優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(2298)…□◆□

  稲熟れて静かに風の吹く日かな   優嵐

日中の最高気温は38度でした。九月の史上最高気温だと思います。暑さ寒さをそれほど気にしない人間ですが、日差しや風景の感じと体感温度が一致しないというのは妙なものです。熱中症で亡くなる方のニュースを耳にします。水分補給を欠かさないいことが重要ですね。

稲が黄金色になってきました。早稲の産地ではもう稲刈りが始まっているようです。姫路近隣では早稲の作付け面積が少ないため、稲刈りが本格化するのは九月後半以降です。


<終り>
何かが終わってしまったということに
ある日突然気がつく
無理に終わらせたというのではなく
ふと
もう終わったのだということが
しみじみと感じられる

名残惜しいとか
悔しいとか
つらいとか
そういう気持ちはない

二度と戻らないにしても
それはそれでそういうものなのだ
流れていく季節の中で
なにひとつ留まるものはないと知る


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□◆□…優嵐歳時記(2297)…□◆□

  秋茜風に向かいて並びけり  優嵐

暑い日は続いていますが、野山は秋の色に染まり始めました。ちらほら紅葉しているものが見えますし、山全体の色がどことなく秋の、褐色系の薄いベールをかぶったような色彩へと変わっています。

トンボとひとくちに言っても種類によって飛び方に個性があります。アキアカネは群れを作り、つつー、つつーっと飛びながらも空中で静止しているような独特の飛び方をします。トンボが飛ぶのは航空力学的には不思議だと何かで読んだ記憶があります。


<桜落葉>
桜の紅葉がひっそりと進んでいる
木によっては
もう半分以上落葉しているものもある

一本の桜の下で蜘蛛が巣を作っている
桜の落葉がその巣にひっかかっていた

蜘蛛は素早く落葉に駆け寄り
取り外しにかかる

こんなところに葉っぱがあっちゃ
せっかく作ったアタシの巣が
目だっちゃうじゃないの
どっこいしょ

落葉を払い落とした蜘蛛は
巣の中央へ戻る
次はおいしいごちそうが
かかってくれるのを願って


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□◆□…優嵐歳時記(2296)…□◆□ 

  学生服街に戻りし休暇明け   優嵐

小中高校のほとんどが九月から二学期に入ります。例年なら夏休みが終わるころにはかなり秋めいているものですが、今年は真夏のような気温が続いています。朝夕は、それでもかなり涼しくなっていますから、朝夕の涼しさがしだいに日中へと広がる感じで秋が進んでいくのだろうか、と思っています。


<出来事>
明日何が起こるかはわからない
「いいこと」が起こるかもしれないし
「悪いこと」が起こるかもしれない

起こったことを「いいこと」にするか
「悪いこと」にするかを決めるのは
自分自身だ

誰かがそれを「いいこと」だと言ったり
「悪いこと」だと言ったりしても
それを鵜呑みにする必要は無い

「いいこと」で舞い上がるのも
「悪いこと」で落ち込むのも
実はコインの裏表
実際はどちらでもない
どこからどういう立場で見ているか
その見方があるだけ


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□◆□…優嵐歳時記(2295)…□◆□

  九月の空九月の雲を浮かべおり  優嵐

日中の気温は35度前後ありました。とはいえ日が落ちるのが早くなり、夕方には涼しくなっています。ガスレンジを掃除した勢いで、換気扇などの掃除も引き続きおこなっています。きれいになるとすっきりしていいものです。

こういうのは、実は毎日こまめに掃除をすれば、なんでもない作業なのだと思います。ところが、なかなかできないものです。よく考えてみると、部屋に掃除機をかけるよりも簡単なことかもしれません。そこを使ったとき、最後にさっと拭いておくだけで汚れ具合は全く異なるだろうと思いますから。

もうひとつ、「汚れを防ぐ」といわれているものを置くと、逆に面倒なことになるのに気づきました。できる限りすっきりしているのが一番掃除がしやすく、また、掃除をしよう、という気にさせてくれます。


