□◆□…優嵐歳時記(1989)…□◆□
もみいづる空蝉をまだそのままに 優嵐
「もみいづる」とは、紅葉の動詞形です。紅葉とは、草木が寒冷にあって赤や黄色に変ることです。そういう状態になっていくことを「もみいづる」または「もみづる」といいます。
増位山で黄葉を始めている葉の裏に空蝉を見つけました。蝉は地中で長い年月を過ごした後、地上に出て木に登り背中が割れてその皮を脱ぎます。その脱け殻を空蝉といい、夏の季語になっています。
すでに夏は遠く、この空蝉の中にいた蛹は成虫としての寿命を終えています。それでも黄葉した葉の裏にその脱け殻がしっかりとつかまっていて、おそらく落葉するまではこのままでしょう。なんだかしみじみともののあわれを感じてしまいました。
<ジャンベ>
部屋が少しがらんとした
壁にかかっていたジャンベが
いなくなったのだ
彼は今ごろ郵便自動車の中
新しいご主人のところに向かっている
その人の顔も声も知らない
だけどジャンベがその人と
私をつないでいる
もみいづる空蝉をまだそのままに 優嵐
「もみいづる」とは、紅葉の動詞形です。紅葉とは、草木が寒冷にあって赤や黄色に変ることです。そういう状態になっていくことを「もみいづる」または「もみづる」といいます。
増位山で黄葉を始めている葉の裏に空蝉を見つけました。蝉は地中で長い年月を過ごした後、地上に出て木に登り背中が割れてその皮を脱ぎます。その脱け殻を空蝉といい、夏の季語になっています。
すでに夏は遠く、この空蝉の中にいた蛹は成虫としての寿命を終えています。それでも黄葉した葉の裏にその脱け殻がしっかりとつかまっていて、おそらく落葉するまではこのままでしょう。なんだかしみじみともののあわれを感じてしまいました。
<ジャンベ>
部屋が少しがらんとした
壁にかかっていたジャンベが
いなくなったのだ
彼は今ごろ郵便自動車の中
新しいご主人のところに向かっている
その人の顔も声も知らない
だけどジャンベがその人と
私をつないでいる
コメント
コメント一覧 (8)
感動。
先日のカマキリといい、田舎者は詩人にはなれませんね(笑)
なんか、ふっとその葉が気になってそばへよってみたら、裏に空蝉がいたんですね〜。呼ばれたかななんて思いました。いや、いや、私も田舎者なので(笑)。
もみじいづる・・・。緑が赤や黄色に色が変わるのに、それがにじみ「出てくる」という言い方、日本人の感性は素晴らしいですね。
11月は紅葉が楽しい季節ですね。山がまるで絵の具で描かれたように変わってゆくさま、これから鎌倉の紅葉が楽しみです。
日本語には独特の言い回しがあって、そこが実に味わい深いなあと思いますね。奥が深いというか、ゆかしいというか。
鎌倉の紅葉も美しいでしょうね。以前から夢があって、桜の季節に桜前線を追ってオートバイで日本列島を北上し、秋には紅葉前線を追って南下する、というものです。なかなかぜいたくな旅ができるだろう、と思います。いつかやろうっと。一句詠みながら。
「もみいずる」と「空蝉」。
言葉なのに、あたかも色のグラデーションにも似た季節の
変化を感じます。
ほんとにすばらしいです。
桜前線と紅葉前線を追う旅、ぜひ実現してください!
美しい言葉でしょう? 俳句をやってよかったなと思うのはこういう美しい言葉にいろいろ出会えることです。日本人が
長い歴史の中で培ってきた言葉なんだなあと思うと胸が熱くなってきます。
桜と紅葉、実現したいですね〜。
すみません。
すばらしいとか言う前にちゃんと見ろ!って感じですね。
>ジャンベ
多趣味だとは思っていましたが、ジャンベまでとは。
オドロキです!
>「もみいずる」→「もみいづる」でした。
私も最初そうだと思ったんですよ。「もみじ→もみいずる」と普通は考えますよね。それがちょっと変わるあたりが日本語の不思議さでしょうか。「づ」と「ず」、「ぢ」と「じ」はまぎらわしいことこの上ないです。
ジャンベ、音がよくてかなり叩きまくっていた時期もあるのですが、部屋でそうそう叩くわけにはいかず、どこかへ出かけていくのが面倒になると、壁飾りと化していました。打楽器というもの、本能に訴えかけるなあと思いましたね。