏡が汚れているから

眼鏡を外して
レンズを洗ってみれば
世界はもっと光り輝くだろう

立っている人とは立って
しゃがんでいる人とはしゃがんで
歩いている人とは歩きながら
話してみよう

彼のモカシンをはいて
次の町まで歩いてみよう

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□◆□…優嵐歳時記(2092)…□◆□

  今日風のやわらかくあり春初   優嵐

初春を「はつはる」と読むと、新年の季語になります。春の季語として用いる場合は「しょしゅん」と読みます。「春初(はるはじめ)」「孟春(もうしゅん)」「上春(じょうしゅん)」とも言い、およそ二月にあたります。春が訪れたいきいきした感覚を詠みたいと思います。

NTTdocomoが10日から、ZARDの『負けないで』を起用したバンクーバー五輪の応援CM「応援inバンクーバー」編を全国で放送しています。『負けないで』がCMに起用されるのは初めてです。同社が調査専門会社を通じておこなった意識調査で、『負けないで』が応援ソングのダントツ一位だったという結果を受けてのことだそうです。

変なたとえですが、敗戦後の日本人を励ましたのが『りんごの唄』だとすれば、バブル崩壊後の日本人を励ましたのが『負けないで』です。売れる歌はたくさんありますが、歴史に残る歌というのは、それとは次元の違う輝きを放つものです。2月10日はZARDの誕生日(デビュー)でもあります。これもひとつのシンクロニシティでしょうか。

ZARDがデビューしたのは91年2月10日です。19周年になりますね。8番目のシングル『揺れる想い』(93.5.19)はZARDの代表曲のひとつであると同時に、90年代のJ-POPを代表する名曲といっていいでしょう。今日はこの曲について書きます。

『揺れる想い』はZARDが2004年におこなった初のライブツアー"What a beautiful moment"のオープニングに使われました。坂井泉水さんにとっては生涯最初で最後のライブツアーです。この歌の後、彼女が「初めまして」と挨拶をします。ZARDのことをよく知らなかった私は、「デビューして10年以上になるのになぜ初めましてなの?」と不思議に思ったものでした。

揺れる想い 


大ヒット曲であるだけに、魅力あるフレーズが並んでいます。
---好きと合図送る 瞳の奥 覗いてみる振りして キスをした
これは、『負けないで』の
---ふとした瞬間に 視線がぶつかる 幸運(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ
に匹敵する鮮烈なフレーズだと思います。

こういうきらめくような瞬間こそが恋の喜びなのですが、それを壊さずにすくいとって詞に結晶させるというのは容易なことではありません。表現は、ともすれば月並みになりがちです。しかし、坂井泉水さんはミューズの裳すそをつかむことに成功しています。

さらに、俳句的な視点でこの詞を見たとき、私がうまいなあと思うのはもう少し地味なフレーズです。
---夏が忍び足で 近づくよ きらめく波が 砂浜潤して
ここの「潤して」です。「潤して」という言葉をここで使える人はそんなにいないでしょう。しかも使われ方の絶妙さに驚きます。

夏が忍び足で近づいているわけですからこの歌の時季は晩春です。桜は葉桜になり、日が長くのどかで柔らかな空気が辺りを包んでいるでしょう。そんなときの砂浜に寄せてくる波、<砂浜を潤す波>はその時しかないな、と思います。これを試しに俳句にして四季をそれぞれにあてはめてみます。

砂浜を潤してゆく春の波
砂浜を潤してゆく夏の波
砂浜を潤してゆく秋の波
砂浜を潤してゆく冬の波

いちばんしっくりするのが「春の波」だと感じられませんか? 夏の波はもっと躍動的だし、秋の波はやや寂しげ、冬の波は冷たく荒々しいでしょう。潤すのはやはり春の波だと感じられます。それも空気全体が潤んでくる春半ば以後、そんな感触です。さらに波が「潤して」いくのは砂浜だけではありません。恋が始まったばかりの主人公の心も潤していくのであり、波は外側の情景と主人公の心象をつないですべてを潤していくのです。

