□◆□…優嵐歳時記(1863)…□◆□ 

  朝の陽へすいっと飛びし夏燕   優嵐

燕の飛翔というのは、いつ見ても颯爽としています。あの自由自在ともいえる空中での動きは、素早く動いて虫を捕まえる必要があるからなのでしょうが、飛んでいることを楽しんでいるように見えて仕方がありません。「楽しむ」ということはどの程度の動物まで可能なことなんでしょう? 

ほ乳類の子どもは間違いなく楽しんで遊びますが、成獣になると遊ばなくなるそうです。人間は大人になっても一生楽しみ遊べる唯一のいきものでしょう。子どものころは遊びの天才であり、幸いにしてその能力は成人後もある程度は保たれます。遊べるというのは創造性と成長の余力を示す高度な能力なのかもしれません。

そういえば、笑うということもかなり高等な能力のようです。笑うというのがいったいどういう仕組みでできあがったものか。子どもは特によく笑いよく遊び、気分の切り替えも大人からは信じられないほど早くできます。ずっと子どもの部分を持ち続けられた方が精神衛生上もよさそうですね。

<紫陽花>
めつちのあわいに
んとよこたわる
いわいなるもの
としきものよ

090627