□◆□…優嵐歳時記(1739)…□◆□
亡き父と共にたたずむ梅林 優嵐
父が亡くなったのは94年の10月でした。多臓器がんで、
闘病生活は三年弱でした。弱虫な人だったので、あまり
ひどく苦しまずに最期を迎えられるようにと願って
いました。幸いほとんど痛みやだるさもなく、亡くなる
20日前まで家で過ごすことができました。
亡くなったとき、すでに覚悟はできていたので、一度も、
一滴の涙も流しませんでした。父は弱い人で、そのために
父親としての責任を果たせていませんでした。弱さを隠す
ために嘘をつき、見栄をはり、つらいことから逃げてばかり。
泣くほどの価値もないよね、とある部分で思っていたのは
確かです。
ところが、亡くなってそろそろ15年になろうという今日、
梅林への道をゆっくり歩きながら、父のことが思い出され
泣けて仕方がありませんでした。人通りがほとんどない
のは幸いでした。
何がきっかけだったのか、昨日読んだキューブラー・ロスの
本のせいかもしれません。このところ惹かれて聴いている
ZARDの歌のせいかもしれません。さらにもっといろいろな
ものがいっしょになってここまで私を引っ張ってきて
くれたのでしょう。
父は3歳でその父(私の祖父)と突然、死に別れました。
父が弱虫で情けないやつだったのは父自身の責任です。
しかし、そうならざるをえなかった父のつらさが少し
わかったような気がしました。
15年たってようやく亡くなった父に対し涙を流し、追悼
できたような気がします。ありがとう、というのでは
ありません。「おやじさん、あなたも大変やったんや」
とねぎらいの言葉をかけたい思いです。
亡くなったとき、3歳で死に別れた祖父はベッドサイドに
迎えにきてくれたのだろうか、と思いました。私自身が
この父のもとへ生まれることを選んだのも何かのご縁なの
でしょう。ここから何を学ぶことができたか、それこそが
大事なことです。
亡き父と共にたたずむ梅林 優嵐
父が亡くなったのは94年の10月でした。多臓器がんで、
闘病生活は三年弱でした。弱虫な人だったので、あまり
ひどく苦しまずに最期を迎えられるようにと願って
いました。幸いほとんど痛みやだるさもなく、亡くなる
20日前まで家で過ごすことができました。
亡くなったとき、すでに覚悟はできていたので、一度も、
一滴の涙も流しませんでした。父は弱い人で、そのために
父親としての責任を果たせていませんでした。弱さを隠す
ために嘘をつき、見栄をはり、つらいことから逃げてばかり。
泣くほどの価値もないよね、とある部分で思っていたのは
確かです。
ところが、亡くなってそろそろ15年になろうという今日、
梅林への道をゆっくり歩きながら、父のことが思い出され
泣けて仕方がありませんでした。人通りがほとんどない
のは幸いでした。
何がきっかけだったのか、昨日読んだキューブラー・ロスの
本のせいかもしれません。このところ惹かれて聴いている
ZARDの歌のせいかもしれません。さらにもっといろいろな
ものがいっしょになってここまで私を引っ張ってきて
くれたのでしょう。
父は3歳でその父(私の祖父)と突然、死に別れました。
父が弱虫で情けないやつだったのは父自身の責任です。
しかし、そうならざるをえなかった父のつらさが少し
わかったような気がしました。
15年たってようやく亡くなった父に対し涙を流し、追悼
できたような気がします。ありがとう、というのでは
ありません。「おやじさん、あなたも大変やったんや」
とねぎらいの言葉をかけたい思いです。
亡くなったとき、3歳で死に別れた祖父はベッドサイドに
迎えにきてくれたのだろうか、と思いました。私自身が
この父のもとへ生まれることを選んだのも何かのご縁なの
でしょう。ここから何を学ぶことができたか、それこそが
大事なことです。
コメント
コメント一覧 (12)
> 梅林への道をゆっくり歩きながら、父のことが思い出され
> 泣けて仕方がありませんでした。人通りがほとんどない
> のは幸いでした。
そうでしたか。貴重な時間を過ごされたのですね。
> 何がきっかけだったのか、昨日読んだキューブラー・ロスの
> 本のせいかもしれません。このところ惹かれて聴いている
> ZARDの歌のせいかもしれません。さらにもっといろいろな
> ものがいっしょになってここまで私を引っ張ってきて
> くれたのでしょう。
不思議です。キューブラー・ロスの本もZARDの歌も、全て
の準備ができたときに、あちらの世界のお父さんとの触れ合い
がおきたのかもしれません。
> 15年たってようやく亡くなった父に対し涙を流し、追悼
> できたような気がします。ありがとう、というのでは
> ありません。「おやじさん、あなたも大変やったんや」
