優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(1924)…□◆□

  ヘッドフォン外せば虫の夜となり   優嵐

音楽はもっぱらヘッドフォンで聴きます。昼間は外部の騒音を避けるためにインナーヘッドフォンを使います。近所の改築工事の音さえほぼ遮断してくれますから、凄いものだなと思います。夜はこちらの音を部屋の外に漏らさないようにオーバーヘッドフォンを使っています。どちらも付け心地がいいので重宝しています。

夜、ヘッドフォンを外した瞬間、虫の声が聞こえてきました。こういう瞬間が好きです。季節の微妙な進み加減を瞬時に教えてくれる何か。大げさですが、こういうのが生きている喜びじゃなかろうか、と思ったりするのです。

部屋から見える山の緑の感じがどことなく変ってきたのにも気がつきました。もう夏の「万緑」といった強く輝くような緑ではありません。ゆっくりと帰り支度を始めた、そんな趣があります。


<単純に>
かんじんなことは 
とても単純な姿をしているのかもしれない
誰もが難しく考えすぎて
罠におちこんでいる

近くで見すぎると何がなんだか
わからなくなってしまう
少し離れてみよう

転びたくない落ちたくないと
身体をかたくすると
しなやかさが無くなってしまう

だけど
素直に単純にものごとを見るのは
実は一番難しい

おさなごころを
人がいつか失ってしまうように
もしかしたら
失ったことさえ忘れている
思い出してごらんよ


090827

□◆□…優嵐歳時記(1923)…□◆□

  燕はや去りにし空の広さかな   優嵐

燕が旅立ったようです。近所の軒先を飛びまわっていた今年生れの燕たちは今頃どこを飛んでいるのでしょうか。やってくるときは姿を見るのを楽しみに、今か今かと待ち構えているのですが、去ってしまったときは、「あ、姿が見えないな」と何日かたってから初めて気づきます。

小中学校はすでに二学期が始まっているようです。兵庫県は新型インフルエンザの影響で一学期に一週間臨時休校しましたから、それを補うためでしょう。夏休みの作品を抱えた小学生が登校しているらしい姿を見かけました。


<何もかも>
ハイヒール
マニキュア
イアリング
パンティストッキング
みんな苦手だった
脱ぎ捨てた
何もかも

090826

□◆□…優嵐歳時記(1922)…□◆□

  秋天を映して青し播磨灘   優嵐

季節の移り変わりは的確です。梅雨が長く盛夏が短かったのですが、秋の歩みは例年どおりのようです。日本の季節を最も確実にあらわしているのが二十四節気だと言われています。処暑をすぎ、昨日は風が爽やかに吹き渡り、森を歩いていてもあまり蒸し暑さを感じませんでした。

風があったせいで雲も空気中の靄も吹き払われて真っ青な空が広がり、頂上からは播磨灘全体がくっきりと見渡せました。こんな日にはつくづく日本は美しい国だと思います。人が住む場所でこれほど美しく変化に富んだ環境に恵まれた国はそんなにないのではないでしょうか。緑に覆われた山々、清流、海、細やかな四季の移り変わり…。

ヨーロッパへ飛行機で行くとき、新潟あたりから日本海を飛び越しユーラシア大陸に入ります。ここからヨーロッパのどこの国へ降り立つかで飛行経路は多少異なりますが、大半はユーラシア大陸の人影もまばらな山脈の上を飛んでいきます。

ときおり村か町が見える時がありますが、ここに暮らしている人たちは一生海をみることは無いのかもと思ったりします。狭くなったとはいえ、地球は生身の人間にとっては広大です。日本列島がどれほど恵まれた位置にあるか、地図を開いてみると驚きます。


<風が変った>
風が変った
それをわたしは何で感じるのだろう
風の音?
風の色?
風の匂い?
風の感触?
風の味?
そのいずれでもあるようなないような
曰く言いがたく
それでも確実に風は変った

090825

□◆□…優嵐歳時記(1921)…□◆□

  空さらに透きとおりたり処暑の朝  優嵐

昨日は二十四節気の処暑でした。日中の残暑もまだ少しはありますが、さすがにもう秋の姿をそこここに感じることができます。今年は遅い梅雨明け、冷夏で夏の商品は軒並み売りあげが落ちたそうです。エアコン、ビールなどすべて二桁台の売れ行きダウンとか。

93年の夏に似ているという話を聞きました。冷夏で米が不作になった年です。今年も水害や冷夏でお米の作柄はあまりよくないようです。地震も多いですし…。


<ひっそりと>
遠くで花火があがっている
夏休みももう終り
桜の葉が色を変え始めた

最初に散るのは桜紅葉
花と違ってひっそりと
誰にも内緒で散りたいみたい

いつも注目されていたんじゃ
疲れちゃうわと桜は言った
秋は楓さんや銀杏さんに譲るのよ
いい心がけだね

090824

□◆□…優嵐歳時記(1920)…□◆□

  秋茄子の不ぞろいなるも強靭に   優嵐

お盆にもらった茄子は形も大きさもばらばらでした。表皮がかなり頑丈でなまくらな包丁ではすぱっと切れず、研ぎなおしました。刃の当て方がポントだったのでしょう。しかし、味は上等でした。新鮮なのが何より。

「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあります。意味は「茄子は身体を冷やすから」というのと「秋茄子はおいしすぎて嫁に食べさせるのはもったいない」という二つの説があるそうです。さて、どちらが真実でしょう? おいしいから食べさせたくないというのは、なんか悲しいですよね。

「四書五経」シリーズの続きを読んでいます。いずれも目的としているところは、いわゆる修身です。戦前の軍国主義みたいな響きですが、実際は「自分の身を修める」ということです。自分の身をどのように処すべきか、そのヒントを示しています。


