【枯薄】
【冬木】
【冬の虹】
【落葉山】
□◆□…優嵐歳時記(1297)…□◆□
前後して猟犬と歩く落葉山 優嵐
姫路市夢前町にある明神山へ登ってきました。以前一度
登ったことがあるのですが、今は登山道の整備が進み、
メインのコースだけで三つあります。今回は登りに
Cコース、くだりにAコースを歩きました。
標高668mとそれほど高い山ではありませんが、途中から
急激に立ち上がり、山頂付近は鎖場の急登です。どちらの
コースも稜線を通っており、コナラ、クヌギ、タカノツメ、
イロハモミジ、オオモミジなどの紅葉が楽しめました。
山頂周辺では、すでにほとんどの木は落葉を終えており、
わずかな標高差でも、自然ははっきりそれを示すもの
です。山頂からは360度の眺望が楽しめます。あいにく
少しガスが出ていて視界があまり利きませんでしたが、
クリアな日には氷ノ山から四国まで見えるそうです。
下山の途中からポインターらしい犬がついてくるように
なりました。首輪に飼主の住所と名前が記されており、
発信機をつけていることから猟犬です。
先に行かせようとしても離れず、登山口まで私たちの後
をついてきました。飼主がそこにいらして、谷ひとつ
向こうでの猟の途中に迷ったらしいことがわかりました。
前後して猟犬と歩く落葉山 優嵐
姫路市夢前町にある明神山へ登ってきました。以前一度
登ったことがあるのですが、今は登山道の整備が進み、
メインのコースだけで三つあります。今回は登りに
Cコース、くだりにAコースを歩きました。
標高668mとそれほど高い山ではありませんが、途中から
急激に立ち上がり、山頂付近は鎖場の急登です。どちらの
コースも稜線を通っており、コナラ、クヌギ、タカノツメ、
イロハモミジ、オオモミジなどの紅葉が楽しめました。
山頂周辺では、すでにほとんどの木は落葉を終えており、
わずかな標高差でも、自然ははっきりそれを示すもの
です。山頂からは360度の眺望が楽しめます。あいにく
少しガスが出ていて視界があまり利きませんでしたが、
クリアな日には氷ノ山から四国まで見えるそうです。
下山の途中からポインターらしい犬がついてくるように
なりました。首輪に飼主の住所と名前が記されており、
発信機をつけていることから猟犬です。
先に行かせようとしても離れず、登山口まで私たちの後
をついてきました。飼主がそこにいらして、谷ひとつ
向こうでの猟の途中に迷ったらしいことがわかりました。
【小春】
□◆□…優嵐歳時記(1296)…□◆□
万葉の岬小春の小舟いく 優嵐
国道250号は、たつの市御津町から相生市にかけて海に
沿って走り、瀬戸内海国立公園の景色を堪能すること
ができます。久しぶりにオートバイで走ってきました。
紅葉が今さかんに散っており、その中を走るのは、
また風情のあるものでした。
相生湾の東口の突端部にある金ヶ崎を特に”万葉の岬”と
呼び、ここからは家島群島や淡路島、四国など瀬戸内海
の風景を一望のもとに眺められます。
万葉の歌人・山部赤人の「玉藻刈る唐荷の島に島廻する
鵜にしもあれや家思はずあらむ」などの歌碑が立って
います。聖武天皇時代の下級役人であった彼が、派遣さ
れて船で瀬戸内を西へ下っている時の歌と思われます。
万葉の岬小春の小舟いく 優嵐
国道250号は、たつの市御津町から相生市にかけて海に
沿って走り、瀬戸内海国立公園の景色を堪能すること
ができます。久しぶりにオートバイで走ってきました。
紅葉が今さかんに散っており、その中を走るのは、
また風情のあるものでした。
相生湾の東口の突端部にある金ヶ崎を特に”万葉の岬”と
呼び、ここからは家島群島や淡路島、四国など瀬戸内海
の風景を一望のもとに眺められます。
万葉の歌人・山部赤人の「玉藻刈る唐荷の島に島廻する
鵜にしもあれや家思はずあらむ」などの歌碑が立って
います。聖武天皇時代の下級役人であった彼が、派遣さ
れて船で瀬戸内を西へ下っている時の歌と思われます。
【冬麗】
□◆□…優嵐歳時記(1295)…□◆□
冬麗や花に包まれし人送る 優嵐
快晴の暖かい日でした。お葬式に行き最後のお別れをして
きました。「まるで眠っているよう」と言われるように、
呼びかけたら、今すぐ起き上がってこられるのではないか、
と思うくらいでした。
葬儀場からの出棺のときに、霊柩車がクラクションを長く
一度だけ鳴らします。永訣の挨拶ということでしょう。
誰かが亡くなるということは、その人と自分とを結んで
いた絆がこの世のものではなくなるということなのだな、
と感じました。だから哀しいのです。
魂や死後の世界を信じている人であっても、やはり
物質世界での関係はこれが最後ということになります。
この世でつかの間ご縁があってお世話になった、そのこと
に感謝して、ご冥福をお祈りしたいと思います。
冬麗や花に包まれし人送る 優嵐
快晴の暖かい日でした。お葬式に行き最後のお別れをして
きました。「まるで眠っているよう」と言われるように、
呼びかけたら、今すぐ起き上がってこられるのではないか、
と思うくらいでした。
葬儀場からの出棺のときに、霊柩車がクラクションを長く
一度だけ鳴らします。永訣の挨拶ということでしょう。
誰かが亡くなるということは、その人と自分とを結んで
いた絆がこの世のものではなくなるということなのだな、
と感じました。だから哀しいのです。
魂や死後の世界を信じている人であっても、やはり
物質世界での関係はこれが最後ということになります。
この世でつかの間ご縁があってお世話になった、そのこと
に感謝して、ご冥福をお祈りしたいと思います。
【冬夕焼け】
【北風】
【南天】
□◆□…優嵐歳時記(1292)…□◆□
軒先の南天かすめ江ノ電行く 優嵐
鎌倉では江ノ電にも乗りました。住宅街を縫うように
走り、路面電車の部分も残っています。高浜虚子が
かつて由比ガ浜の近くに住んでいました。旧居は
すでになく、踏切のすぐそばにそれを示すプレートと
「波音の由比ヶ浜より初電車」の句碑が残されています。
大仏さまのいらっしゃる高徳院には虚子の娘・星野立子
の句碑「大佛の冬日は山に移りけり」があります。
さらに、与謝野晶子の「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな」の歌碑もあります。
ただし、大仏さまは、正確に言うと釈迦牟尼仏ではなく、
阿弥陀如来だということです。大仏さまの胎内に入る
ことができます。もちろん、入ってきました。
軒先の南天かすめ江ノ電行く 優嵐
鎌倉では江ノ電にも乗りました。住宅街を縫うように
走り、路面電車の部分も残っています。高浜虚子が
かつて由比ガ浜の近くに住んでいました。旧居は
すでになく、踏切のすぐそばにそれを示すプレートと
「波音の由比ヶ浜より初電車」の句碑が残されています。
大仏さまのいらっしゃる高徳院には虚子の娘・星野立子
の句碑「大佛の冬日は山に移りけり」があります。
さらに、与謝野晶子の「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな」の歌碑もあります。
ただし、大仏さまは、正確に言うと釈迦牟尼仏ではなく、
阿弥陀如来だということです。大仏さまの胎内に入る
ことができます。もちろん、入ってきました。