□◆□…優嵐歳時記(2016)…□◆□
一心にもの片づけて暮早し 優嵐
「暮早し」は「短日」「日短か」などと同じ意味です。語感によって使い分けます。このごろの日の短さはとりわけ午後の短さとして感じます。お昼ごはんを食べてちょっとしたら、もう夕暮れの気配が忍び寄ってきます。
今日は27日、坂井泉水さんの月命日なので、ZARDの楽曲について書きます。今日取り上げるのは『翼を広げて』(08.4.9)です。この曲はZARDの44番目のシングルとして、坂井泉水さんが亡くなった後に発表されました。作詞家として93年にDEENへ歌詞提供していた曲をセルフカバーで歌っています。もし、彼女がこんなに早く亡くならなければCD化されることはなかった作品かもしれません。
その点では、ビジュアルとしての彼女の姿がこれほど外部の人の目に触れるようになったのも亡くなった後のことでした。YouTubeにはほとんどのZARDの楽曲が動画つきでアップされています。しかし、それらの動画を作られた熱心なファンの方たちでさえ、亡くなった後に放映された特別番組や映像で初めて<坂井泉水>のさまざまな姿に触れ、感慨ひとしおだったようです。
「ああ、こんなに楽しそうにしているんだ」「笑うんだね」などというコメントが寄せられているのを読むと、若い女性なんだから、笑いもするし、冗談も言えば楽しそうにもするだろう、と思いますが、それほどメディアからは身を引いていたということでしょう。
翼を広げて
この楽曲は『負けないで』とともに高校の音楽の教科書に採用されています。「翼を広げて旅立つ君にそっとエールを送ろう」と歌う励まし系のバラードです。実はこの曲を最初に聴いたとき、ちょっと違和感がありました。それは、「誰のためじゃなくただ君のため 愛してたよ」というところです。
「私のためじゃなく」とか「あなたのためじゃなく」とは言いますが「誰のためじゃなく」という表現はあるの?と思ったからです。ここは「誰のためでもなく」「誰かのためじゃなく」「誰かのためではなく」などというのが普通でしょう。しかし、普通ではないものを普通以上のものにしてしまうのが特別な才能を持った人です。
彼女は膨大な候補メロディの中から曲を選び、そこに歌詞を乗せてZARDの楽曲を作っていたようです。曲と言葉が響きも含めてぴったりあうところを探していたに違いありません。文法的なことは百も承知の上で、あえて「誰のためじゃなく」という言葉を選んだのでしょう。「誰のためでもなく」では確かに全く印象が違ってしまいます。
似たようなエピソードが『負けないで』にあり、作曲者の織田哲郎さんは最初に歌を聴いたときに「どんなに離れてても」の部分の歌い方に違和感があったといいます。ここは単語の並びからいうと、「どんなに・はなれてても」と切るのが普通です。しかし、坂井泉水さんは「どんなには・なれてても」と歌っています。
「ところが聴いているうちにこれがいいなあと思うようになった」と織田さんが語っているように、この特異なテクニックや方法が、なんともクセになるZARDの音楽の魅力の隠し味になっているのです。
また『翼を広げて』は彼女の一周忌直前に発表されたため、「翼を広げて旅立つ君にそっとエールを送ろう」というサビのフレーズは、生前の坂井泉水さんが自分自身へ呼びかけているようにも聴こえたでしょう。ファンの方にとっては、その声に乗せて、彼女の魂に感謝とエールを送る、そんな気持ちをかきたてたのでは、と思います。
一心にもの片づけて暮早し 優嵐
「暮早し」は「短日」「日短か」などと同じ意味です。語感によって使い分けます。このごろの日の短さはとりわけ午後の短さとして感じます。お昼ごはんを食べてちょっとしたら、もう夕暮れの気配が忍び寄ってきます。
今日は27日、坂井泉水さんの月命日なので、ZARDの楽曲について書きます。今日取り上げるのは『翼を広げて』(08.4.9)です。この曲はZARDの44番目のシングルとして、坂井泉水さんが亡くなった後に発表されました。作詞家として93年にDEENへ歌詞提供していた曲をセルフカバーで歌っています。もし、彼女がこんなに早く亡くならなければCD化されることはなかった作品かもしれません。
その点では、ビジュアルとしての彼女の姿がこれほど外部の人の目に触れるようになったのも亡くなった後のことでした。YouTubeにはほとんどのZARDの楽曲が動画つきでアップされています。しかし、それらの動画を作られた熱心なファンの方たちでさえ、亡くなった後に放映された特別番組や映像で初めて<坂井泉水>のさまざまな姿に触れ、感慨ひとしおだったようです。