<鏡>
自分の顔を鏡に映す
自分の全身を姿見で見る
三面鏡なら自分の横顔さえ見られる

自分の心は何で見よう
傲慢ではないか
卑屈になっていないか

自分の心を映す鏡は
自分で見つけてくるしかない

090823

□◆□…優嵐歳時記(1919)…□◆□

  飛べ蝗天地に広く風の吹く   優嵐

蝗(いなご)はバッタ科に属する黄緑色の昆虫です。バッタよりやや小さく、稲の害虫です。かつては食用にもなり、戦中戦後の食糧難の時代には炒ってつけ焼きにしたり佃煮にして食べられたといいます。現在でも郷土料理として食べられているところもあります。味はエビに似ているそうですから、機会があれば一度食べてみたいものです。

初めてセルフサービスのガソリンスタンドで自分で給油しました。いつもオートバイに給油していたスタンドが先日セルフ化したのです。給油ノズルを台座から外すときにレバーを握ってしまい、ガソリンが漏れ出して驚きました。大事にはならず、これからは大丈夫。


<ぽつぽつ>
何かがうまくいった時って
うれしいよね
ほんのささいなことでいい

成功体験はどでかいものが
たまにあるより
ちょっとしたものが
ぽつぽつある方がいい

だってひとつの出来事の
うれしさはそんなに変らない

090822

□◆□…優嵐歳時記(1918)…□◆□

  秋暑し森を満たせる蝉の声   優嵐

森に散歩に行くと、まだまだ蒸し暑く汗びっしょりになります。蝉が森を包み込むように鳴声を響かせています。森全体にはいったいどれほどの蝉がいるものなのでしょう。すでに命を終えて道に落ちている蝉もよく見かけます。遺骸はさらに小さな動物によって食べられ、微生物によっても分解されていきます。これらすべてが食物連鎖でつながっているのです。

お盆で田舎へ行ったときにいろいろ野菜をもらって帰ってきました。とれたての野菜はやはり味が違います。家庭菜園で野菜作りに精を出されるというのも理解できます。丹精込めて育てれば野菜もいとおしいものでしょう。もらってきた野菜の中の茄子がおもしろい形をしていたので、写真をとりました。まるで横顔のようです。


<さあもう一回>
失敗は成功の母
エジソンは電球を発明するまでに
千回失敗したという

千回も失敗する忍耐はないけれど
一度や二度であきらめていてはだめ
もう少しで手が届きそうなんだから

090821









□◆□…優嵐歳時記(1917)…□◆□

  新涼に墨痕あざやか荷の届く   優嵐

目が覚めたとき、人に頼まれてすっかり忘れていたことを突然思い出しました。明け方の夢の中で、翡翠でできたような回廊を歩いていたのですが、それとは全く関係のない頼まれごとです。人の記憶のメカニズムには自分のことながら不思議だと思うことがよくあります。何がどこでどうつながってそういうことになるのか、論理的には説明できません。

起きぬけに思い出したおかげで迷惑をかけずにすみましました。無意識領域には私の知らない別の個性が何人もいるのでしょう。本人はそれを意識できない。通常の生活を送っている場合、それは表面に現れないのでしょうが、多重人格という症例になると、それが表面化してくるのかもしれません。


<深淵>
ほんとうのわたしは
バウムクーヘンのようなもの
モザイクのようなもの
万華鏡のようなもの

何層にも重なり
いくつものピースが組み合わされ
瞬間瞬間に色形が変っていく

誰もがそうだとしたら
わたしはあなたのことを
どれだけ知っているだろう

深淵を覗き込めば
知らなかった幾人ものわたしが
そこにいる


090820

□◆□…優嵐歳時記(1916)…□◆□

  秋めきて穏かにあり朝の川   優嵐

夜、あたりが静かになると虫の音が聞こえてくるようになりました。昼間はまだ蝉がにぎやかですが、夜はすっかり秋です。窓を開けて眠っていると朝方は風が涼しすぎて目が覚めることがあります。空の一画にはまだ入道雲の姿が見えますが、空の高いところは秋の雲が出ていて、空でも夏から秋へと季節が移り変わっています。


<お母さんの味>
友だちから絵本が届いた
信州小布施にあるチェルシーバンズという
パン屋さんのお話

昭和の初め、結核療養所を作るために
カナダからきたひとりのナースがいた
彼女から伝えられた味

結核で苦しむ人を救いたいとの熱い思いを胸に
貧しい東洋の異国へやってきたミス・パウル

ここにもひとりのナイチンゲールがいた
義を見てせざるは勇なきなり
言葉や肌の色が違っても
愛情、熱意、まごころは伝わる

そして多くの結核患者が救われた
その熱い思いがチェルシーバンズになって
今に伝えられている
ふるさとカナダのお母さんの味

090819

□◆□…優嵐歳時記(1915)…□◆□

  施餓鬼会の玉蜀黍をいただきぬ   優嵐

増位山随願寺では昨日、施餓鬼会がありました。午後、散歩に行ったらお供物の玉蜀黍をお土産にいただきました。ご住職の友人で北海道にお住まいの方が送ってくださったものといいます。甘くておいしかったです。

施餓鬼とは供養されずに餓鬼道にさまよう無縁仏に対して仏恩を施すことで、お寺の重要な年中行事のひとつです。かつては一般の行事として水死人を弔う「川施餓鬼」「海施餓鬼」というものもあったようですが、今はほとんど行われることはなくなっているようです。

<みずみずしく>
お盆明けは野菜がたっぷり
叔父丹精のトマトにきゅうりに茄子
みずみずしくてぱりっ
細胞のひとつひとつがまだ生きている
太陽の匂いが残っている

090818

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