優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(308)…□◆□

   新しきノートに記すお元日   優嵐

大晦日の雪がまだあちこちに残ったままで新年を迎えました。
しかし、不思議なもので年があらたまるとなにかすべてが新鮮
な光の中にあるような気がします。俳句でも春・夏・秋・冬
の四季のほかに、お正月関連の晴れやかな季語集めて、「新年」
として別の枠に入れています。それほどお正月は日本人にとって
特別な意味を持つ季節なのですね。

新年から万年筆の手書きで日記をつけていくことにしています。
日記はそれほど苦もなくつけられる方で、高校1年生の夏から
書き始めた日記を卒業までほとんど途切れることなく書いた
経験があります。パソコンで日記をつけたこともありますが、
今回の動機は手書きをする、ということですから、一字一字
ノートを埋めていこうと思っています。

□◆□…優嵐歳時記(307)…□◆□

   雪だるまボンネットにある大晦日   優嵐

今朝未明から昼過ぎまで姫路は雪が降り続きました。一時は
積雪が10cmくらいはあったと思います。こんな大晦日は経験が
ありません。おかげで新年を迎えるべく予定していたホテルの
宿泊をキャンセルせざるをえませんでした。無理をして出かけ
て渋滞の中で身動きがとれなくなったり、事故に巻き込まれる
ことを心配しました。この雪でかなり帰省の足に影響が出たの
では、と思います。

お正月というのは、子どものときほどもはや特別なものでは
なくなってしまいました。しかし、大晦日の夜というのは、時
の流れにあらためて思いをはせるひとときです。歩み去って
いく2004年とやってくる2005年。新しい年がどのようなもの
になるか、誰にも予想はつきません。しかし、みな「いい年で
ありますように」という思いは変わらないのでは、と思います。


□◆□…優嵐歳時記(306)…□◆□

   語ることいろいろありし小晦日   優嵐

29日に今年最後の忘年会に行き、話がどんどん弾んでついに深夜
営業の喫茶店で朝方までねばってしまいました。まるで学生の
ころのようです。東京では初雪ですね。帰省される方の足に
影響がなければいいのですが。

「小晦日(こつごもり)」とは12月30日のことです。もともと
晦日(みそか)は陰暦の月の末の30日を指したもので、12月29日
のことでしたが、それが陽暦に転用されたものです。大晦日とも
なれば、もう本当に年の押し詰まった感じですが、その前日には、
まだ日常生活が普通に営まれている雰囲気が残っています。

□◆□…優嵐歳時記(305)…□◆□

   忘年会締めはプリンアラモード   優嵐

一年の苦労を忘れる意味で、親族や友人、知人が集まって宴を
張ることを「年忘れ」といいます。すでに室町時代の文献に
「年忘」の記述があります。「忘年会」ということばが登場し
たのは明治以降で、すっかり歳末の行事として定着しています。
職場を単位としたものが最も多いでしょうか。

寒いシーズンですから、みんなで鍋物を囲んだりすることが
一般的ですが、お酒を飲まない人は最後にちょっと甘いデザート
がほしくなります。アイスクリームやパフェなどがいいようです。
今夜は大阪で今年最後の忘年会です。

□◆□…優嵐歳時記(304)…□◆□

   もういくつ寝るとて年を惜しみけり   優嵐

今日は仕事納めでした。といっても特別なことをするわけでは
なく、同じ仕事場の人に「よいお年を」といって別れるだけの
ことです。2005年は元日が土曜日であるせいか、休日が短い
感じがします。

「年惜しむ」とは、一年を振り返って、その年が過ぎ去っていく
ことを惜しむ気持を表した季語です。あっという間に過ぎ去った
ような一年でも、しみじみと思い返してみるといろいろなことが
よみがえってくるものです。それらに思いをはせ、過ぎ去って
いく日々を惜しみます。ふとわきおこる寂しさを感じ、去りゆく
年を送るにふさわしい季語です。

□◆□…優嵐歳時記(303)…□◆□

   初霜の郵便ポストに投函す   優嵐

暖かい12月でしたが、それでもクリスマス前あたりからは
さすがに朝晩の冷え込みが本格的になってきました。朝方、
布団のなかにいても、これはなかなか冷え込んでいるのでは
と思ったところ、氷点下でした。一面に霜がおりています。
出勤する身に寒いのはちょっとつらいですが、やはり冬は
こうでないといけません。

初霜の降る時期は南北に長い日本列島では随分と差があり、
沖縄などでは霜は降らないのかもしれません。北海道で例年
10月上旬、四国では12月下旬から1月上旬だということ
です。

□◆□…優嵐歳時記(302)…□◆□

   日の色の見る間に冷めし冬野かな   優嵐

いいお天気が続く姫路ですが、午後になると雲が出てきます。
冬ならでは、という空模様です。日が短いので、そうこうして
いるうちにあっという間に夕暮れがやってきます。「冬野」は
冬の野原のことで、田畑も含めて広い意味があります。枯れた
冬の野原にあたる日ざし、それもすぐに翳って寒々とした景色
です。

クリスマスが過ぎ、街は年の瀬のあわただしさに流れています
が、目を自然に転じれば、枯れの中でものみなすべてがゆったり
と休息しているという印象を受けます。忙しいのは人間だけ
なのですね。

□◆□…優嵐歳時記(301)…□◆□

   祈りという言葉親しきクリスマス   優嵐

ふだんの生活の中で「祈る」などということはまずありません。
無神論者というわけではありませんが、神仏への強い信仰心が
あるわけでもありません。無神論というのは一種の宗教だという
言葉もきいたことがあります。要するにあまり神さまのことなど
考えずに日々を送っているということでしょう。

そんな私でも何かの区切りのときには「祈る」ということを思い
出します。一度だけ、クリスチャンの友人に連れられてクリスマス
ミサに行ったことがあります。サンタクロースやらクリスマス
ソングとは異なる「祈りのクリスマス」を初めて体験した夜で
した。

□◆□…優嵐歳時記(300)…□◆□

   校舎入れ山も入れたり大縄跳び   優嵐

子どものころ、冬になっていつも校庭で夢中になって遊んだのは
大縄跳びでした。ただ単に跳ぶのではなく、跳び方や入り方を
工夫したり、一度に跳ぶ人数を変えたり、30回跳んで校舎一周
などという過激なものもありました。子どもはああいう遊びの
ルールを考える天才だな、と今振り返っても思います。

縄跳びは身体を温めてくれました。それだけ激しいエアロビクス
だったということなのでしょうが、ただおもしろかったという
ことしか記憶にありません。ひとりでする縄跳びもそれはそれで
楽しく、時間を競ったり技を競ったりしたものですが、それより
も私にはやはり大縄跳びの思い出が一番です。

□◆□…優嵐歳時記(299)…□◆□

   風邪の神に声をとられておとなしく   優嵐

今週始めから風邪気味でした。もともとよく風邪をひくほうなの
ですが、ここ1年半ほどご無沙汰だったので、少し油断していま
した。火曜日からかなり本格的な風邪だな、と思っていたのです
が、水曜日は出勤しました。喉の調子がおかしかったのに、大丈
夫とたかをくくっていたら、夕方からほとんど声がでなくなって
しまいました。

今日は一日家にいました。もう熱はありませんし、回復過程に
入っていると感じています。しかし、まだ声はほとんど出ません。
昨夜はハスキーだったのが、今はささやき声しか出てこないの
です。喉の安静が大事でしょうから、無理に話すことは禁物です。
それにしても「たかが風邪」とあなどるといけませんね。

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