優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(2409)…□◆□

  帰り来る人を迎えて聖樹の灯   優嵐

俳句では、クリスマスツリーを「聖樹」といいます。同じくクリスマスケーキは「聖菓」。十七音の定型詩ならではの工夫ですね。クリスマスイブは日中も風があり、少し冷えました。冬至が過ぎましたが、本格的な寒さはこれからです。年末年始はできれば穏かに過ぎてもらいたい、と思いますがこればかりはわかりません。

自分自身でサンタクロースになり、自分にギフトを贈ることにしました。クレオロールというパイロットのゲルクレヨンです。クレヨンでありながら、透明な発色で、黒インクで描いた線を隠さないのです。もしかしたら新しい画材になってくれるかもしれません。

まだ店頭でわずかに試し描きしただけですから、どういう感じになるのかはわかりません。パイロットのHPではもっぱら幼児の描画材料という扱いです。しかし、クレパスもクーピーペンシルも立派な画材になってくれますので、あまりにも子供向けのイメージでPRするのもどうかな、と思います。


<訪問者>
アイデアが浮かぶのは
目が覚めたとき
散歩のとき
お風呂に入っているとき

回路が開いて
自分とは別のどこかにつながる

自分のアイデアなんていうけれど
実はどこかから不意にきてくれるものばかり

彼らは子どもみたいだから
堅苦しいこと強制されることは苦手らしい
気まぐれでのんびりしていて
遊びと悪戯が好き

ひょいと入ってこれるように
戸口をあけておくこと


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□◆□…優嵐歳時記(2408)…□◆□

  おだやかに晴れてやわらか枇杷の花   優嵐

暖かい日が続いています。ビワの花は白から黄白色で、直径一センチほどです。苞やがくに黄土色の綿毛があり、蕾のときはそれにすっぽりと包まれています。指でふれてみるとビワの果皮を連想します。ほのかに甘い香りがあり、バラ科です。確かに花そのものをよく見ると、サクラやウメに似ています。花の時期は11〜1月ごろまでですが、同じ木でも花房によって時期が異なります。果実は2月末からゆっくり肥大して、5〜6月に黄橙色に熟します。果実の「枇杷」は夏の季語です。


<解放への道>
本当のあなたは
あなたの記憶や心、身体、感情、思考などとは別の存在である
それらとあなた自身を混同するため
苦しみから逃れられない

あなたが見ることができるものは
本当のあなた自身ではありえない
目が目自身を見ることができないように

自分自身について知っていることは
すべて本当の自分自身ではなく
自分自身が持っているものにすぎない

自分自身ではないあらゆるもの
感情、記憶、要求、身体感覚などと
同一化し巻き込まれてしまうために
恐怖と苦悩が生れる

そこから一歩身を引き
ただあるがままに見つめる
それが解放への道


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□◆□…優嵐歳時記(2407)…□◆□ 【冬至】

  今日冬至空の明るく晴れ渡り   優嵐

冬至の昨日は暖かでおだやかな一日でした。昨夜の雨も朝にはあがっていました。今日は天皇誕生日の祝日、クリスマスイブをはさんで週末になり、来週になればもうぐっと歳末ムードが高まります。

久しぶりに妙な夢を見ていました。私はどこかの会議かシンポジウムのようなものに出席しています。そこで責任者らしい男性が心筋梗塞を起こし、私の腕の中で死んでしまうのです。私はもちろん驚いていますが、慌てたり恐れたりはしていません。夢はなんらかの暗示を与えてくれることが多いものです。あの男性は何かを象徴しているのでしょうか。人が亡くなる夢なのですが、嫌な感じというのはありませんでした。


<美しい日>
木々は完全に葉を落とし
その枝を青空に向かって差し上げている
まるで太陽を呼ぶように

風はなく暖かだ
枇杷の花が咲いている

自然歩道の木の間から
冬陽に輝く海が見えた
播磨灘のかなたには小豆島

海と島と空と森と
すべてが復活する日の光を浴びている


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□◆□…優嵐歳時記(2406)…□◆□

  薔薇一本飾りて集う忘年会   優嵐

今日は冬至です。忘年会シーズンはそろそろピークを過ぎようとしているころでしょうか。先日のアートセラピーの忘年会では、薔薇と手作りの蜜蝋の蝋燭を持ってきてくださった方がありました。これを飾るだけで、その場がぐんと神聖な雰囲気になり、いいものだなあと思いました。

火曜日は午後から雨になりました。いただきものの白菜にいただきものの塩昆布をまぜて浅漬けを作りました。もともとあまりお漬物を食べない人間だったのですが、塩昆布のパッケージにおすすめのメニューとして浅漬けが載っており、試してみました。これが意外なおいしさ。しゃきしゃっきとした白菜の冷たい歯ざわりが心地よく、残りの白菜もこの食べ方でいただこう、と思いました。


