□◆□…優嵐歳時記(1691)…□◆□
地の水は皆初春の空映し 優嵐
山の頂から平地を見下ろしていると、それぞれの場所に
ある水が見えます。静かな播磨灘、蛇行して流れる市川、
あちこちの小さな池や沼、それらがみんな新春の明るい
日の光の中で輝いているのはいいものです。
今は日常の生活に戻るのが早くなりましたが、その昔、
他に娯楽がほとんどなかった時代には盆正月、冠婚葬祭
というのは生活の大きな節目であっただけでなく、
貴重な娯楽の機会でもあったでしょう。
祖母が健在だったころ、新年を迎える家の行事の手順が
厳密に決まっていたことを思い出します。元旦は暗い
うちに起きて神棚だけでなく、さまざまな場所に灯明を
あげ、一家揃って奥の間で新年の挨拶を交わし、それから
氏神様に初詣でした。
三が日の朝に食べる食事の内容も決まっており、元日は
お節と雑煮、二日はとろろご飯、三日は善哉でした。
なぜそうなのかは知りませんが、そうだったという記憶が
残っています。
地の水は皆初春の空映し 優嵐
山の頂から平地を見下ろしていると、それぞれの場所に
ある水が見えます。静かな播磨灘、蛇行して流れる市川、
あちこちの小さな池や沼、それらがみんな新春の明るい
日の光の中で輝いているのはいいものです。
今は日常の生活に戻るのが早くなりましたが、その昔、
他に娯楽がほとんどなかった時代には盆正月、冠婚葬祭
というのは生活の大きな節目であっただけでなく、
貴重な娯楽の機会でもあったでしょう。
祖母が健在だったころ、新年を迎える家の行事の手順が
厳密に決まっていたことを思い出します。元旦は暗い
うちに起きて神棚だけでなく、さまざまな場所に灯明を
あげ、一家揃って奥の間で新年の挨拶を交わし、それから
氏神様に初詣でした。
三が日の朝に食べる食事の内容も決まっており、元日は
お節と雑煮、二日はとろろご飯、三日は善哉でした。
なぜそうなのかは知りませんが、そうだったという記憶が
残っています。
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