夏を擬人化して忍び足をとらせるレトリックも素晴らしいですね。これも忍び足になるのが他の季節だとどうかな、と感じます。秋や冬が忍び足でやってきたら、凋落していくようで恋の始まりにはふさわしくありません。春の訪れは誰もが待望しているわけですから、こちらも忍び足では近づかないでしょう。夏しかありません。

追悼番組で、スタッフの方がZARDの詞を「練りに練った言葉」と形容されていました。こうしてあらためて見ると本当にそうだと気がつきます。


□◆□…優嵐歳時記(2091)…□◆□

  淡雪や松の根方に残りけり   優嵐

昼間の気温は18度まであがりました。先日の寒波の後にこれですから、春先は体調を崩しやすいときです。しかし、頬にあたる風がやわらかく、確かに春になったのだと感じられる一日でした。午後からお天気が下り坂で、明日は雨になりそうです。

テニスのバックハンドを両手打ちに変えるのは思ったより困難だと悟りました。打てないことはありませんが、考えないとうまく打てず、左腕が筋肉痛をおこしそうです。シングルのバックというのは、いったん型を決めてしまうとフォアよりも楽に確実に打てます。シングルハンドでの打ち方が小脳に浸透しているため、それを変えるのは理屈でいうほど簡単ではありません。

保護用のベルトをつけ、手首を不用意に使わないようにすれば、シングルでも十分いけるかな、と思っています。けがをすると、それが幸いしてフォームがきれいになることがあるそうです。無理のない打ち方を心がけるからなのでしょう。一流のプロのフォームは大変きれいです。無理な力が入っておらず、人体の生理的なつくりに忠実な動きだからなのでしょうね。


<歩きだそう>
窓の外で猫が恋を囁いている
囁いているなんてものではない
恋をうなっている
恋を叫んでいる

何もかもがこんな風に決まっていればいいのに
と思う事がある
きっちりとすべきことが決まっていて
それだけに猛進することができたら

今は恋をし
今は子育てをし
この時期になれば子離れをして
何の迷いもない
どんなに楽だろうか

馬鹿だな
そんな時代はとうの昔に
通り過ぎたじゃないか

何ゆえ君は人間の姿をしているのか
君が言っていることは
いつまでも赤ん坊でいたいと願う
幼稚園児のようなものだ

そうだったね
でも時々は昔が懐かしくなる

懐かしくなるほど
君はまだ歩んではいない
成長は果てしない
だから前を見て歩きだそう


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□◆□…優嵐歳時記(2090)…□◆□

  淡雪と光を載せしうすごおり   優嵐

「薄氷」と書いて季語では「うすらひ」といいます。万葉時代からすでにある古い言葉です。春先にごく薄く張る氷、または溶け残った氷を指す場合もあります。古典和歌の場合は氷の一形態としてもっぱら冬のものとして詠まれてきました。それを春先のものとしたのは高浜虚子です。

1934年(昭和九年)の『新歳時記』において虚子は初めて「薄氷」を春・二月の部に採用しました。ただ、古典和歌にも「春の薄氷」と詠んだものがあり、「うすらひ」という語感の美しさとあいまって早春の季語として定着していきました。「残る氷」「春の氷」「うすごおり」とも詠まれます。

日本人の美意識は、はかないもの、何かと何かのあわいにあるもの、微妙なもの、こわれやすいものに特に敏感なようです。完璧で堅固で轟然としたものも確かにいいのですが、そういうものよりは、傷つきやすいフラジャイルなものにより美しさを感じてきた、そんな気がします。「うすらひ」はそれを象徴するような季語だと思われませんか?