<帰燕>
燕の姿がいつの間にか消えている
もう行ってしまったのだろうか

いつもなら渡りが近くなるころ
空高く群れを作って飛ぶ
その姿は南へ向かう風を探しているよう
しばらくすると燕の姿が街から消える

毎日空を見上げていたはずなのに
今年はそうした姿を見なかった

稲が稔り始めている
稲の青さを連れて行くように
燕は南へ去るのだけれど


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□◆□…優嵐歳時記(2294)…□◆□ 

  八月尽海の色も田の色も   優嵐

東京では観測史上最長、48日連続の熱帯夜だそうです。姫路でも昨日の昼間の気温は35度ありました。日差しは確実に秋ですが、日中の気温はなかなか下がりません。それでも早稲の田では稲刈りが始まっているところがあるようです。

デジカメの記録メディアにはSDカードを使っています。512MBで、買った当時は大容量だったのですが、最近では4GBのものでも2千円程度で販売されています。しかし、動画を記録しませんから、512MBでも特に不自由はありません。

今のところ撮影した映像はDVD-Rに保存していますが、4GBとなるとHDDが必要になります。いろいろ読んでいると、記録メディアが進化するために、「保存」が保存の役割をするのは、せいぜい十年ほどと考えた方がいいようです。

フロッピーディスクが製造中止になりました。かつてのカセットテープもビデオテープも同様でした。再生装置がなくなれば記録してあっても意味がなくなってしまいます。同じ事態が、あらゆる記録媒体に将来は起こりえるわけです。悩ましい時代ですね。


<公園に>
ナイターでテニスをするために
テニスコートの駐車場へ車を入れた
驚いた
正面の森が半分になっている

切り開かれた地面には
キャタピラの後が無数に残り
伐採された木々が丸太になって
積み上げられている

切られた木の香りが駐車場を覆い
テニスコートまで流れてくる
公園になるのだという

このテニスコートも駐車場も
元は森だったのだろう
目の前の森が切り開かれてしまうまで
そのことに気づかなかった

木の香りを浴びながら
何か寂しい気持ちになる
シカタガナイとは思うのだけれど


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□◆□…優嵐歳時記(2293)…□◆□ 

  色変わり初めしえのころ揺らす風   優嵐

久しぶりにガスレンジの掃除をしました。夏の間は暑さのあまりなかなか掃除をする気になれませんでした。こういうものはこまめにその都度やれば大層なことにならなくてすみます。ところがなかなかできません。やらねばならないと思うことというのは、だいたい気がすすまないことで、コンスタントにできることは好きで得意なことなのです。

人間は自然にできてしまうことをやった方が幸せになれる、というのは確かです。しかし、人生どうしてもやらなければならないガスレンジの掃除のようなことはいくつかあります。ガスレンジを使わないという手もありますが、すべての調理器具を使わない、というわけにはいきませんから。

ま、意を決してやれば別にどうということもなく、すっきりしたらそれはそれで楽しくて、「掃除を趣味にしてみるか」なんて思ったりするんですけどね。


<捨てる技術>
情報とカロリーは似ている
かつて飢餓の時代があった
今ではどちらも過多であり
いかに制限するかの知恵が必要だ

日々新しい情報機器が生まれ
メディアの数も幾何級数的に増えている

これをこうしてあれと同期させて
なんとかかんとかをこうこうしたら
このように効率よくうんぬん…
そう語る情報がまた大量に流れている

無理だし無駄だ
情報機器に嗜癖している人でない限り
それらを全部使いこなすことは難しい

過ぎたるは及ばざるがごとし
むしろ過ぎたる方が危険である
いかに遮断し捨てるか
それをもっと真剣に考えていい


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□◆□…優嵐歳時記(2292)…□◆□

   かなかなの翅透きとおる声もまた   優嵐

里では蝉の声がかなり少なくなってきました。鳴いているのもホウシゼミがほとんどです。それでも、森へ行くとまだまだミンミンゼミもアブラゼミもにぎやかです。「かなかな」はヒグラシのことです。鳴声からこう呼ばれているのは、「つくつくぼうし」と言われるホウシゼミと同じです。

