□◆□…優嵐歳時記(1738)…□◆□
梅が香を胸の奥までいっぱいに 優嵐
梅は香りも存分に楽しめる花です。こればかりは桜は
かないません。満開の梅林の真ん中に立ってゆっくり
息を吸い込むと肺腑の底まで梅の香りが流れ込んでくる
ようです。
朝から曇っていましたが、午後から雨になりました。
その前に日課の散歩をすませることができました。去年
までは夏になると散歩をやめていました。低山は暑い
からなのですが、今年はどうなるかな、と考えています。
去年までは半分俳句の材料探し、半分運動不足の解消が
散歩の目的だったのですが、今年に入ってからは、
なんとなくそれだけではすまなくなっているのです。
まるで犬が散歩なしでは生きていけないような、そんな
感じに。ゆっくり山道を歩かないと、何かとんでもない
ものをなくしてしまう、そんな感じです。
梅が香を胸の奥までいっぱいに 優嵐
梅は香りも存分に楽しめる花です。こればかりは桜は
かないません。満開の梅林の真ん中に立ってゆっくり
息を吸い込むと肺腑の底まで梅の香りが流れ込んでくる
ようです。
朝から曇っていましたが、午後から雨になりました。
その前に日課の散歩をすませることができました。去年
までは夏になると散歩をやめていました。低山は暑い
からなのですが、今年はどうなるかな、と考えています。
去年までは半分俳句の材料探し、半分運動不足の解消が
散歩の目的だったのですが、今年に入ってからは、
なんとなくそれだけではすまなくなっているのです。
まるで犬が散歩なしでは生きていけないような、そんな
感じに。ゆっくり山道を歩かないと、何かとんでもない
ものをなくしてしまう、そんな感じです。
コメント
コメント一覧 (2)
> 散歩の目的だったのですが、今年に入ってからは、
> なんとなくそれだけではすまなくなっているのです。
うむむ!これは興味深いところです。
> まるで犬が散歩なしでは生きていけないような、そんな
> 感じに。ゆっくり山道を歩かないと、何かとんでもない
> ものをなくしてしまう、そんな感じです。
そうかあ、なるほど。
なんとなくわかるような気がします。
俳句の材料探しや運動不足の解消という目的だけでなく、
なんというか自然の中を歩いて感じられるバイブレーション
というか気というかスピリットというか、なにか目に見えな
いものを感じながらの「静かな時間」が、以前より大切になっ
てきてるのでしょうね。
自然の中にいるときの自分の心の中の「静けさ」。
おそらくインディアンは、自然のスピリットと同調する時間
を大切にしていたのだと思います。
>自然の中を歩いて感じられるバイブレーション
>というか気というかスピリットというか、なにか目に見えな
>いものを感じながらの「静かな時間」が、以前より大切になっ
>てきてるのでしょうね。
そうですね。おっしゃるとおりです。「気」ってまだよく
わかりませんが、確かにそういうものを求めているという感じは
あります。うまく言葉にできないけれど、自然の中以外では
いただけないものが、森にはあります。
自然は冗舌ではなく、静かにそこにあるだけだから逆にいい、と
いう気がします。それでいて、そこには何か「神性」とでもいう
ものがあるようにも思えるし。
特別な宗教や信仰をもっているわけではないですが、あえて何が
最も近いかといえば、すべてのものに神は宿るという汎神論、
アニミズム的なものに自分は一番近いかも、と感じています。