□◆□…優嵐歳時記(1920)…□◆□
秋茄子の不ぞろいなるも強靭に 優嵐
お盆にもらった茄子は形も大きさもばらばらでした。表皮がかなり頑丈でなまくらな包丁ではすぱっと切れず、研ぎなおしました。刃の当て方がポントだったのでしょう。しかし、味は上等でした。新鮮なのが何より。
「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあります。意味は「茄子は身体を冷やすから」というのと「秋茄子はおいしすぎて嫁に食べさせるのはもったいない」という二つの説があるそうです。さて、どちらが真実でしょう? おいしいから食べさせたくないというのは、なんか悲しいですよね。
「四書五経」シリーズの続きを読んでいます。いずれも目的としているところは、いわゆる修身です。戦前の軍国主義みたいな響きですが、実際は「自分の身を修める」ということです。自分の身をどのように処すべきか、そのヒントを示しています。
<鏡>
自分の顔を鏡に映す
自分の全身を姿見で見る
三面鏡なら自分の横顔さえ見られる
自分の心は何で見よう
傲慢ではないか
卑屈になっていないか
自分の心を映す鏡は
自分で見つけてくるしかない
秋茄子の不ぞろいなるも強靭に 優嵐
お盆にもらった茄子は形も大きさもばらばらでした。表皮がかなり頑丈でなまくらな包丁ではすぱっと切れず、研ぎなおしました。刃の当て方がポントだったのでしょう。しかし、味は上等でした。新鮮なのが何より。
「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあります。意味は「茄子は身体を冷やすから」というのと「秋茄子はおいしすぎて嫁に食べさせるのはもったいない」という二つの説があるそうです。さて、どちらが真実でしょう? おいしいから食べさせたくないというのは、なんか悲しいですよね。
「四書五経」シリーズの続きを読んでいます。いずれも目的としているところは、いわゆる修身です。戦前の軍国主義みたいな響きですが、実際は「自分の身を修める」ということです。自分の身をどのように処すべきか、そのヒントを示しています。
<鏡>
自分の顔を鏡に映す
自分の全身を姿見で見る
三面鏡なら自分の横顔さえ見られる
自分の心は何で見よう
傲慢ではないか
卑屈になっていないか
自分の心を映す鏡は
自分で見つけてくるしかない
コメント
コメント一覧 (2)
> 傲慢ではないか
> 卑屈になっていないか
> 自分の心を映す鏡は
> 自分で見つけてくるしかない
上記の詩にグっときました♪
そうなんですよね、自分の心も場面場面で
移り変わり、とらえどころがないです。
ちょっとした一言でカっとなったり、ニコニコ
したり。
茄子の写真に季節を感じました。23日は
ツーリングにいったのですが、野鳥の写真は
とれずでした。
自分の心を映す鏡があったら、きっともっとラクに美しく生きられるだろうと思うんですよね。見えないから気づかない。それもこの世の定めかなと思ったり。きっと肉体という制約がなくなったら、煩悩のかなりの部分はすっぱり脱ぎ捨てられるだろうと思います。
茄子の紫のつやって美しいですよね〜。新鮮なナスのきゅっきゅという音もいいし。