□◆□…優嵐歳時記(2087)…□◆□
立春大吉梅の小枝はまっすぐに 優嵐
立春は、二十四節気の最初の節にあたります。春がやってくることは朗らかでめでたいことです。「立春大吉」はそれを示した季語です。本格的な春はまだまだ先ですが、薄紙をはがすようにしだいに春の気配が濃くなっていきます。
今日は坂井泉水さんの誕生日です。まったくの偶然ですが、このblog『優嵐歳時記』(04.2.6)の誕生日でもあります。ご縁を感じます。『きっと忘れない
』によれば、彼女は1967年2月6日のお昼ごろ、神奈川県下の病院で誕生しています。大雪が降った翌日で、お母さんはお昼近くに病院に行きますが、第一子ということもあり、まだ一時間以上は生まれないといわれます。
念のために分娩台に乗せられたものの、医師も助産師もお昼休みに入ってまわりには誰もいなくなってしまいます。ところが10分もたたないうちに陣痛が起こり、赤ちゃんはお母さんと自分の力だけでこの世に生まれてきます。こうした例は初産では珍しく、安産過ぎるほどの安産だったのだな、と想像できます。
泉水さんが好きだった花は、カラー(海芋)です。彼女の音楽葬では参列者の方たちがクリスタル・ブラッシュという品種を献花しています。カラーは5,6月ごろに咲き、初夏の季語にもなっています。自分の好きな花が咲く頃に亡くなるなんて、西行みたい、と思ったものです。
彼女には誕生のころに咲き始める梅もふさわしい、と私は感じています。まだ余寒の厳しい中、いち早く春の訪れを告げ、まるで暖かさをもたらすように咲き始める梅。香り高く、凛とした気品とけなげさを感じる花です。時には雪や霜にうたれながらも懸命に花を咲かせており、そのさまを見ていると励まされ、思わず姿勢を正したくなります。
今日はZARDの誕生曲『Good-bye MyLoneliness』(91.2.10)を取り上げます。デビュー曲であるこの詞に早くも後の泉水流の特徴が現れているのは興味深いところです。
Good-bye My Loneliness
何より題名ですが、単純に日本語に訳せば「ひとりぼっちにさようなら」という意味になると思います。英語には孤独を意味する単語として、lonelinessとsolitudeという二つの語があり、意味が少し違います。lonelinessは「ひとりぼっちで寂しい」ということであるのに対し、solitudeは「あえてひとりでいる、ひとりを楽しむ」といった意味があります。
ここではlonelinessを使っているため、「今まではひとりぼっちで寂しかったけど、これからは彼がそばにいる。だからうれしい」というような意味と考えられます。ですから、恋を得た喜びを歌っていると思うのが普通でしょう。ところが、歌詞を聴いてみると違います。
Good-bye My Loneliness 信じていても ふたり Faraway 思い出になる
Good-bye My Loneliness 信じていても きっと Faraway 思い出になる
恋を得てハッピーというのではなく、今恋人がいる、だけど、愛情はうつろい、いつか消えていく…そうした諦念というか無常観とでもいうものが歌われています。いつか消えていくから、今このときを大事にしたい…「夢が消える前に」。この不思議なギャップ。常識を一歩はずして異質な言葉を組み合わせる泉水流はすでにデビュー曲から始まっているのです。
そして、このある種の諦念、無常観はこの後も最後までZARDの詞の底流に流れ続けます。どれほど元気よく人を励ますような歌であったとしても、その背後には「諸行無常の響き」という通奏低音が鳴っており、それが坂井泉水さんの声質とマッチして何ともいえない切ない彩をすべての楽曲に与えています。ここがZARDの最大の魅力のひとつではないでしょうか。
今日使わせていただいた最初のYouTubeの動画の音声はデビュー当時のものではなく、後にボーカルを録り直したものです。デビュー当時は録音の要領がつかめず一週間連続でサビの部分を歌い続けたというエピソードが残っています。その苦労したデビュー当時の声はこちらで聴けます。声と歌い方の変遷がわかります。PVの映像監督は岩井俊二さんです。
立春大吉梅の小枝はまっすぐに 優嵐
立春は、二十四節気の最初の節にあたります。春がやってくることは朗らかでめでたいことです。「立春大吉」はそれを示した季語です。本格的な春はまだまだ先ですが、薄紙をはがすようにしだいに春の気配が濃くなっていきます。
