優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

□◆□…優嵐歳時記(436)…□◆□

  未熟なることを楽しむ夏浅し  優嵐

物事を習得していくとき、もっとも楽しいのは、目標が
見えていて、そこへ少しずつ近づいているのがわかるとき
です。自分の実力からあまりにも遠いところではやる気が
失せますし、簡単すぎると物足りなくておもしろくなく
なってしまいます。このあたりの加減が難しいところです。

「夏浅し」は新緑の美しい夏のはじめを表す季語です。
たしかに夏ではあるけれど、夏本番というには早い、そう
いう感じです。

□◆□…優嵐歳時記(435)…□◆□

  芍薬の一輪残して摘み取られ  優嵐

私の家の近所にシャクヤクを栽培している園芸農家が
あります。シャクヤクの原産地は中国北部です。2〜3
世紀には観賞用に栽培され始め、隋から唐の時代(6〜
10世紀)にかけて多くの園芸品種が生まれました。日本
には薬用として平安時代には渡来していた記録があります。

シャクヤクはボタン科ですが、ボタンが低木なのに対し、
シャクヤクは多年草です。出荷用に栽培されているため、
花はつぼみのうちに最も美しいものを残して、まわりの
ものが摘み取られてしまうようです。畑の一角が摘み取
られた花で彩られていました。

□◆□…優嵐歳時記(434)…□◆□

  時を越え話弾ませ夏料理  優嵐

今宵は、学生時代の友人が集まって私の独立祝いの会
を開いてくれました。卒業以来ずっとあっていなかった
友人もいたのですが、顔をあわせるなり、すっかり昔
に戻って次々と話が弾みました。

仕事を通じてご縁を得た方、趣味を通じての知り合った
方、友人、知人にも知り合うきっかけというのはいろいろ
ありますが、学生時代の友人というのはまた独特の魅力
があり、楽しいものです。

□◆□…優嵐歳時記(433)…□◆□

  豊かなる朝の街角薔薇香る  優嵐

バラは姿とともにその香りも愛でられる花です。バラは
千年以上の歳月をかけ、世界各地の原種をかけあわせて
人間が作り出した花の芸術品です。現在も毎年新しい
品種がつくり続けられています。

バラという名前は刺を持つイバラにちなみ、二万種を
越える園芸品種がありますが、いまだに刺のないバラは
できていないそうです。原種は一重の五弁花ですが、
園芸品種のほとんどは八重咲きです。

□◆□…優嵐歳時記(432)…□◆□

  書物より顔上ぐ窓の夏始  優嵐

「初夏」のことを「夏始(なつはじめ)」ともいいます。
「しょか」と詠まずに「はつなつ」と詠む場合もあります。
他には「孟夏(もうか)」「首夏(しゅか)」などという
季語も歳時記には載っていますが、あまり実感がありません。

読書の秋といいますが、今頃も気候は爽やかで、読書に
はぴったりです。私は何冊かの本を並行して読むのが好き
です。今は「ローマ帝国衰亡史」と「不動産投資の教科書」
と「人口減少社会のマーケティング」を同時進行で読んで
います。気分が変わっていいものです。

□◆□…優嵐歳時記(431)…□◆□

  筍のちょろりと顔を出しており  優嵐

筍(たけのこ)は竹の地下茎から新芽が出たものです。
掘りたてのものを手早く茹でて食べるのが大事です。
土の中にまだいる状態のものを「白子」といい、これ
であれば、下茹でをしなくてもおいしくいただけます。

子どものころは筍をはじめ山菜類はすべて苦手でした。
しかし、今はわざわざ筍づくしなどというメニューを
頼んでみたりもします。筍はたくましいですからどんな
藪にも生えますが、京都など有名産地の竹やぶは手入れ
が行き届き、見事なものです。

□◆□…優嵐歳時記(430)…□◆□

  青空をつばめ飛び交う五月かな  優嵐

今日の早朝まで残っていた雨があがり、爽やかな空気
の一日でした。暑くもなく寒くもなく、湿気もなく、
一年中で最も快適なころです。近所を少し散歩する
だけで、多くの花や鳥に会うことができます。

「つばめ」は春の季語ですので、今日の句の中では
「五月」が季語になります。立夏が月の初めにあり
ますので、五月は夏の季語です。つばめ関連では
「燕の子」が夏の季語になります。そろそろ最初の
雛がかえるころでしょうか。

□◆□…優嵐歳時記(429)…□◆□

  若葉雨傘差しかけて語りけり  優嵐

一日雨の姫路でした。運動不足解消もかねて冊子小包
を出しに近所の郵便局まで歩いて行きました。そこで
公務員時代にお世話になった方にばったり会いました。
「どうしてるの?」としばらく郵便局の前で立ち話。

思えばいろいろな場所でいろいろなご縁でそまざまの
人と出会っているんだなぁと思います。夜には学生時代
の友人から電話がかかってきました。何年も会っていな
くても、話し始めれば即座に学生時代に戻ってしまえる
というのがこういう友人のうれしい点です。

□◆□…優嵐歳時記(428)…□◆□

  野も山も緑なすなり夏来る  優嵐

今朝もよく晴れていました。目が覚めて青空を見て
ああ、今日から夏なんだと思いました。こういう暦
の区切りを知ることによって生活に句読点ができます。
暦というのは、人間の気持ちを刷新する効果ももって
いますね。

ただ、夏といってもこの感覚がぴったりくるのは
やはり関東より西だと思います。以前、ゴールデン
ウイークに東北へ行き、大変寒かったのを覚えて
います。

□◆□…優嵐歳時記(427)…□◆□

  夕暮れて春惜しみつつ散歩する  優嵐

明日が立夏ですから、暦の上では今日が春の最終日です。
今日もいいお天気でした。ちょうど今頃の気候は
ヨーロッパの夏を思わせます。日差しは強いですがまだ
湿気が少なく、日陰に入ると心地よくて爽やかです。

「惜しむ」という言葉にはいやおうなく流れ去っていく
歳月に思いをはせる感覚が強く働きます。その背後にある
無常観とでもいえばいいでしょうか。この春を来年また
同じように迎えられるとは保障の限りではありません。
また迎えられたとして、それは「この春」とはまた必ず
どこか異なっているものです。

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