□◆□…優嵐歳時記(1865)…□◆□
合歓の花午後の陽ゆっくり巡りけり 優嵐
晴天が続いています。やはり空梅雨といえそうです。連日の雨という梅雨らしい空模様がありません。合歓の花が咲いています。この花も俳句を始めるまではほとんど気づかなかった花のひとつです。一度覚えれば、特徴のある花ですから遠くからでもすぐにそれとわかります。
何事もこういうもので知らなければ知らないままに過ぎていってしまうものです。見れども見えず、聞けども聞こえずというのは実体のあるものでもそのとおりなのです。車を買い換えると、急にその車種が目に付くようになるという話をきいたことがあります。心理的なフィルターがかかるひとつの例です。
私たちは世の中を決して客観的に見ることは出来ず、それぞれのフィルターを通して感じ取っています。私が感じ取っている世界はたったいまの私しか感じることができない現実です。恋愛の初期で頭がのぼせあがっているのを「恋の病」と表現したのは視野が極端に歪むこの典型かと思います。
<明易し>
あんなにすきだったのは
けっしてうそじゃない
やっぱりこのひがやってくる
すっかりさめてしまった
しんじつはざんこく
合歓の花午後の陽ゆっくり巡りけり 優嵐
晴天が続いています。やはり空梅雨といえそうです。連日の雨という梅雨らしい空模様がありません。合歓の花が咲いています。この花も俳句を始めるまではほとんど気づかなかった花のひとつです。一度覚えれば、特徴のある花ですから遠くからでもすぐにそれとわかります。
何事もこういうもので知らなければ知らないままに過ぎていってしまうものです。見れども見えず、聞けども聞こえずというのは実体のあるものでもそのとおりなのです。車を買い換えると、急にその車種が目に付くようになるという話をきいたことがあります。心理的なフィルターがかかるひとつの例です。
私たちは世の中を決して客観的に見ることは出来ず、それぞれのフィルターを通して感じ取っています。私が感じ取っている世界はたったいまの私しか感じることができない現実です。恋愛の初期で頭がのぼせあがっているのを「恋の病」と表現したのは視野が極端に歪むこの典型かと思います。
<明易し>
あんなにすきだったのは
けっしてうそじゃない
やっぱりこのひがやってくる
すっかりさめてしまった
しんじつはざんこく
コメント
コメント一覧 (2)
なんだか、心が落ち着きますね。
> 私たちは世の中を決して客観的に見ることは出来ず、
> それぞれのフィルターを通して感じ取っています。
> 私が感じ取っている世界はたったいまの私しか感じる
> ことができない現実です。恋愛の初期で頭がのぼせあ
> がっているのを「恋の病」と表現したのは視野が極端
> に歪むこの典型かと思います。
そうですよね!この頃、フィルターをはずしてというか、
ものごとを(良いことも悪いことも)、ありのままに、
受け入れていきたいなと思っているところなんです。
ちょうど、ヨガの雑誌に、優嵐さんが書かれていること
と近い文があり、この歳時記に大きく共感♪
フィルターを外すのは非常に難しいことだ、と感じます。
多分、人間は自分がフィルターを通してすべてを知覚しているということに気づくことが困難でしょう。
それが自覚できたらようやく戸口に立てたということなんでしょうけれど、むずかしい〜!
執着を捨てなさいとか、目覚めなさいとかいうのは、こういうことにまず気づくということもあるんじゃないか、と思うこのごろです。