□◆□…優嵐歳時記(1990)…□◆□
十三夜静かに髪を洗いけり 優嵐
10月30日から31日にかけてが十三夜でした。陰暦九月十三夜の月です。今年は閏五月があったため、十三夜がかなり遅くなりました。月は少し雲がかかっていましたがその雲の流れが月に立体感をもたらし、いいお月見ができました。
日本には古くから陰暦八月の十五夜と並んでお月見をする習慣がありました。枝豆や栗を供えることから「豆名月」「栗名月」と呼ばれ、名月の一ヶ月後であることから「後の月」、お月見をするには最後の月なので「名残の月」とも呼ばれました。
娯楽が少なかった昔には月を眺めるのは大きな楽しみだったようで、十五夜にもてなされた家には十三夜にも訪れてご馳走になったといいます。ハロウィンもいいですが、十三夜を楽しむというのも日本人らしくていいのでは、と思いました。
<月>
その昔人は月に憧れた
月からやってきた
美少女がかぐや姫
いま不夜城の都会に暮らす人々は
月を見上げることもなく
月の満ち欠けすら忘れた
けれど人の内には月がいる
人の生命の満ち干を
司るおおもとに月が
十三夜静かに髪を洗いけり 優嵐
10月30日から31日にかけてが十三夜でした。陰暦九月十三夜の月です。今年は閏五月があったため、十三夜がかなり遅くなりました。月は少し雲がかかっていましたがその雲の流れが月に立体感をもたらし、いいお月見ができました。
日本には古くから陰暦八月の十五夜と並んでお月見をする習慣がありました。枝豆や栗を供えることから「豆名月」「栗名月」と呼ばれ、名月の一ヶ月後であることから「後の月」、お月見をするには最後の月なので「名残の月」とも呼ばれました。
娯楽が少なかった昔には月を眺めるのは大きな楽しみだったようで、十五夜にもてなされた家には十三夜にも訪れてご馳走になったといいます。ハロウィンもいいですが、十三夜を楽しむというのも日本人らしくていいのでは、と思いました。
<月>
その昔人は月に憧れた
月からやってきた
美少女がかぐや姫
いま不夜城の都会に暮らす人々は
月を見上げることもなく
月の満ち欠けすら忘れた
けれど人の内には月がいる
人の生命の満ち干を
司るおおもとに月が
コメント
コメント一覧 (2)
> 名月の一ヶ月後であることから「後の月」、お月見をする
> には最後の月なので「名残の月」とも呼ばれました。
十三夜は初めて知りました♪歳時記はとても勉強になり
ます。「栗名月」はいい呼び方ですね!なんだか和菓子の
名前みたいです(笑)。
ここまで、月の推移に目を向けていた日本人の感性が
素晴しいですね。「不夜城の都会」、まさにそうです。
繊細な感性が日本人から消えていくのは惜しいですね。
その意味でも、優嵐さんの歳時記の役割は大きいです!
写真の柿、おいしそう♪
歳時記を読むと、日本の季節と文化についての勉強になりますね。この繊細な季節感が文化のあらゆる部分を支えていると感じます。季節感が薄れたように思っても、メディアにもマーケティングにも季節感が欠かせないですよね。
私も俳句を始めるまではあまり関心を持っていなかったのですが、歳時記で本当にいろいろなことが学べました。