優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

蛙の子
突然、夏です。昨日の真昼は増位山山上駐車場の外気温が33℃ありました。車の温度計ですし、アスファルトの駐車場ということを差し引いても30℃近くは確実にあったと思います。残暑が厳しかった一昨年の秋、突然、気温が下がって一週間で秋らしい秋が終わってしまったことを思い出します。今年の春もそれに似た感覚でした。

ゴールデンウィークでいろいろな催しがあるようです。随願寺にもハイキングの団体が来られていました。その声を聞きながら放生池の畔を歩いていると、先日オタマジャクシの集団を見たあたりに再び黒い塊があります。またまたオタマジャクシでした。

今回は池の水辺まで降りていき、ひしめきあっているオタマジャクシたちをそばで観察しました。池の中央に近いところの集団は水の深さがある程度あるため、すでに広がり始めていました。しかし、水際の二つの集団は押しくら饅頭状態です。落葉でオタマジャクシを掬い上げることができました。黒豆に尻尾がついたようです。

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緑立つ
芽吹きのシーズン、松も新芽を出しています。これを「若緑」「初緑」といいます。「緑立つ」とは、木々の新芽が出ることですが、季語では松の新芽を意味します。春の終わり、枝先から細長い緑の芽がまっすぐに天を指して伸びます。今は松のそばへ行くと清新な香りがします。花の香りとはまた違う、気持ちをしゃきっとさせるような香りです。

ブログのサイドバーの表示を一新しました。月別アーカイブが開閉式表示できるようになったので、それを使うことにしました。2004年からブログを書き始めたため、アーカイブの表示が非常に長くなっていました。開閉式にすることにより随分すっきりしました。

これを機会にブログパーツも整理して最低限のものだけをサイドバーに置くようにしました。これまでいろいろなブログパーツを使った結果、自分自身はミニマム表示が好みだということにようやく気づきました。他の自分のブログもこの考え方に沿って整理しています。

サイドバーに関して、最初は使えるものは全部置きたいと考えがちでした。8年ブログをやってわかったのは、いかにたくさん表示するかではなく、できる限り表示するものを絞る方がいいということでした。簡単なことですが、それに気づくのに時間がかかりました。

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水草生う
金曜日は雨上がりのあとの快晴の空が広がっていました。もう暑さを覚えるほどです。山は若葉が輝くようです。今日からゴールデンウィーク、最近は秋にも連休ができてシルバーウィークと呼ばれています。どちらも行楽には最適のシーズンです。

放生池ではコウホネの若葉が広がり始め、亀がのんびりとその間へ浮かんでいました。亀自身は別にのんびりしているつもりはないと思いますが、見ている方はそういう印象を受けてしまいます。

昨日、新しい画材として、リキテックス・リキッドを試しました。インク状になったアクリル絵具です。スポイトつきのガラス瓶に入っていて、そうと言われなければ単にインクだと思うでしょう。これを万年筆に入れて描けないものかと考えています。

今は線描にプラチナのカーボンブラックを使っています。これでもいいのですが、リキテックス・リキッドは基本的に絵具です。ジェッソで地塗りしたボードに描くにはこちらの方が適しているだろうと想像できます。もし万年筆で問題なく描けるなら、安価なジュニア用の万年筆にそれぞれの色を入れて描くのもいいです。

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◆春の森
木曜日は雨になりました。お昼ごろいったんやんで山へ散歩に行きました。緑はどんどん成長しています。常緑樹も今は葉が入れ替わる時で、枝の先にやわらかい新葉を出しています。淡い緑であったり、やや赤みを帯びていたりと木によってさまざまです。

水曜日にオタマジャクシを見た蛇ヶ池の水面を覗き込んでいると、カルガモのつがいが頭上を越えてざぶんと目の前に着水しました。最初は人を警戒していたようですが、最近では慣れたのか逃げません。雨で池の水かさが増し、やや濁っているせいもあってオタマジャクシの姿は見られませんでした。

もう一方の、オタマジャクシが満員電車のようになっていた放生池にも黒い塊はもうありませんでした。水面に水草の若葉がぽつぽつと広がり始めています。ここは夏になると水面をびっしりとヒシが覆います。冬はすっかり姿が消えていました。山が若葉の時は水辺も若葉時なのです。

梅林の中にある小さな水溜りのような池も念のために覗いてみました。ここは冬場は水がほとんど無くイノシシが泥浴びをする場になっています。いまはそれなりに水がたまっています。オタマジャクシの姿はありませんが、目を凝らしてみるとどうやら蛙の卵らしいものがあります。黒い小さな個体が中に見え、近いうちに孵化しそうです。

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蝌蚪
蝌蚪(かと)とはオタマジャクシのことです。俳句では言葉が長いので一般に中国語に由来するこの言葉を使っています。増位山の蛇ヶ池の周辺で池のすぐそばに生えているタンポポを見ていると、その下の水面を動く影がありました。小さなオタマジャクシです。オタマジャクシを見たことなんて久しくありませんでしたから、「おおっ」と感激してしばらく水面に見入っていました。

一斉に孵化したものが周辺にたくさん泳いでいます。蛙の種類がなにかはわかりませんが、ここで見たものは小さな蛙の子どもだろうと思いました。小判型の頭にちょろっと尻尾がついていて、それをちろちろと振って泳ぐさまがとてもかわいらしく、お腹についている吸盤で池の石垣にくっついていたりもします。