> とねぎらいの言葉をかけたい思いです。
15年、長い歳月だったのですね。
追悼できて、お父さんも安らかな気持ちになられたこと
でしょう。「大変やったんや」という言葉に、優嵐さんの
いろいろな気持ちが溶けているのですね。読んでいて、ジ
ンときました。
> この父のもとへ生まれることを選んだのも何かのご縁
> なのでしょう
「縁」とは、本当に不思議です。
優嵐さんとお父さんとの縁、優嵐さんとキューブラー・ロス
との縁。そこに、大切な何かがあるのでしょうね。
優嵐さんの歳時記に感謝です♪
僕は父母とも80歳代でまあまあ健康で存命していますが、父親の生き方は残念ながら今のところ反面教師としてしか捉えていません。押しが強く、思い付いたらすぐに行動しなければ気が済まない猪突猛進タイプで、バイタリティーがもの凄く、相手を押さえつけてでも有無を言わせず首を縦に振らせてしまうモーレツ人間で、その押しの強さ故高度成長期の日本経済においてオーナー会社のビジネスとしては一定の成功は果たしました。
しかし、僕の親としては失格の人です。子供の言い分も一切聞かずに怒鳴り散らし子供の尻を叩きまくり、瞬間湯沸かし器で頭に血が上るともう手が付けられない程怒鳴りまくり周りに迷惑をかけまくります。一緒に遊んで貰ったりした記憶は一切なく、暖かい言葉をかけてくれたこともありません。自分が理由で事が上手く運ばなかったのに、何でも人のせいにして、人を攻撃することに生き甲斐を持つような人で、いわゆる超モンスター、超クレイマーです。ときどき会いに行くと、待ってましたとばかりに僕批判の数々を並べ立て相手をやりこめることで満足したり悦に入ったりするので、僕にとって実家は「心落ち着ける港」というという存在とは全く逆でこの世で最も行きたくない場所です。
しかし、どちらかというと沈思黙考タイプで一人で亀のようにコツコツ努力する学者肌タイプで、行動してから考えるのではなく考えに考え抜いて石橋を叩いて渡る慎重派で、押しが弱く行動力もある方ではなくナイーブな性格な僕にとっては、父親の有無を言わせない圧政はとても気の重いものでした。たぶん猪突猛進タイプの父親にとって亀のようにノロノロと地道に生きるタイプの僕は「何をノロノロしているんだ!じれったい!」という存在に見えてしまうのだと思います。
親子関係というのは本当に難しいものですね。僕も父親の行動力やバイタリティーを尊敬して、ある意味羨ましいとさえ思う面もありますが、人にはそれぞれ得手不得手があって、僕のような亀タイプの人間にはそういう猪突猛進的押しの強さはやりたくてもできないもので、その代わりにいろいろなことを粘り強くコツコツ努力することだけはなぜかできるという人間です。
このような暴君そのもので、人をやり込めることを生き甲斐にし、超モンスターな父親を持ったことが僕にとって仮に負の運命だったとしても(負の裏側には正があることは頭では理解していますが)、幸いにも僕は浮世離れ仙人のような風変わりで常識外れの思考をする僕を理解してくれる妻と出会うことができ、そのうえ神さまから娘まで授けて下さったことで、神さまには充分埋め合わせはして頂いているという気持ちは充分持っています。
自分の親をどう捉えて親の生死に関わらず親に対して子供としてどのような思いを抱くかということは子供にとって大きな課題であると、答えは全く出ていませんし、上手く言えませんが、そう思う今日この頃です。
駄文長文失礼いたしました。m(__)m
>不思議です。キューブラー・ロスの本もZARDの歌も、全て
>の準備ができたときに、あちらの世界のお父さんとの触れ合い
>がおきたのかもしれません。
はい。ZARDに惹かれたとき、何か今までと違うことが起きそうだと
思っていました。肉離れをきっかけにしての突拍子もない
惹かれ方でしたから。彼女の名前が坂井泉水(さかいいずみ)
というのもなんとなく、暗示っぽくて。実は編集学校にご縁が
できたのは和泉式部(いずみしきぶ)を検索した結果なのです。
結果、その後の人生が大きく変りました。編集学校でいろいろな
ご縁をいただいたのも、その後の転職も、こういうブログを書く
ようになったのもきっかけは和泉式部です。
単に音が同じ偶然の結果と言えばそうですが、こういうところに
必然が埋まっているものです。すべてのものはつながっている、
最近すごくそういう風に思うようになりました。まだ、これは
続いていきそうなので、ゆっくりその導きに従っていきたいと
思います。
>「縁」とは、本当に不思議です。
もの凄く深い言葉だなあ、と思うようになりました。父とのこと
についても、15年間という時間の長さは問題ではないのだと
思っています。それはこの世の時間であって、この世の人間で
