□◆□…優嵐歳時記(1742)…□◆□
橋いくつ川は静かに大霞せり 優嵐
久しぶりに晴れ、光がさらに明るくなったのを感じました。
もうすぐ二月が終り、春も半ばに入っていきます。
山頂は無風、まわりの景色は霞の中でした。
鶯の囀りが聞こえます。山道をぼんやりと歩くのが好き
です。ぼんやりというのがポイントでしょう。何かに
ついて考えようなどとは決めず、自然に心の中から
浮かんでくるものを追うともなく追いながら落ち葉を
踏んで歩きます。
こういうことができるというのは、考えてみるととても
ぜいたくなことかもしれません。時間に追われて次は
あれ、その次はこれ、という暮らしの中ではこういう
時間を持つことは困難です。
橋いくつ川は静かに大霞せり 優嵐
久しぶりに晴れ、光がさらに明るくなったのを感じました。
もうすぐ二月が終り、春も半ばに入っていきます。
山頂は無風、まわりの景色は霞の中でした。
鶯の囀りが聞こえます。山道をぼんやりと歩くのが好き
です。ぼんやりというのがポイントでしょう。何かに
ついて考えようなどとは決めず、自然に心の中から
浮かんでくるものを追うともなく追いながら落ち葉を
踏んで歩きます。
こういうことができるというのは、考えてみるととても
ぜいたくなことかもしれません。時間に追われて次は
あれ、その次はこれ、という暮らしの中ではこういう
時間を持つことは困難です。
コメント
コメント一覧 (4)
そうですね、そうやって山道をのんびり散歩できる時間というのは、精神衛生上も、健康上も、静かに何かを考える場としても、とても大切ですね。
僕も何とかスポーツする時間が取れているのでとても有り難いと思っています。マラソンしているときが優嵐さんの散歩のようなものですかね。のんびり走っていると、頭の中が整理されたり、ふと良いアイデアが浮かんできたりします。
僕の大学同期の友人達は大きく二つに分かれています。一つは昇進の階段から外れてしまい時間はそこそこあるけれども夢や希望を失ってしまっている友人。そしてもう一つは必死に昇進の階段を登ろうとしていて朝から晩まで24時間働きずめでもう家族も健康も一切気にしていられないヘトヘトなモーレツサラリーマン。どっちが良いのだか僕にも分かりません。第三の道という選択肢が今の日本では殆どないのがちょっぴり寂しいですね。
ゆっくり歩いたり走ったり泳いだりというのは、同じ動作の
くり返しですから、なんか瞑想状態みたいな雰囲気になりますね。
以前は長い距離をゆっくり泳いだりするのも好きでした。
私の場合は、自然の中を歩くというのも大きいだろうなと感じて
います。自然のものというのは、たとえば葉のそよぎとか、波の
打ち寄せる音とか、焚き火のゆらめきとか、人工物とは違う
複雑なゆらぎがあるという話を聞いたことがあります。
不思議に焚き火をみつめたり、打ち寄せる波を見ていると、
飽きないですよね。ガスレンジの炎を見る気にはなりませんが。
大学のお友だちの話、うーん、そういうことになってしまう
のも悲しいですね。私は子どもの頃からなぜか、世捨て人に
なりたいなあ、なんてことを考えていたものですから、まあ
夢が実現しているかな。そんなに必死にならなくても十分
生きていけると思うんですけどねえ。
> です。ぼんやりというのがポイントでしょう。何かに
> ついて考えようなどとは決めず、自然に心の中から
> 浮かんでくるものを追うともなく追いながら落ち葉を
> 踏んで歩きます。
鶯の囀りが聞こえるというのは、イイですね!
静寂の中で聞く鶯の囀り、格別です。
「ぼんやり」はイイですね〜。
特定の方向へ意識を向けず、360度というか、ゆったり
と全体へ意識がひろがる感じで。
自然があっても観光地だと人が多くてなかなかユッタリ
とできないですが、人が少ない・人がいない場所だと
本当に静寂を味わえます♪
写真も美しい〜♪
>鶯の囀りが聞こえるというのは、イイですね!
>静寂の中で聞く鶯の囀り、格別です。
ええ、いいですよ〜!大都会で暮らしていらっしゃる方から
すれば、凄いぜいたくだと思います。
谷にこだまする鶯の囀りは、やはり静寂な自然の中でしか
聞けないものですからね。
いや〜、この散歩は副作用のない穏かな麻薬みたいなものかも
しれないなあ、と思っています。