□◆□…優嵐歳時記(1955)…□◆□
幾筋も糸ひく雲よ秋高し 優嵐
ZARDの坂井泉水さんが亡くなったのは、2007年5月27日です。ですから27日は彼女の命日です。広辞苑によれば、故人の亡くなった日に当たる毎月または毎年のその日を命日と呼ぶそうです。一周忌以後のまさに当月当日は「祥月命日」と呼びます。
忌日を季語にするという俳句のならいを持ち込むなら、毎年5月27日を「泉水忌」として季語にできそうです。ZARDファンの俳人の方がいらっしゃったら、詠んでみてください。普通は故人の名に「忌」をつけます。時々変った呼び名があり、太宰治(6月13日)の「桜桃忌」、芥川龍之介(7月24日)の「河童忌」、正岡子規(9月19日)の「獺祭忌」「糸瓜忌」、三島由紀夫(11月25日)の「憂国忌」などがあります。
ZARDの楽曲の魅力は多彩ですが、俳句を詠む視点からみると、さりげない詞の中にある思いがけない言葉の使い方に驚きます。「私は言葉を、詞を大切にしてきました」と言っていた彼女。残されている楽曲のほとんどが彼女自身の作詞ですので、命日には供養を兼ねてそのことを書いてみたいと思います。
まず、最初に意外な一曲を。ZARDといえば、『負けないで』などの励まし系の曲、さらには優しいバラードのイメージが強いでしょう。確かにそれがZARDの魅力の核です。ところが『負けないで』でブレイクするまでには試行錯誤を重ねています。ZARDといえど一日にして成ったわけではなく、さらに、彼女はどんな曲でも見事に歌いこなしています。
汗の中でCRY
初期はかなりダークなイメージのハードロックの曲が多く、コアなファンの方にはこうしたZARDも大好きだという人が少なくないようです。中でもこの『汗の中でCRY』は異色です。聴いていただくとわかるのですが、”むき出しの肉欲歌”と形容される内容で、5thシングル『IN MY ARMS TONIGHT』(92.9.9)のカップリング曲でありながら、アルバムに収録されなかったのは、それゆえでしょうか。
ところが、聴いていると濃厚なエロティシズムはほとんど感じられず、さらりとした印象です。これは彼女の声質の持ち味でしょう。肉食系ではなく、草食系のボーカルだと思います。脂ぎったものやどろどろしいものはすぽっと抜け落ちて、どこまでいっても涼しげです。「アタシ」と言おうが「狂おしく燃え」ようが、です。
この詞の中で、私が凄いなと思ったのは「張り裂ける喜び」という言葉です。「張り裂ける」という形容詞は普通、「悲しみ」につけられると思うのですね。「胸が張り裂けるほど悲しい」という具合です。それがここでは「喜び」を形容するのに使われています。この「喜び」の持つ性格の複雑さがこの形容詞で見事に表現されていると感じられます。彼女の詞にはこういう「え?」と思うような言葉のテクニックが随所にあります。
幾筋も糸ひく雲よ秋高し 優嵐
ZARDの坂井泉水さんが亡くなったのは、2007年5月27日です。ですから27日は彼女の命日です。広辞苑によれば、故人の亡くなった日に当たる毎月または毎年のその日を命日と呼ぶそうです。一周忌以後のまさに当月当日は「祥月命日」と呼びます。
忌日を季語にするという俳句のならいを持ち込むなら、毎年5月27日を「泉水忌」として季語にできそうです。ZARDファンの俳人の方がいらっしゃったら、詠んでみてください。普通は故人の名に「忌」をつけます。時々変った呼び名があり、太宰治(6月13日)の「桜桃忌」、芥川龍之介(7月24日)の「河童忌」、正岡子規(9月19日)の「獺祭忌」「糸瓜忌」、三島由紀夫(11月25日)の「憂国忌」などがあります。
ZARDの楽曲の魅力は多彩ですが、俳句を詠む視点からみると、さりげない詞の中にある思いがけない言葉の使い方に驚きます。「私は言葉を、詞を大切にしてきました」と言っていた彼女。残されている楽曲のほとんどが彼女自身の作詞ですので、命日には供養を兼ねてそのことを書いてみたいと思います。