<陰陽>
明日から太陽はよみがえる
この世のすべては
陰陽が入れ替わる波

夜がなければ昼はなく
下がなければ上はない

陰が極まれば陽が芽生え
陽が極まれば陰へと転じていく
その変化こそ永遠に変わらないもの


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□◆□…優嵐歳時記(2405)…□◆□

  境内に人の声あり焚火の香   優嵐

日曜日のアートセラピーの後、忘年会をやりました。その前に行ったワークについて書いておきます。最初は四つ切の紙にクレヨンで数字の8の形の図形を描くというものでした。この三ヶ月のワークは「呼吸」がテーマでしたので、呼吸に意識を向けながら、描きます。

これまでも○や楕円などを描いてきましたが、今回は8との微妙な違いを感じとりながら描いていきました。8の場合他の図形と大きく違うのは途中でねじれて交差するということです。この日、描いた図形は中心がやや左にずれており、それ以前の振り返りで話したことが心にひっかかっていた影響かもしれない、と思いました。

単純な図形ながら、こういうものを継続して描けば、そのときの自分の感じ方、呼吸、描いた図形の変化を見ていくことができます。お手玉にもそれは通じていて、簡単なことを継続してやり、そこに生れる変化を見ることが重要です。

もうひとつはこの8の形を中央で交差させながら、上下の大きさを次第に変えていくという形を描きました。ちょうど蝶の翅か口を開いた二枚貝のような形になります。かなり意識的に描いていかないと、何本か線が重なるうちに今どこを描いているのか、次はどの線に移るのかよくわからなくなります。

先ほどクレパスを使ってB2のクロッキーブックに8を描いてみました。右手で描く場合、やはり中心が少し左にずれます。身体の癖でしょうか。身体全体を使って描くようにすると描きやすいように思います。しばらく8を描いてみるのもおもしろいかもしれません。

忘年会では豆乳鍋を作って食べました。外食ではなく、自分たちで作って食べると安くてたっぷり食べることができます。お米や野菜を持ってきてくださった方もあり、とても食べきれないくらいの量になりました。満腹・満足で家路につきました。


<根源的欲求>
知りたいのは
自分が誰かということ

名前や役割で呼ばれる何かではなく

自分がどこからきてどこへいこうとしている
何者なのかということ

ただそれだけなのだ


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□◆□…優嵐歳時記(2404)…□◆□ 

  枕木に霜おく単線列車かな   優嵐

朝は晴れて気温が下がり、霜がおりていました。日曜日は、アートセラピーのために大阪へ行きました。いつもその日のワークを始める前に前回の振り返りと今日までの間に気づいたことについて話をします。私自身はワークそのものよりも、それによって触発されて日々の生活の中で起きてくる気づきが、自分にとってはアートセラピーのポイントかもしれない、と感じています。

前回、リズ・ブルボーの『私は神!』という本を紹介していただきました。この本を読む前に偶然ケン・ウィルバーの『無境界』を読み、ウィルバーが示唆していることは「私は神」という言葉に近いのではないか、と思いました。ウィルバーは何世代にもわたる智慧の探求者たちの言葉を、現代人にあうようにまとめています。

それは、私たちすべてに共通するひとつの<自己>ないし、<観照者>があるということです。私たちの身体も記憶も思考も日々変わっていきますが、それでもそういう変化に影響されないものが内側にあります。その深い内的感覚、あらゆる変化から自由である何ものかは、自分の記憶でも思考でも心でも身体でもありません。その何ものでもない「何か」は実際何なのか。

これが「神」と呼ばれるもの、仏教徒が「空」と呼ぶもの、多くの宗教でいろいろな名前がつけられている超越的自己である、とウィルバーは書いています。このことは私にとっては大変納得できることであり、そのことについて話したのですが、どうも、うまく伝わりませんでした。

言葉はもどかしい道具であり、結局こういうことを的確に伝えること、理解を共有することはなかなか困難なことだと知りました。自我やハイヤーセルフといったものについても話すのですが、こういうことも話せば話すほど誤解が重なると思わざるをえませんでした。コミュニケーションの難しさ、特に実際に目の前に出して指し示すことができないものに関して共通理解を持つというのは実に難しいことであり、言葉の虚しさを痛感しました。


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□◆□…優嵐歳時記(2403)…□◆□

  枯木立明るき空へ立ちにけり   優嵐

葉を落とした落葉樹がひとかたまりになっているのを「枯木立」といいます。瀬戸内では冬は晴天の日が多いため、こうした木々の向こうにからっとした青空が広がるのが私たちにはもっともおなじみの冬の空です。

