□◆□…優嵐歳時記(1706)…□◆□
久女忌や皸わが手になかりけり 優嵐
今日は女流俳人の先駆者杉田久女の忌日です。久女は
兄の手ほどきで俳句を始め、「ホトトギス」に所属して
数多くの名句を発表しました。私がなんといっても好き
なのはこの句です。
谺して山ほととぎすほしいまま
久女の生涯は栄光と悲惨が隣り合わせであり、長く誤解
を受けてきました。ようやくそれが解けたのは田辺聖子の
『花衣ぬぐやまつわる…―わが愛の杉田久女
』によって
だといえるでしょう。
夫との不和、師である高浜虚子との確執、よりどころと
した「ホトトギス」からの除名、晩年は精神のバランスを
崩し、終戦直後に精神病院で57歳の生涯を閉じています。
彼女の句には
正月やヒビの手洗ふもねもごろに
(注:ヒビは「併」の人偏を月偏にした字。)
というものもあります。その時代の女性のおかれていた
立場、それを思うと、今の自分のつるんとした手を改めて
しげしげと見てしまいます。「ほしいまま」が胸に
応えるのは、決して「ほしいまま」には生きられなかった
彼女の痛みを重ねて見るからです。
注:皸(あかぎれ)
久女忌や皸わが手になかりけり 優嵐
今日は女流俳人の先駆者杉田久女の忌日です。久女は
兄の手ほどきで俳句を始め、「ホトトギス」に所属して
数多くの名句を発表しました。私がなんといっても好き
なのはこの句です。
谺して山ほととぎすほしいまま
久女の生涯は栄光と悲惨が隣り合わせであり、長く誤解
を受けてきました。ようやくそれが解けたのは田辺聖子の
『花衣ぬぐやまつわる…―わが愛の杉田久女
だといえるでしょう。
夫との不和、師である高浜虚子との確執、よりどころと
した「ホトトギス」からの除名、晩年は精神のバランスを
崩し、終戦直後に精神病院で57歳の生涯を閉じています。
彼女の句には
正月やヒビの手洗ふもねもごろに
(注:ヒビは「併」の人偏を月偏にした字。)
というものもあります。その時代の女性のおかれていた
立場、それを思うと、今の自分のつるんとした手を改めて
しげしげと見てしまいます。「ほしいまま」が胸に
応えるのは、決して「ほしいまま」には生きられなかった
彼女の痛みを重ねて見るからです。
注:皸(あかぎれ)
コメント
コメント一覧 (2)
> した「ホトトギス」からの除名、晩年は精神のバランスを
> 崩し、終戦直後に精神病院で57歳の生涯を閉じています。
う〜む、これは壮絶な人生を送られたのですね。
不和、確執、除名と2重苦どころか、3重苦。
「ほしいまま」には生きられなかった人生。
「ほしいまま」という5文字がズシンと胸に響きます。
壮絶な人生の方が、後のクリエイターの創造力を刺激
するようですね(苦笑)
彼女が誤解される原因となったのは、彼女の人生を
素材に吉屋信子や松本清張が小説を書いたからのようです。
うそでも大きな声で語られるとたいがいの人は本気に
してしまうというのは、今も昔も変わりないみたいです。
田辺聖子の小説は、久女に深い同情を寄せて誤解をといて
いますね。