<達人>
高さ15cmの平均台なら
平気で歩けるのに
地上15mに渡された板の上を
歩くのは難しい

人生は
15cmの平均台だろうか
15mに渡された板だろうか

同じように渡ることができたなら
達人だ

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□◆□…優嵐歳時記(2089)…□◆□

  早春の光は遠き雪嶺に   優嵐

二日続けて雪が積もりました。姫路では珍しいことです。朝にはすでに雪はやみ青空が広がっていました。日曜日、上郡町にある白旗山(440m)へ登ってきました。山頂に南北朝〜戦国時代の山城跡があり、国史跡に指定されています。1336年(建武三年)足利尊氏方の赤松円心により築城され、新田義貞軍の50日に及ぶ城攻めに耐え抜きました。

細野口のそばに車を止め、獣除けの柵を開けて山道に入ります。しばらく平坦な林道を谷川に沿って歩きました。林道の終点からは傾斜が急になり、針葉樹の植林帯の中を登ります。足元は大きな岩がごろごろしており、そこにかつての石段かと思えるようなものが残っています。

近畿自然歩道の一部になっており、野桑口からの道と合流した後は尾根づたいに山頂へ向かいました。山城としてはかなり大規模なもので、全長550mあります。「堀切」の表示が出てから櫛橋丸跡、二の丸跡を経て尾根筋を歩いて行きます。このあたりの傾斜はゆるやかで、コナラの森が続いており、春になったばかりの今は、足元に厚く落葉が積もっています。

落葉が途切れるとヤブツバキの林となり、そこを通り抜けると本丸跡に出ます。本丸跡からは北側の展望が開け、遠く雪化粧をした山が見えました。山城跡の山は例外なく素晴らしい展望に恵まれています。往時には四方をぐるりと睥睨できたでしょう。本丸跡には何本かのヤマザクラの木があり、お花見をするのにもいいだろう、と思いました。


<山城にて>
その昔
この石段を多くの侍が駆け抜けた
甲冑に身を固めた大将から
足軽雑兵まで

暁の光の中を
漆黒の闇の中を
槍を手に
刀を手に

彼らは何を思っていたのだろう
何が彼らを駆り立てたのだろう
はるかに遠い日のときの声

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□◆□…優嵐歳時記(2088)…□◆□

  竹林を騒がせ余寒の風過ぎる   優嵐

六日の朝は姫路でもうっすらと雪が積もっていました。立春寒波とでも言えばいいのでしょうか。二月の上旬は光が非常に明るくなって「光の春」といわれる美しい季節を迎えます。一方、まだまだ気温は低く、そのシーズンの最低気温を更新することもあります。

「余寒」は暦の上で春になってから感じる寒さのことです。初秋の「残暑」に相当します。気分的にも光の上でももう春なのに、まだまだ残っている寒さ。だからこそいっそう強く感じられる、そういう印象です。同様の季語に「春寒」「残る寒さ」があります。それぞれに微妙な感覚の違いがあり、それを句に詠むことも俳句の楽しさです。


<目覚めよ>
ざわざわと
森を揺るがせて
風が通り過ぎていった

春の女神は
清楚で美しい
けれど
ちょっとやんちゃ

大声で歌うし
ときには激しいステップで踊りだす
それは
眠っているものたちを
呼び覚ますため

雲も空も木々も
とりわけ雪の蒲団の下で
ぐっすり眠っている山たちを
目覚めさせるには
高らかな歌声が必要だ


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□◆□…優嵐歳時記(2087)…□◆□ 

  立春大吉梅の小枝はまっすぐに   優嵐

立春は、二十四節気の最初の節にあたります。春がやってくることは朗らかでめでたいことです。「立春大吉」はそれを示した季語です。本格的な春はまだまだ先ですが、薄紙をはがすようにしだいに春の気配が濃くなっていきます。

今日は坂井泉水さんの誕生日です。まったくの偶然ですが、このblog『優嵐歳時記』(04.2.6)の誕生日でもあります。ご縁を感じます。『きっと忘れない』によれば、彼女は1967年2月6日のお昼ごろ、神奈川県下の病院で誕生しています。大雪が降った翌日で、お母さんはお昼近くに病院に行きますが、第一子ということもあり、まだ一時間以上は生まれないといわれます。

念のために分娩台に乗せられたものの、医師も助産師もお昼休みに入ってまわりには誰もいなくなってしまいます。ところが10分もたたないうちに陣痛が起こり、赤ちゃんはお母さんと自分の力だけでこの世に生まれてきます。こうした例は初産では珍しく、安産過ぎるほどの安産だったのだな、と想像できます。

