□◆□…優嵐歳時記(1853)…□◆□
陽の高き午後ほととぎす鳴き続け 優嵐
梅雨の中休みの状態が続いています。百日紅、紫陽花、立葵といった仲夏を彩る花が日差しに鮮やかです。昼間は窓を開けて過ごし、風と眺めを楽しみます。風景を楽しむというより、そこの空気感を楽しむといったらいいでしょうか。意外に静かで穏かな時間が流れていきます。幸せとはこういう感じだよな、と思います。
窓から川の流れが見えるのがひとつの魅力です。子どものときの家も近くに川があり、水のさまざまな表情は眺めていて飽きないものでした。波打ち際で波を見るのもいいものです。水の動きや音は人間に心地のいい何かを与えてくれるのでしょう。
都会の地下道などにさえ、人工的に水の流れを作っています。もし宇宙ステーションができて、人間が何年も長期滞在するようになったら、宇宙でも水の景観は必要になるような気がします。
陽の高き午後ほととぎす鳴き続け 優嵐
梅雨の中休みの状態が続いています。百日紅、紫陽花、立葵といった仲夏を彩る花が日差しに鮮やかです。昼間は窓を開けて過ごし、風と眺めを楽しみます。風景を楽しむというより、そこの空気感を楽しむといったらいいでしょうか。意外に静かで穏かな時間が流れていきます。幸せとはこういう感じだよな、と思います。
窓から川の流れが見えるのがひとつの魅力です。子どものときの家も近くに川があり、水のさまざまな表情は眺めていて飽きないものでした。波打ち際で波を見るのもいいものです。水の動きや音は人間に心地のいい何かを与えてくれるのでしょう。
都会の地下道などにさえ、人工的に水の流れを作っています。もし宇宙ステーションができて、人間が何年も長期滞在するようになったら、宇宙でも水の景観は必要になるような気がします。
コメント
コメント一覧 (2)
> というより、そこの空気感を楽しむといったらいいでしょうか。
> 意外に静かで穏かな時間が流れていきます。幸せとはこういう感
> じだよな、と思います。
「そこの空気感を楽しむ」というのはイイですね!
「静かで穏かな時間」、法然も、そういう時間が好きだったのでは
ないかと思います。比叡山の修行では、そういう時間を味わえなかった
のかもしれません。
そして、ナムアミダブツの繰り返しにより、究極の「静かで穏かな時間」
を体験されたのでしょう。
その境地を全ての人々に・・・法然は素晴らしいですよね♪
「陽の高き午後ほととぎす鳴き続け」、素敵な句です!
ホトトギスが鳴く声に耳をかたむけていたら、だんだんと心が
澄み切っていき、幸せを感じる。そういうイメージが浮かびます♪
静けさ、というのは貴重ですね。美しさに触れるには静けさが必要。ただ、これは都会のど真ん中でもできることだなと昨日感じました。だから、心が静かであればいいのでしょう。
昨日、大阪駅のホームで見上げた空がとてもきれいで、偶然夏至だったのですが、ビルに切り取られた青空を見上げていて、こんなにきれいだったんだなあ〜、と感激してしまいました。
本当の美しさ、美の核心部に触れるのは、たぶんほんの一瞬だと思うんです。だけど、大げさにいえばそこで時間が止まる。時間というのは実は幻想だというのはこういうことをさしているのかも、と思います。