随願寺の境内ではボランティアのみなさんがお掃除をされたらしく、おもだったところから落葉がきれいに除かれ、掃き清められた箒目が残っていました。こういうのを見ると、すがすがしい気分になります。どこかから落葉を焚かれている香りが漂ってきて、いいものだな、と思いました。


<花開く季節>
薔薇を描きながら
その中心に畳まれた花びらを見て
梅の蕾を思い出した

そうだ梅もバラ科だった
梅林の花芽はまだ硬い鱗片に覆われている
それでもそこから花の色が透けて見える

内側から湧き出るように開いていく花
厳しい寒さを越えれば
そこに花開く季節


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□◆□…優嵐歳時記(2402)…□◆□ 

  葉牡丹の渦が並んで陽を浴びる   優嵐

歳末からお正月にかけて、花が少なくなる中、主役になるのが葉牡丹です。近所の道路脇の花壇にも先日葉牡丹が植えられました。この花壇、夏にも花が植えられますが、全く手入れされないため、すぐ雑草に埋もれてしまいます。毎年、その雑草をきれいに刈ってならし、その後にずらっと葉牡丹が並びます。これを見ると、お正月が近い、と感じます。

葉牡丹はアブラナ科でキャベツの仲間です。色づいた葉が牡丹を思わせることからこの名がつきました。二月ごろまで美しさを保ち、春になると茎が塔のように高くなって、アブラナ科でお馴染みの黄色い花を咲かせます。原産地の西ヨーロッパでは野菜として栽培されていました。江戸時代の初めにオランダを経由して日本に入り、オランダ菜と呼ばれたそうです。観賞用として品種改良されたのは明治に入ってからのことです。


<連凧>
間もなく新しい年がやってくる
過ぎていこうとする一年に感謝し
やってくる年を迎える計画をたてよう

わかっているのは
計画通りには絶対にならないということ
人生はブラックボックスから出てくる
不ぞろいな連凧のようなもの

ひとつひとつ違っていてそれでも連なっている
出てくる限りはハラをくくって
それを大空へあげよう


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□◆□…優嵐歳時記(2401)…□◆□

  冷たさに向かいて坂を登りけり   優嵐

木曜日は朝から曇ってお昼でも外気温は五度しかありませんでした。散歩に行った増位山では二度でした。風はなく、空気全体が冷えているという感じです。十二月も半ばを過ぎ、暖かい瀬戸内でも冬らしい気温になってきました。それでも頂のまわりではまだハゼノキが鮮やかな紅葉を残しています。

初めてiPadの実物に触れました。知り合いの人が持っているのを触らせていただいたのですが、想像以上に画面が美しいのにびっくりしました。薄くて軽く、まるで雑誌かノートのようです。難しい操作は不要で、しばらくすればすぐ慣れるでしょう。キーボードがありませんから、長い文章を作るような仕事には不向きですが、何かを見たり調べたりすること、つまりテレビや書籍と同様の用途にはぴったりだと思いました。


<あたりまえすぎること>
臓器移植が難しいのは
免疫がそれを許さないからだ
自己と非自己を峻別する

それなのに
何日か前に食べた豆腐や魚が
いつの間にか「自己」になっている

なぜ臓器は拒絶されるのに
食べたものは拒絶されないのか
あたりまえすぎて誰もそれを問わない

豆腐を「私」に変えるものは何なのか
その関門を通れば自己と非自己の区別は無い


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□◆□…優嵐歳時記(2400)…□◆□

  枯枝の交わす模様が空に透け   優嵐

この「枯枝」も「枯木」と同じで葉を落としてしまった落葉樹の枝のことで、枯れてしまった枝ではありません。アベマキ、コナラ、カエデなどはほぼ落葉を終りました。青空を背景に見事なシルエットを作るこれらの枝は冬の美のひとつです。これらの枝の走り方に、川筋や血管といったものとの共通性を感じます。こういう形がもっとも理に適っているのでしょう。

今、ケン・ウィルバーの『グレース&グリット』を読んでいます。しばらくあまり本は読まないだろうと思っていたのですが、彼の『無境界』を読んでとてもおもしろかったので、こちらも読んでみることにしました。乳がんで亡くなった妻のトレヤについて書かれています。

新婚五日目で悪性の乳がんが見つかり、五年の闘病の後世を去った彼女と、トランスパーソナル心理学最大の論客といわれるケン・ウィルバーとの言葉が記されており、よくある闘病記とは少し趣が違います。まだ四分の一ほどしか読んでいませんが、いろいろ教えられそうな本です。


<本末転倒>
科学や論理は「地図」である
この世の限定された何ごとかに関して
行き先を教えてくれる有効な道具

しかし地図は地図であり
地形そのものではない
そのことを理解していなければ
地図に描けないのは地形が間違っているという
妙な話になる


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