□◆□…優嵐歳時記(1831)…□◆□
蛇苺幼き日々は胸底に 優嵐
アートセラピーではあるテーマで絵を描き、それについてそれぞれが自分のことを掘り下げ、参加者全員でその内容をシェアします。ここに参加したきっかけは、早春の日の気づきからでした。どうしてあのようなことが起こったのかは今でもよくわかりませんが、とにかく起こったことは事実であり、それが自分にとっては人生を変えてしまうくらいの出来事だったことだけは確かです。
誰に感謝すればいいのかわからない、と以前書きました。そしてまたひとつ気がつきました。今生で出会った方々に感謝するのはもちろんですが、もうひとり感謝すべき存在があります。ただ、正確に言うと「ひとり」ではありません。それは過去世の自分自身だからです。
自分がこの世へ何度生まれ変り死に変わりしたのかはわかりません。しかし、私の過去世を生きてきた人々が、人生でそのときそのときの学びを果たしてきてくれたから、今私がここの地点に立っているのだと思います。歴史の上では全く別の人生。性別、貧富、人種、国籍みんな違うでしょう。でも、それは私の「たましい」の上では繋がっているのです。
それはこの世からは見えません。でも間違いなく繋がっていて、ひとつのチームのようなものです。それならば、今生で私がすべきことは、さらに一歩前に進むことです。そうすれば来世の私の「たましい」はもう少し進んだ地点から登り始めることができます。それは物質的に「ラクな」人生がやってくる、というわけではありません。もっと違う何かがもたらされるのであり、その方がずっと重要です。
蛇苺幼き日々は胸底に 優嵐
アートセラピーではあるテーマで絵を描き、それについてそれぞれが自分のことを掘り下げ、参加者全員でその内容をシェアします。ここに参加したきっかけは、早春の日の気づきからでした。どうしてあのようなことが起こったのかは今でもよくわかりませんが、とにかく起こったことは事実であり、それが自分にとっては人生を変えてしまうくらいの出来事だったことだけは確かです。
誰に感謝すればいいのかわからない、と以前書きました。そしてまたひとつ気がつきました。今生で出会った方々に感謝するのはもちろんですが、もうひとり感謝すべき存在があります。ただ、正確に言うと「ひとり」ではありません。それは過去世の自分自身だからです。
自分がこの世へ何度生まれ変り死に変わりしたのかはわかりません。しかし、私の過去世を生きてきた人々が、人生でそのときそのときの学びを果たしてきてくれたから、今私がここの地点に立っているのだと思います。歴史の上では全く別の人生。性別、貧富、人種、国籍みんな違うでしょう。でも、それは私の「たましい」の上では繋がっているのです。
それはこの世からは見えません。でも間違いなく繋がっていて、ひとつのチームのようなものです。それならば、今生で私がすべきことは、さらに一歩前に進むことです。そうすれば来世の私の「たましい」はもう少し進んだ地点から登り始めることができます。それは物質的に「ラクな」人生がやってくる、というわけではありません。もっと違う何かがもたらされるのであり、その方がずっと重要です。
コメント
コメント一覧 (4)
> とり感謝すべき存在があります。ただ、正確に言うと「ひと
> り」ではありません。それは過去世の自分自身だからです。
なるほど!これは、新鮮な視点というか気付きですね!
過去世の自分自身への感謝とは、目からウロコです。
> 歴史の上では全く別の人生。性別、貧富、人種、国籍みんな
> 違うでしょう。でも、それは私の「たましい」の上では繋が
> っているのです。
そうか、今の「わたし」につながる過去生の多数の「わたし」
へ想いをめぐらせると、不思議な気持ちになります。
ある時代ではインド、ある時代ではヨーロッパとか、いろんな
「わたし」の積み重ねというか連携で、いまの「わたし」が
生きている。
本日の日記の内容から再度俳句を読み直すと、一層味わい深い
ですね♪
輪廻転生があると考えた方がいろんな点で納得できますし、今生を生きていく支えにもなるな、と思う今日この頃なのです。
お互いこの世を生きていくあいだは、この世で学ぶために一定の役割を演じている。そう思えば執着が少なくなるなあ、と感じます。この世の悲劇のほとんどはものごとへの執着から生まれています。現世的に一見いいように見えることは実は異なる場所から光をあてれば全く違う顔を見せるかもしれません。
執着するから先へ進めない。お金やモノどころか、恨みや怒りの方が手放すのは実は難しい。そして、それを手放せないから先へ進めない。全部「役割」、俳優が何かを演じているのだと思えばいいのでしょう。芝居が終われば役割を脱いで楽屋でくつろげますね。「人生は一幕の芝居」というのは比喩ではなく実態のような気がします。
この世でご縁のある方というのは、過去世でも何度もご縁のあった方だときいたことがあります。互いに同じ芝居を演じる劇団員なのでしょうか(笑)
まさしく1秒前から遠い前世まで、全てが、今の自分を作っていて、
またこの世で学びをさせて貰えることに感謝ですね。
前回のワークではそれが実感できたのではないかと思います。
執着も物質的(お金や物)なものばかりではなく、
感情も一緒ですよね。
皆で集まって、自分の事を考える時間と仲間がいることは
とても幸せなことです。
恐らく前世で「また集まろうね」って約束したことでしょう。
また来月をお楽しみに。
いつも素晴らしいワークをありがとうございます。
気づきをいただき、それがどのように展開していくのかとても楽しみです。
kazoo320さまとも、参加者のみなさまともご縁は深いものがあると思います。
ふっふっふ、こういうのがこたえられない楽しさですね。
来月もよろしくお願いいたします!