□◆□…優嵐歳時記(1928)…□◆□

  秋風に雲の流れの速さかな   優嵐

アートセラピーの第五回目に参加してきました。この日は「意識と無意識」をテーマにコラージュを作りました。ルドルフ・シュタイナーによれば、人間は14歳までは無意識状態で生きており、その後28歳までは無意識と意識が混在した状態であり、28歳以後からは意識化して生きていく必要があるとのことです。28歳までは持って生れたものでなんとか生き抜いていけますが、そこから「個性化」の過程を辿り自分を確立していかねばならないのです。

人としての自分の人生を思うとき、「何も考えないですめばよかったのに」と思うことがあります。動物のように本能のままに生まれ餌を食べ交尾し子育てして死んでいく…。決められたままに決められた生をただ生きられたら何も考えなくてすみ、どんなに楽でしょうか。しかし、人はそのようには生きられません。完全に本能のみで生きることはできないのが人間です。

無意識状態とは本能に近い状態で種のもともと持っているものに従って生きている状態といえるでしょうか。そのほうが動物としての本能は強く発揮され、困難は少ないと思うのに、なぜあえてそうではない道を選んでしまわざるをえない存在に人間はなったのでしょうか。

幼い子どもを見て、ずっとあんな何も知らない状態、無邪気な状態だったらよかったのにと思ってもそういう状態ではいられない。その背後にはそれなりの理由があると考えるべきでしょう。

無意識で無邪気な状態をアートセラピーの講師の方は聖書のエデンの園のアダムとイブに例えられました。何も知らないままなら人間は楽園にいられたのです。ところがあえて知恵の実を食べてしまい、楽園追放となります。なぜそのような道を辿らなければならなかったか、これが人間存在が背負った大きな課題と考えられます。

神はその問いに答えません。答えないことが神が人間に与えた試練とも思います。あえて答えのわかっているような質問なら人間が真に問う価値はないでしょう。それぞれがそれぞれの内側で個性化の過程を通じてこの質問への答えを探すしかありません。



090831