アブラゼミやミンミンゼミに比べると随分小形で繊細な印象を受けます。ミンミンゼミのあの浪曲師のような声は、そばで聞いていると驚くほどですが、ヒグラシの声は蝉というよりも秋の虫に近い音色です。だから涼しげなんですね。


<午後の頂にて>
少し遅めに山へ出かけた
初秋の陽はすでに西へ傾き始めている
頂の空間に小楢が落とす影が長く伸びていた

海は青く
水平線に横たわる淡路島が今日はよく見える

毎日ここに来ているのだけれど
一日も同じ日は無かった
その日のその瞬間はそのときにしかなく
私という人間も常に変わってゆく

かけがえのないことは
特別な瞬間にあるのではなく
日常すべてを貫いて流れている


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□◆□…優嵐歳時記(2291)…□◆□

  存在のすべて透明秋の昼   優嵐

日差しがとてもまぶしく感じられます。冬から春になっていくときは日差しの強さが増していくことで、そのまぶしさに驚きます。光が弱まっていく秋に感じるまぶしさは光の強度ではないようです。空気の透明度が増しているせいでしょうか。

夏と最も違うと感じるのがこの透き通った感覚です。夏のぎらぎらした光の強さではなく、すーっと何かつきものが落ちたような、そんな感じがあります。エネルギーと熱に満ちていた時期が去り、ものみなすべてが鎮静に向かっていく秋です。


<循環>
目の前の生簀に網が入ってきた
一匹の鯵がすっと掬い取られる
数が減った鯵はしばらく底近くに固まっていた

網に入った一匹はすぐに刺身に姿を変え
カウンターの向こうで客の元へと運ばれていく

私の前にもすでに空になった刺身の皿があった
さっきまで泳いでいたのだということを
今更ながらに知らされる

命をいただいているのだ
切り身になってパックされた「食品」ではなく
生き物が殺され食べものとしてそこに並ぶ

そのことを忘れないようにしたい
他の生き物の命をいただくことによって
命の流れの循環のなかに
自分も存在場所を与えられているのだということを


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□◆□…優嵐歳時記(2290)…□◆□

  青空に映えたる色よ赤とんぼ   優嵐

秋めいてきたと思ったら、赤とんぼの姿を見ました。赤とんぼはアキアカネ、ミヤマアカネ、ショウジョウトンボ、ヒメアカネの総称です。これらのトンボは成熟すると腹部が赤くなり、雄は特に鮮やかな赤となって目に付きます。夏を山で過ごし、秋になると里へ降りてきます。

今日から明日にかけて日本テレビの「24時間テレビ」が行われますね。チャリティーマラソンの応援歌にZARDの『負けないで』が使われています。この楽曲は、中学時代陸上競技の選手だったという坂井泉水さんのアスレチックな一面を生かした名曲です。

彼女は生前、『負けないで』が応援歌として大合唱される模様をテレビで見て、「24時間テレビで毎年流して頂いて、それを見る度に嬉しく、自分の歌のようでそうでないような気持ちになります」と語っていたとか。残暑はまだまだ厳しく、ランナーの方の体調管理には気を使われることと思います。事故のないよう走りきっていただきたいですね。


