□◆□…優嵐歳時記(1988)…□◆□
爽やかに何か終わりて始まりぬ 優嵐
「爽やか」は主観的な形容語ですが、秋の季語になっています。これに対する春の形容語は「のどか」になるでしょうか。爽やかとは「さっぱりして気持ちのよいこと、気分のはればれしいこと、すがすがしいこと」をさします。
ヤフーオークションに出品する品物を物色しながら、これはひとつの終りかもしれないなあと感じています。アウトドア系の趣味を楽しんできましたが、かなりがっくりとそれに対する興味が失せてきていることがわかりました。
特にクライミングとかカヤックツーリングとか海外登山といった、本格的な用具がいり、リーダーやガイドに従って行動しなければならないような活動はこの先もうしないだろうと思います。自分の人生である時期ものすごく入れあげてやってきて、それがぱったり「終わった」と感じることがあります。
子どもの頃、マンガが大好きであらゆるマンガ雑誌を買い、将来は漫画家になろうと思うくらい好きだったのですが、あるときぱたっとマンガを読まなくなり、今もめったに読みません。高校生から20歳くらいまでは映画が好きで、公開される映画はすべて見に行ったくらいだったのですが、それもあるときを境にぱったり見なくなり、今はもう何年も映画館へ行ったことがありません。
特にそれから離れてしまう理由はよくわからないのですが、何かが終わるんですね。すべてのものに時期がある、とはこのことかと思います。今、たまたまオークションという機会があったからなのですが、これも「そろそろ終りにして次に行こう」というどこかからのお誘いかもしれません。
<声>
誰かが呼ぶ声
それは内側から
聞こえてくる声
時がきたのを報せる声
川が流れていくように
季節が移っていくように
爽やかに何か終わりて始まりぬ 優嵐
「爽やか」は主観的な形容語ですが、秋の季語になっています。これに対する春の形容語は「のどか」になるでしょうか。爽やかとは「さっぱりして気持ちのよいこと、気分のはればれしいこと、すがすがしいこと」をさします。
ヤフーオークションに出品する品物を物色しながら、これはひとつの終りかもしれないなあと感じています。アウトドア系の趣味を楽しんできましたが、かなりがっくりとそれに対する興味が失せてきていることがわかりました。
特にクライミングとかカヤックツーリングとか海外登山といった、本格的な用具がいり、リーダーやガイドに従って行動しなければならないような活動はこの先もうしないだろうと思います。自分の人生である時期ものすごく入れあげてやってきて、それがぱったり「終わった」と感じることがあります。
子どもの頃、マンガが大好きであらゆるマンガ雑誌を買い、将来は漫画家になろうと思うくらい好きだったのですが、あるときぱたっとマンガを読まなくなり、今もめったに読みません。高校生から20歳くらいまでは映画が好きで、公開される映画はすべて見に行ったくらいだったのですが、それもあるときを境にぱったり見なくなり、今はもう何年も映画館へ行ったことがありません。
特にそれから離れてしまう理由はよくわからないのですが、何かが終わるんですね。すべてのものに時期がある、とはこのことかと思います。今、たまたまオークションという機会があったからなのですが、これも「そろそろ終りにして次に行こう」というどこかからのお誘いかもしれません。
<声>
誰かが呼ぶ声
それは内側から
聞こえてくる声
時がきたのを報せる声
川が流れていくように
季節が移っていくように
コメント
コメント一覧 (4)
> 何かが終わるんですね。すべてのものに時期がある、とは
> このことかと思います。
う〜む、なるほど。「すべてのものに時期がある」という言葉、
ズシリと心に響きました♪
> 誰かが呼ぶ声
> それは内側から
> 聞こえてくる声
> 時がきたのを報せる声
これですね!自分の内面から聞こえてくる声。ほんとに、その
時期がくると台風が去るようにスーっと興味がさめていきます。
学びがおわり、次のステージへ移行していくのでしょうか。
最近、やっぱり人は自分の意思だけではいかんともしがたいものの上に乗っているのじゃないかな、と思うようになりました。人がなんとかできることなんてごくわずか、というか自分でなんとかしていると思っていてもそれは実は違うんじゃないか、と。
運命というか天命というか、自分が生れる前に計画してきたことがあって、それに沿って展開していってるのかも、と思ったりします。
だから来るものは拒まず、去るものは追わずというのがいいかな、と思います。拒んだり追ったりするのは実は執着だったりするわけですから。
すご〜い。
私はスポーツとか体を動かす方は全くだめなのですが、いろいろモノづくりをしますので、
自分の中で何かが終わったと感じる気持だけはわかります。
本格的に道具をそろえ、夢中になっていたものの残骸が二階スペースにたくさん
あります。でも、手芸や裁縫、料理道具は価値がないんですよね。(笑)
>何かが終わる・・・
仏様の言う諸行無常、人生は川の流れの如く水は時々刻々と形を変え留まることなく流れ続ける・・・ですね。(^_^)
このことは僕も経験しています。最初の仕事を始めたときには、よもやその仕事に終わることがあるとは予期しませんでしたが、川の水の流れのごとく状況が変化して仕事内容も変わってきました。
サッカーを始めたときには、よもや自分がサッカーを止めるときが来るとは予期しませんでしたが、サッカーからテニスやサーフィンにシフトしました。
30歳を過ぎた頃でしょうか、仏様の本を読むようになってこの水の流れのごとく人間の人生が時々刻々と変わって行くということに気付きました。流れに逆らわず流れに身を任せて水になる。清らかな水には程遠く僕の水はまだ不純物いっぱいですが、(^_^; 兎にも角にも流れには逆らわないように流れに素直に身を任せよう、と思っています。(^_^;
優嵐さんの次の水の流れの展開、楽しみにしております。(^_^)v
はるさんも何かに入れあげるタイプと感じます。残骸が眠っているタイプ(笑)。スポーツ選手が引退を決意するときは身体の問題より心理的な要因が大きいそうですね。情熱が失せてしまう、あるいは「楽しめなくなった」と言う言葉をよくききます。
莫大なお金を稼ぐ彼らですらそうなのですから、モチベーションというのは無理に維持できるものではないなと思います。おそらく興味の容量が最初から決まっていて、そこを使い尽すと、もう持続できなくなるような…。
考えてみたら興味が移り変わっていくということが成長なんですよね。子どもが夢中になって遊んでいたおもちゃからいつしか離れていくように、先に進むには卒業していかなければならないものがありますよね、たとえ大人になっていたとしても。
次に何がやってくるか私も楽しみです。