今日は坂井泉水さんの誕生日です。まったくの偶然ですが、このblog『優嵐歳時記』(04.2.6)の誕生日でもあります。ご縁を感じます。『きっと忘れない
念のために分娩台に乗せられたものの、医師も助産師もお昼休みに入ってまわりには誰もいなくなってしまいます。ところが10分もたたないうちに陣痛が起こり、赤ちゃんはお母さんと自分の力だけでこの世に生まれてきます。こうした例は初産では珍しく、安産過ぎるほどの安産だったのだな、と想像できます。
泉水さんが好きだった花は、カラー(海芋)です。彼女の音楽葬では参列者の方たちがクリスタル・ブラッシュという品種を献花しています。カラーは5,6月ごろに咲き、初夏の季語にもなっています。自分の好きな花が咲く頃に亡くなるなんて、西行みたい、と思ったものです。
彼女には誕生のころに咲き始める梅もふさわしい、と私は感じています。まだ余寒の厳しい中、いち早く春の訪れを告げ、まるで暖かさをもたらすように咲き始める梅。香り高く、凛とした気品とけなげさを感じる花です。時には雪や霜にうたれながらも懸命に花を咲かせており、そのさまを見ていると励まされ、思わず姿勢を正したくなります。
今日はZARDの誕生曲『Good-bye MyLoneliness』(91.2.10)を取り上げます。デビュー曲であるこの詞に早くも後の泉水流の特徴が現れているのは興味深いところです。
Good-bye My Loneliness
何より題名ですが、単純に日本語に訳せば「ひとりぼっちにさようなら」という意味になると思います。英語には孤独を意味する単語として、lonelinessとsolitudeという二つの語があり、意味が少し違います。lonelinessは「ひとりぼっちで寂しい」ということであるのに対し、solitudeは「あえてひとりでいる、ひとりを楽しむ」といった意味があります。
ここではlonelinessを使っているため、「今まではひとりぼっちで寂しかったけど、これからは彼がそばにいる。だからうれしい」というような意味と考えられます。ですから、恋を得た喜びを歌っていると思うのが普通でしょう。ところが、歌詞を聴いてみると違います。
Good-bye My Loneliness 信じていても ふたり Faraway 思い出になる
Good-bye My Loneliness 信じていても きっと Faraway 思い出になる
恋を得てハッピーというのではなく、今恋人がいる、だけど、愛情はうつろい、いつか消えていく…そうした諦念というか無常観とでもいうものが歌われています。いつか消えていくから、今このときを大事にしたい…「夢が消える前に」。この不思議なギャップ。常識を一歩はずして異質な言葉を組み合わせる泉水流はすでにデビュー曲から始まっているのです。
そして、このある種の諦念、無常観はこの後も最後までZARDの詞の底流に流れ続けます。どれほど元気よく人を励ますような歌であったとしても、その背後には「諸行無常の響き」という通奏低音が鳴っており、それが坂井泉水さんの声質とマッチして何ともいえない切ない彩をすべての楽曲に与えています。ここがZARDの最大の魅力のひとつではないでしょうか。
今日使わせていただいた最初のYouTubeの動画の音声はデビュー当時のものではなく、後にボーカルを録り直したものです。デビュー当時は録音の要領がつかめず一週間連続でサビの部分を歌い続けたというエピソードが残っています。その苦労したデビュー当時の声はこちらで聴けます。声と歌い方の変遷がわかります。PVの映像監督は岩井俊二さんです。
コメント
コメント一覧 (4)
坂井泉水さんの誕生日とご一緒だなんて、素敵な偶然ですね。
ええ、素敵な偶然に感謝したいですね。
坂井泉水さんは私にとっては「導き手」なので、
このシンクロニシティを大事にしていきたいです。
優嵐歳時記の7周年おめでとうございます。
優嵐歳時記、一日も休まず7年間ですか!素晴らしい積み重ねですね。
優嵐歳時記の文章にはどこか「風雅」の趣があり、いつも覗かせて頂いています。
季節感のことも沢山載せて頂いているので、優嵐歳時記を読みつつ春を感じる今日この頃です。(^_^)/
そういえば、この一年は皆勤だったかもしれません。最初の頃は結構休んでいたのですが、もはやお風呂に入るのと同じ雰囲気ですね(笑)。
ブログを書いたおかげで気づかせていただいたことも多かったし、インターネットそのものを介して多くの人と出会えたのがとてもよかったと感謝しています。はるさんももちろんそのお一人です。今後ともよろしくお願いします。