「ああ、こんなに楽しそうにしているんだ」「笑うんだね」などというコメントが寄せられているのを読むと、若い女性なんだから、笑いもするし、冗談も言えば楽しそうにもするだろう、と思いますが、それほどメディアからは身を引いていたということでしょう。
翼を広げて
この楽曲は『負けないで』とともに高校の音楽の教科書に採用されています。「翼を広げて旅立つ君にそっとエールを送ろう」と歌う励まし系のバラードです。実はこの曲を最初に聴いたとき、ちょっと違和感がありました。それは、「誰のためじゃなくただ君のため 愛してたよ」というところです。
「私のためじゃなく」とか「あなたのためじゃなく」とは言いますが「誰のためじゃなく」という表現はあるの?と思ったからです。ここは「誰のためでもなく」「誰かのためじゃなく」「誰かのためではなく」などというのが普通でしょう。しかし、普通ではないものを普通以上のものにしてしまうのが特別な才能を持った人です。
彼女は膨大な候補メロディの中から曲を選び、そこに歌詞を乗せてZARDの楽曲を作っていたようです。曲と言葉が響きも含めてぴったりあうところを探していたに違いありません。文法的なことは百も承知の上で、あえて「誰のためじゃなく」という言葉を選んだのでしょう。「誰のためでもなく」では確かに全く印象が違ってしまいます。
似たようなエピソードが『負けないで』にあり、作曲者の織田哲郎さんは最初に歌を聴いたときに「どんなに離れてても」の部分の歌い方に違和感があったといいます。ここは単語の並びからいうと、「どんなに・はなれてても」と切るのが普通です。しかし、坂井泉水さんは「どんなには・なれてても」と歌っています。
「ところが聴いているうちにこれがいいなあと思うようになった」と織田さんが語っているように、この特異なテクニックや方法が、なんともクセになるZARDの音楽の魅力の隠し味になっているのです。
また『翼を広げて』は彼女の一周忌直前に発表されたため、「翼を広げて旅立つ君にそっとエールを送ろう」というサビのフレーズは、生前の坂井泉水さんが自分自身へ呼びかけているようにも聴こえたでしょう。ファンの方にとっては、その声に乗せて、彼女の魂に感謝とエールを送る、そんな気持ちをかきたてたのでは、と思います。
コメント
コメント一覧 (2)
申し訳ないですがわたし、優嵐さんのこのブログを拝見するまで、坂井さんのことはあまり気に留めてませんでした。
あるときまことしやかに囁かれたように、坂井泉水なんてホントはいないんじゃないか?
あまりのメディア露出の少なさに、そんなふうに思ったものでした。
でもこうして、優嵐さんの解説つきでいろいろ聴いてみると、なるほど〜と感心することばかりです。
たしかにこうしてまじまじとお顔を拝見すると、非常に美形でありながら、芸能界にありがちな嫌らしさが感じられません。
そういう意味では、性格的にメディア露出になじまない人だったのかも知れませんね。
>「誰のためじゃなく」
言われてみれば、これもなるほどです。
古賀正男『影を慕いて』にも♪月にやるせぬ〜 とか出てきますね?
昭和歌謡好きなもので、古くてすみません(笑)
>「どんなには・なれてても」
いやぁ、これはまったく気づきませんでした。
そのぐらい違和感なく歌ってました。
もう詞と曲が一体化してますね、ここまでくると。
坂井泉水さんについて、私も今年のはじめまでは『負けないで』くらいしか知りませんでした。亡くなったというニュースをきいたときも顔がすぐに浮かんでこなかったくらいでしたから。
いろんな意味で今年凄く自分の心境の変化があって、その最初のきっかけになったのがZARDの音楽との出会いでした。だから、何となく彼女は特別な人なんですよ、私にとっては。導き手、師匠、そういう感じですね。
また、曲を聴いていると「日本語」についていろいろ考えさせられることが多いのです。「私は言葉を大切にしてきました」、と坂井泉水さんは語っているように、確かに練りに練ったのだろう、と想像できます。
歌ですから日本語がわからなくても十分楽しめるのですが、ZARDの曲は日本語が母国語の人には何倍も深みを持って楽しめると思います。そういうところを発見していくのも面白いですね。