<肯定する力>
ものごとを否定することと肯定すること
どちらがエネルギーがいるだろう

誰かの額に×をつけて回るのは
たぶん簡単なこと

国が悪い、政治家が悪い、企業が悪い
親が悪い、先生が悪い、大人が悪い
社会はどんどん住みにくく悪くなっている

メディアにはこうした意見が溢れている
ほんとうにそうだろうか

百年前より今の方が酷い時代か?
うまくいっていることはアタリマエ
感謝することは忘れて不満ばかりに
目をやってしまうのはなぜだろう

否定することは実は簡単なこと
肯定する方がずっと勇気と力がいる
否定は下り坂、肯定は上り坂だ

□◆□…優嵐歳時記(2289)…□◆□

  朝風の運ぶ新たな涼しさよ   優嵐

ようやく暑さが一段落した感じです。朝の空気には、はっきり秋冷の気配があります。蝉はまだ鳴いていますが、もうすぐそれも終りだと思うと、何か名残惜しい思いがしますから、人の心理は勝手なものです。暦の上の初秋というのは、体感ではまだまだ暑いのですが、心理として秋への準備をさせる時期だという気がします。

今日の坂井泉水さんの月命日には、ZARDの36番目のシングル『瞳閉じて』(03.7.9)のカップリング曲『愛しい人よ〜名もなき旅人よ〜』について書きます。8月6日に取り上げた『お・も・ひ・で』と同様、この楽曲にも珍しく長者ヶ崎という地名が出てきます。三浦半島の葉山町にある岬で、葉山マリーナ、葉山御用邸などが近くにあります。彼女にとっては思い出深い場所なのでしょう。


愛しい人よ〜名もなき旅人よ〜



この楽曲は遠い夏の日の恋を振り返る主人公の心情を歌っています。ここで歌われる「愛しい人」はZARDの楽曲によく登場する”子どもの雰囲気を残した人”です。恋人に呼びかけるように歌いながら、その一方で自分自身をも重ね合わせている、かつての自分自身に向かって歌っている、そんな印象を受けます。こういう歌詞があるからです。

---何かに虜りつかれていた そんな夢を描いて
追いかけていたのは 遥か昔で
器用に生きれたとしても 何かを見失って
戻れない道と 決めて出てきたけれど

彼女自身の心情でしょうか。歌手になるというのは彼女の子どもの頃からの夢でした。その夢への足がかりとしてモデルをやり、模索を続けていたのがZARDとしてデビューする前の彼女の姿だった、と想像します。器用な人ではないようですし、芸能界とは無縁の家庭に生まれ育った彼女にとって、どこに取っ掛かりを見つければいいのか、見当もつかないことだったはずです。

「何かに虜りつかれていた そんな夢を描いて」というのは、坂井泉水さん自身の正直な気持ちでしょう。表現したいことがある、伝えたいことがある、それはおさえがたい衝動として内側から彼女を突き動かしました。

「虜りつかれていた」に使っている漢字が凄いですね。捕虜、虜囚のリョであり、とりこ、しもべ、という意味です。その時点ではまだ存在しないZARDというものが彼女をとりこにし、それに向かって駆り立てた、それを素直に漢字にするとこうなるのでしょう。

同じように自伝的な空気を感じる『forever you』でも

---手さぐりで夢を探していた あの日 
自分が将来(あした)どんな風になるのか 
わからなくてただ 前に進むことばかり考えていた

…と歌っています。歌手になるなんて、まして、それで成功をおさめるなど普通は夢物語です。彼女自身、通常の学校生活を送り、会社員として就職しています。デビューが24歳と比較的遅いのも模索の結果かと思います。しかし、逆にあの時までデビューしなかったからよかった、時代がZARD・坂井泉水を待っていた、そんな気がします。

「召命(しょうめい)」という言葉があります。「神の恵みによって神に呼び出されること」として聖書の中に出てきます。カトリックでは聖職につくという意味で用いられますが、プロテスタントでは、「一般の職業に、神の導きのうちに天職としてつくこと。(Vocation)」という用い方がされます。もっと平たく言うならば「それをするために生まれてきた」といえる何かです。

この曲発表の四年後には、坂井泉水さんはすでにこの世を去っています。召命を果たすために、彼女だけに見えていたゴールに向かって走り抜けた生涯だった、と思います。「名もなき旅人」とは誰なのでしょう。それは彼女自身であり、同時に聴いている人すべてなのかもしれません。

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