山をぐるっとひとまわりして、本堂の下にある放生池のかたわらを通ると、水面のところどころに黒い塊が見えます。双眼鏡で眺めて見たら、なんとこれはオタマジャクシの群れでした。孵ったばかりなのか、水揚げされたイワシの群れほどのぎゅう詰め状態です。枯葉や枯れ枝に邪魔されてなかなか池の中心部へ向かえない群れもあるようでした。

IMG_3586<命>
今日孵ったオタマジャクシは何匹いただろう
あの無数の黒い塊の中から
生き残って蛙になるのはほんの数匹
多くの生き物が彼らを目指してやってくる

彼らすべてを生かしておくようには
自然はできていない
彼らによって支えられる命がたくさんある
死は別の生を支え
姿を変えながら永遠に続いてゆく


小楢芽吹く
コナラがいっせいに芽吹き葉を展開しています。コナラは芽吹いた直後の色が独特です。やや緑がかった白銀とでもいえばいいような、このときのコナラにしか見られない色です。自然の中の色は実に豊富で、新緑のころの緑は特に素晴らしく、いくら見ていても飽きません。あれは色のバリエーションもさることながら、芽吹く木々の生命の勢いがそこにあることも大きいのだと思います。

コナラは芽吹いて葉が展開していくと同時に花も咲かせます。雌雄同株・雌雄異花で、よく目立つのは長く垂れ下がっている雄花序です。桜や梅のような美しい花ではなく、気をつけて見てようやく花とわかる程度です。それでも双眼鏡で花のあたりを見ていると小さな虻か蜂のような虫がたくさん飛び回っていました。

昨日はいいお天気でしたが、黄砂で遠くの景色は霞んでいました。平地ではヤエザクラが満開です。市川の川原に菜の花が今年は目立つと思っていたら、夢前川でも同様でした。

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山吹
ヤマブキは晩春のころ低山の林の縁に群生して黄色い花を咲かせます。明るい黄色が好まれるのか、八重のものが庭に植えられたりしています。樹木ですが、茎は細くてやわらかく先端は垂れてきます。ソメイヨシノよりやや遅く咲きながら桜前線を追うように北上します。

増位山随願寺の一角にもヤマブキが咲いています。ソメイヨシノが散ったあと、今日は近くでシャガが咲き出しているのを見つけました。週末の風雨もあり、ヤマザクラは完全に花を落としきっていました。ソメイヨシノもほぼ葉桜です。オオシマザクラもほぼ花は終わりでした。残っているのはシダレザクラの一部、さらに最も遅く咲くカスミザクラがちらほらと花を咲かせ始めていました。

月曜日は快晴で、山は萌えだした木々の緑が明るく陽に映え、心が浮き立ってくるような情景でした。カエデも葉を広げ始めており、それを横から下から眺めて滴るように新鮮な緑を堪能しました。

IMG_3534<豊かさ> 
物や金をたくさん持っている人間が
豊かな人ではない
時間と空間を持っている人が豊か

「つながり」も同様
トモダチが大勢いる人より
ひとりで充足できる人が豊か

春筍
筍は竹の地下茎から出る新芽です。初夏が最盛期ですが、発芽時期の早い孟宗竹などは、西日本では春の終わりごろから食べられます。地上に顔を出す前に掘られるのでやわらかく美味です。この筍を輪切りにしてさっと煮たものをいただきました。筍のおいしさはほどよい歯ざわりです。

子どものころは筍をはじめ山菜類はみんな苦手でした。あんなものどこが美味しいのかと思っていましたが、今はおいしいと感じます。味覚は変わります。それと同じようにすべて変わっているのです。子どものころ美味しいと思ったお菓子など、今同じものを出されても、とても食べる気がしないだろうと思います。

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桜蘂降る
近所のソメイヨシノは花の時季を終え、蘂を落としています。市川の川原では菜の花の黄色が鮮やかです。例年よりも花が多く見えるのは、昨年秋の大水の影響かもしれません。平地では八重桜が咲き出しています。少し暑さを覚えはじめる春の終わりの時期に、あの厚みを持った花の美しさはふさわしく感じられます。

IMG_3481<メッセンジャー>
神様の声を聴くことができるのは
特別の能力を持った人だけではない
誰もが常にその声を聞いている

聞いてはいるのだが
多くの場合それと気づかない

情報を追いかけるのではなく
向こうからやってくる偶然に耳を澄ます

神様は空の上にいる老人ではなく
この世界に満ち溢れている
だから
どんなものでも
メッセンジャーになりえる


黄蝶
金曜日は雨が降ったりやんだりのはっきりしないお天気でした。散歩には出かけませんでしたので、この句は木曜日の情景です。ヤマザクラの白い花びらが絶え間なく降るなか、それに溶け込むように飛んでいました。雨でヤマザクラはかなり散っただろうと思います。

先日大阪で購入したアクリルジェッソをMDFボードに塗りました。これまで下塗りには建築用の水性アクリル塗料を使っていました。絵画用のジェッソとどのように違うか試してみようと思いました。

IMG_3428<人間らしさ>
動画サイトを見ていると
随分ばかばかしく思えることを
まじめにやっている映像がかなりある
それを面白がって大勢の人が見ている

何の役に立つのかさっぱりわからないことを
せっせとやるのが
もしかしたら最も人間らしいことかもしれない


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