2008年11月28日 【凩】 □◆□…優嵐歳時記(1652)…□◆□ 凩の山を包みて鳴りにけり 優嵐 昨夜の雨は朝にはあがっていいお天気になりました。 風が出て少し気温が下がりました。山道を歩くと あらたに落葉が降り積もっています。 凩(こがらし)が吹くたびに森の枝が鳴り、木の葉が 落ちてきます。山全体では一年でどれほどの落葉がある のだろう、と想像したりしながら歩きます。 森の木というのは、空気中と土壌から自分に必要な ものを生み出して生きています。あらゆる動物はそれらの 恩恵に頼って生きているわけです。 カテゴリなしの他の記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (2) 1. はる 2008年11月29日 23:46 優嵐さん こんにちは。 お風邪はもう治りましたか? 紅葉で落ち葉の季節になりましたね。樹木は落ち葉を落とし、それを栄養分として翌年春に新たな新芽の材料にするという素晴らしい循環、輪廻の世界を形成していますね。 僕は自分の死後に僕の骨をどうしようかいろいろ今から考えています。もっとも確実に頻繁に輪廻回生を考えるのであれば、海に散骨することでそれを魚が栄養分にして、その魚をさらに大きな魚が食べて、その魚を動物や人間が食べて、そうやって輪廻ができるのではないかと思います。僕は仕事も勉強もスポーツも亀のようにコツコツが信条なので、亀さんに使って貰って輪廻したいと思います。お墓に入れると3世代後にはほぼ確実に無縁仏になり(僕は祖祖父の名前さえ知りません)、そのまま放置され、輪廻が上手く回らないのではないかとかいろいろ考えています。まだその手の本を殆ど読んでいないので、これからゆっくり自分の骨の使い道を考えて行きたいと思います。 2. 優嵐 2008年11月30日 21:33 はるさん、コメントいただきありがとうございます。 風邪はおかげさまであっという間に完治して、 もうふだんと同じ生活をしています。 植物は本当に凄いなと思いますね。また、有機物を 細かく分解する微生物の存在があって初めてあらゆる 物質の循環がうまくいっているわけで、こちらの役割も 凄いと思います。というより、そういう全体の仕組みが 凄いというべきでしょうか。 死後の遺骨をどうするかについて、私もできれば散骨を 希望しています。墓石の下には入りたくないし、無意味 だと今は考えています。 お墓があってもなかっても物質的循環という意味では、 結局どういう葬られ方をしようが、自分を構成していた 物質は循環していく、と思っています。今も実際には 循環していますから。私を構成している分子は刻々と 入れ替わっていますもの。 あとは死生観(魂の問題とでもいいますか)ということに なるんでしょうね。死後に何かが存続すると考えるのか、 完全な無になってしまうと考えるのか、それによっても 異なるとは思いますが、これは本当に完全に各人それぞれで 何が正しいとは誰も決め難いし、生きている人間がそもそも つきつめられる問題でもないだろう、と思っています。 それこそ、「信じる」しかないわけで。無になるというのも ひとつの考え方、天国や地獄へ行くと考えるのもひとつの 考え方、輪廻転生もしかり。「科学」で証明できるような ことは何もありませんから、究極の問いかけかな、と思います。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
コメント
コメント一覧 (2)
お風邪はもう治りましたか?
紅葉で落ち葉の季節になりましたね。樹木は落ち葉を落とし、それを栄養分として翌年春に新たな新芽の材料にするという素晴らしい循環、輪廻の世界を形成していますね。
僕は自分の死後に僕の骨をどうしようかいろいろ今から考えています。もっとも確実に頻繁に輪廻回生を考えるのであれば、海に散骨することでそれを魚が栄養分にして、その魚をさらに大きな魚が食べて、その魚を動物や人間が食べて、そうやって輪廻ができるのではないかと思います。僕は仕事も勉強もスポーツも亀のようにコツコツが信条なので、亀さんに使って貰って輪廻したいと思います。お墓に入れると3世代後にはほぼ確実に無縁仏になり(僕は祖祖父の名前さえ知りません)、そのまま放置され、輪廻が上手く回らないのではないかとかいろいろ考えています。まだその手の本を殆ど読んでいないので、これからゆっくり自分の骨の使い道を考えて行きたいと思います。
風邪はおかげさまであっという間に完治して、
もうふだんと同じ生活をしています。
植物は本当に凄いなと思いますね。また、有機物を
細かく分解する微生物の存在があって初めてあらゆる
物質の循環がうまくいっているわけで、こちらの役割も
凄いと思います。というより、そういう全体の仕組みが
凄いというべきでしょうか。
死後の遺骨をどうするかについて、私もできれば散骨を
希望しています。墓石の下には入りたくないし、無意味
だと今は考えています。
お墓があってもなかっても物質的循環という意味では、
結局どういう葬られ方をしようが、自分を構成していた
物質は循環していく、と思っています。今も実際には
循環していますから。私を構成している分子は刻々と
入れ替わっていますもの。
あとは死生観(魂の問題とでもいいますか)ということに
なるんでしょうね。死後に何かが存続すると考えるのか、
完全な無になってしまうと考えるのか、それによっても
異なるとは思いますが、これは本当に完全に各人それぞれで
何が正しいとは誰も決め難いし、生きている人間がそもそも
つきつめられる問題でもないだろう、と思っています。
それこそ、「信じる」しかないわけで。無になるというのも
ひとつの考え方、天国や地獄へ行くと考えるのもひとつの
考え方、輪廻転生もしかり。「科学」で証明できるような
ことは何もありませんから、究極の問いかけかな、と思います。