まず、最初に意外な一曲を。ZARDといえば、『負けないで』などの励まし系の曲、さらには優しいバラードのイメージが強いでしょう。確かにそれがZARDの魅力の核です。ところが『負けないで』でブレイクするまでには試行錯誤を重ねています。ZARDといえど一日にして成ったわけではなく、さらに、彼女はどんな曲でも見事に歌いこなしています。
汗の中でCRY
初期はかなりダークなイメージのハードロックの曲が多く、コアなファンの方にはこうしたZARDも大好きだという人が少なくないようです。中でもこの『汗の中でCRY』は異色です。聴いていただくとわかるのですが、”むき出しの肉欲歌”と形容される内容で、5thシングル『IN MY ARMS TONIGHT』(92.9.9)のカップリング曲でありながら、アルバムに収録されなかったのは、それゆえでしょうか。
ところが、聴いていると濃厚なエロティシズムはほとんど感じられず、さらりとした印象です。これは彼女の声質の持ち味でしょう。肉食系ではなく、草食系のボーカルだと思います。脂ぎったものやどろどろしいものはすぽっと抜け落ちて、どこまでいっても涼しげです。「アタシ」と言おうが「狂おしく燃え」ようが、です。
この詞の中で、私が凄いなと思ったのは「張り裂ける喜び」という言葉です。「張り裂ける」という形容詞は普通、「悲しみ」につけられると思うのですね。「胸が張り裂けるほど悲しい」という具合です。それがここでは「喜び」を形容するのに使われています。この「喜び」の持つ性格の複雑さがこの形容詞で見事に表現されていると感じられます。彼女の詞にはこういう「え?」と思うような言葉のテクニックが随所にあります。
コメント
コメント一覧 (2)
ようやく日記をアップし、ここへ参りました。
命日の供養、素敵なことです♪泉さんもあの世で喜んでおられることでしょう!”
> この詞の中で、私が凄いなと思ったのは「張り裂ける喜び」という言葉です。
> 「張り裂ける」という形容詞は普通、「悲しみ」につけられると思うのですね。
なるほど!鋭い指摘ですね!CRYという言葉も悲しい意味ではなく喜び
の歓喜の意味かしら。バックのギターもロック色が濃くて渋い曲ですね!
> 肉食系ではなく、草食系のボーカルだと思います。脂ぎったものやどろどろし
> いものはすぽっと抜け落ちて、どこまでいっても涼しげです。
確かに、ギラギラした感じはなく、草食系のボーカルですね!
泉さんは、どんな感情も客観視でいる能力をお持ちなのかも。
そういう意味では、仏教的な意識に到達されていたのかしら。
>命日の供養、素敵なことです
からくりさまにこう言っていただくと、なんだか功徳のある偉い上人さまに言っていただいたみたいです(笑)。彼女は素敵な音楽をたくさん残してくれましたからね。せめてものお礼。
>CRYという言葉も悲しい意味ではなく喜びの歓喜の意味かしら。バックのギターもロック色が濃くて渋い曲ですね!
「喜び」の意味でしょう、恐らくは。ただいろいろ入り混じっているかもなあと思わせますね。ZARDの楽曲は、坂井泉水さんの詞とボーカルも素晴らしいのですが、的確な曲の選択、アレンジの見事さも重要な要素だと思います。それが絶妙にブレンドされてできあがっている。どこかひとつが欠けてもZARDには成り得なかったでしょう。
>泉さんは、どんな感情も客観視でいる能力をお持ちなのかも。そういう意味では、仏教的な意識に到達されていたのかしら。
精神的にはいい意味で大人だったように思えます。「客観視」というご指摘、納得です。それでいて創作者としての子供心(センス・オブ・ワンダー)は持ち続けていた。なかなかできることじゃないでしょう。彼女もある種の「菩薩」としてこの世にやって来られたのだろうと感じます。