ある私はここにたどりつくまでにそれだけの時間を必要とした
けれど、別の世界から見れば一瞬であったかもしれない、と
思います。
亡くなっているかどうかというのも問題ではないかも、と
感じました。亡くなっている人との間にでも和解は起こるし、
それは伝わると思います。
見方を変えてみなさい、とキューブラー・ロスは言います。
子どもである自分が被害者だとばかり思っていましたが、
そこからしか学べないことを与えてもらった、ともいえます。
それを学ぶためにそこに生まれたのだと思えば、ある意味で
感謝するのはこちらかもしれません。学ばせていただいた、と
いうことで。
親子関係というのは、夫婦関係と並んで人生最大の人間関係の
課題だろう、と思います。さらに、夫婦というのは離婚すれば
それで他人に戻れますが、親子というのはもう何をどうした
ところで切り離すことができない関係という意味では、さらに
重いものを含んでいるかもしれません。
親子がハッピーなばかりの関係であるわけないでしょうね。
親子というのは、互いに解決し、学ばねばならない課題に
向かって何度もトライするために、現世で関係を結んでいる
ふたつの存在(魂?)かもしれない、と思います。
親子は似ている部分もありますが、全く相容れないところも
あって、それでも血がつながっているだけに難しい。
子どもほどシビアに親の姿を見ている評価者は他になかろうと
思います。なぜなら、自分がもってるものの半分はどちらかの
親から受け継いだものですから。
感謝と無念が交錯するアンビバレントな感情というのは多くの
子どもがもつのではないでしょうか。親に対する感情というのは
本当に複雑で、とても一言では言い表せません。
これが人間の業というやつか、と思います。
母親は存命ですが、母との間にあるまた父親とは異なる複雑な
感情はまだ処理しきれていません。多分、母が生きている間には
無理ではないか、と思っています。そして、それでもいい
ではないかと今は考えているのです。
父との間で起こったように、母が亡くなったあと、私の中で
和解が生まれることがあるだろうと期待しています。生身の
人間相手ではなかなかそういうことは難しいのです。そして
それが起こったときには、母がこの世の人間ではなかったと
しても十分伝わるだろうと思っています。
導きを待って、それに従って生きようと思います。言うに
言えないものはそうやって解消していくしかないのでは
ないでしょうか。それを仲立ちしてくれる存在はきっとある
はずだ、と思っているのです。
そうですね。全て僕の心の中にいる神さまがいつの日か導きを与えてくださるのだと思います。僕自身ももっと自分を磨いて研鑽して修行して人生経験を積んで、そしていつか導きが訪れることを焦らず静かに待ちたいと思います。
とても感謝しています。ブログ更新の励みにさせていただいて
います。
はるさんとのご縁ができたのも、ブログを書いていたおかげ
でした。どこからどのような導きがあるかはわかりませんが、
このところ、自分の内側の声を静かに聴くように心がけて
います。外部の意見を聞くよりもむしろ、内側から湧いてくる
何かを傾聴する、そうすると、その声(声ともいえないかも)
は本当に静かにぽつんと何かを伝えてくれるのです。
こんばんは。
優嵐さん、大事なお話を分けてくださってありがとうございます。
今、お父さまと和解をなさったのではないでしょうか。
そのお気持ちは天国にいるお父さまにつながったと思います。
だから泣けてきたのではないかと思います。
私は2年と少し前に、やはりがんで父を喪いました。
1か月間、不眠不休で家で看護し、最後は家で看取りました。
父から学んだことは、やはり命を受けついでいくことでしょうか。
優嵐さんのお話をじっくり聞きたいです。
ただそばにいて。。(^^)
愛と共感をこめて。。
そうでしたね、アナナスさまはついこの間お父様を送られた
のでしたね。ご冥福をお祈りいたします。お家で看取られた
とのこと。十分看護してあげられたというのは送られる側に
とっても送る側にとっても大事なことですね。
父には特に何もしませんでした。冷たい子どもです。父も特に
私たち子どもには何も要求しませんでした。この辺は複雑です。
人は生きてきたように死んでいく、という言葉を聞いたことが
あります。
手を煩わせるのが申し訳ないと思ったのか、それとも、苦痛に
耐えられるような強さを自分が持っていないことを知っていた
のか、父はほとんど苦しまずすらっとあの世へ迎えていただけ
ました。それとも、彼は人生そのものでもう十分苦しんだのか。
む…、長くなってしまいます。またメールします。すらっと
一言ではなかなか書ききれません。親子って、引きずって
いるものが多いんですね。