□◆□…優嵐歳時記(1952)…□◆□

  新米をずっしり下げて叔父きたる   優嵐

新米をもらいました。食べるのが楽しみです。それほど味にうるさくはなく、何でもおいしく食べられます。それでもやはり新米の味わいは格別です。全体的にお米の作付け時期が早まり、歳時記に載っているものより早め早めに進んでいきます。早稲が主流になったからでしょうね。

米作りに関する季語はたくさんありますが、半数ほどはもう死語になっています。かつて米作りは一家総出、集落全体でとりかかった人手を必要とする大変な作業でした。今は田植も稲刈りも半日ほど一人で田んぼに出ればすべてすんでしまいます。

農作業だけでなく、家庭内の作業もほんの半世紀ほど前に比べると考えられないほど省力化されています。それなのに、現代人が昔の人に比べてゆとりを感じているかといえば、全くそうじゃないというのは奇妙というか、面白いというべきでしょうか。幸福感というものに関してもそうらしく、寿命も収入もはるかに延びたのに、どうやらそういうものと「幸福」とは別のところにあるようです。


<脱出>
何かに追いかけられて
必死に走る
暗闇の向こう
非常扉の隙間から
あかりがわずかに漏れてくる

何かに邪魔されて扉が開かない
あせるなよ
扉に足をかけ
渾身の力をこめて

蹴り上げてみよう
こじ開けてみよう
わずかに広がった出口から
身体をすべり出させる

転がり出た大地で
ふうと息をつく
笑い出したいのか
泣き出したいのか



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