泉水さんが好きだった花は、カラー(海芋)です。彼女の音楽葬では参列者の方たちがクリスタル・ブラッシュという品種を献花しています。カラーは5,6月ごろに咲き、初夏の季語にもなっています。自分の好きな花が咲く頃に亡くなるなんて、西行みたい、と思ったものです。

彼女には誕生のころに咲き始める梅もふさわしい、と私は感じています。まだ余寒の厳しい中、いち早く春の訪れを告げ、まるで暖かさをもたらすように咲き始める梅。香り高く、凛とした気品とけなげさを感じる花です。時には雪や霜にうたれながらも懸命に花を咲かせており、そのさまを見ていると励まされ、思わず姿勢を正したくなります。

今日はZARDの誕生曲『Good-bye MyLoneliness』(91.2.10)を取り上げます。デビュー曲であるこの詞に早くも後の泉水流の特徴が現れているのは興味深いところです。

Good-bye My Loneliness 


何より題名ですが、単純に日本語に訳せば「ひとりぼっちにさようなら」という意味になると思います。英語には孤独を意味する単語として、lonelinessとsolitudeという二つの語があり、意味が少し違います。lonelinessは「ひとりぼっちで寂しい」ということであるのに対し、solitudeは「あえてひとりでいる、ひとりを楽しむ」といった意味があります。

ここではlonelinessを使っているため、「今まではひとりぼっちで寂しかったけど、これからは彼がそばにいる。だからうれしい」というような意味と考えられます。ですから、恋を得た喜びを歌っていると思うのが普通でしょう。ところが、歌詞を聴いてみると違います。

Good-bye My Loneliness 信じていても ふたり Faraway 思い出になる
Good-bye My Loneliness 信じていても きっと Faraway 思い出になる

恋を得てハッピーというのではなく、今恋人がいる、だけど、愛情はうつろい、いつか消えていく…そうした諦念というか無常観とでもいうものが歌われています。いつか消えていくから、今このときを大事にしたい…「夢が消える前に」。この不思議なギャップ。常識を一歩はずして異質な言葉を組み合わせる泉水流はすでにデビュー曲から始まっているのです。

そして、このある種の諦念、無常観はこの後も最後までZARDの詞の底流に流れ続けます。どれほど元気よく人を励ますような歌であったとしても、その背後には「諸行無常の響き」という通奏低音が鳴っており、それが坂井泉水さんの声質とマッチして何ともいえない切ない彩をすべての楽曲に与えています。ここがZARDの最大の魅力のひとつではないでしょうか。

今日使わせていただいた最初のYouTubeの動画の音声はデビュー当時のものではなく、後にボーカルを録り直したものです。デビュー当時は録音の要領がつかめず一週間連続でサビの部分を歌い続けたというエピソードが残っています。その苦労したデビュー当時の声はこちらで聴けます。声と歌い方の変遷がわかります。PVの映像監督は岩井俊二さんです。



□◆□…優嵐歳時記(2086)…□◆□

  青空へ追儺の太鼓こだまする   優嵐

「追儺(ついな)」は「なやらい」「おにやらい」ともいい、禍を追い払うという意味です。中国から伝わり、もともとは大晦日の行事として宮中で行われました。大舎人寮の舎人が鬼の役を、大舎人の一人が仮面をかぶって方相氏(鬼を追い払う役)をつとめました。殿上人は桃の弓・葦の矢で鬼を射たてました。後世、これが宮中から社寺、上流階級に広がり、しだいに節分の行事として定着していきました。

節分の日、広峯神社では四方に轟くように太鼓が打ち鳴らされていました。これも禍を祓う意味があるのでしょう。立春の日はやや風が冷たかったものの、日差しは明るく、今日から春なんだという思いとともに、空を仰ぎました。俳句を詠んでいると、四季それぞれの最初の日が新鮮で喜ばしいものに思われます。


<春の竪琴>
風はまだ冷たく
梢は裸のまま
けれど
まっすぐに伸びた
梅が枝に差す陽は明るい

冬将軍の蹄の音が
遠ざかっていく
やがて
春の女神がかき鳴らす
竪琴の音が聞こえてくるだろう

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