□◆□…優嵐歳時記(2090)…□◆□
淡雪と光を載せしうすごおり 優嵐
「薄氷」と書いて季語では「うすらひ」といいます。万葉時代からすでにある古い言葉です。春先にごく薄く張る氷、または溶け残った氷を指す場合もあります。古典和歌の場合は氷の一形態としてもっぱら冬のものとして詠まれてきました。それを春先のものとしたのは高浜虚子です。
1934年(昭和九年)の『新歳時記』において虚子は初めて「薄氷」を春・二月の部に採用しました。ただ、古典和歌にも「春の薄氷」と詠んだものがあり、「うすらひ」という語感の美しさとあいまって早春の季語として定着していきました。「残る氷」「春の氷」「うすごおり」とも詠まれます。
日本人の美意識は、はかないもの、何かと何かのあわいにあるもの、微妙なもの、こわれやすいものに特に敏感なようです。完璧で堅固で轟然としたものも確かにいいのですが、そういうものよりは、傷つきやすいフラジャイルなものにより美しさを感じてきた、そんな気がします。「うすらひ」はそれを象徴するような季語だと思われませんか?
<達人>
高さ15cmの平均台なら
平気で歩けるのに
地上15mに渡された板の上を
歩くのは難しい
人生は
15cmの平均台だろうか
15mに渡された板だろうか
同じように渡ることができたなら
達人だ
淡雪と光を載せしうすごおり 優嵐
「薄氷」と書いて季語では「うすらひ」といいます。万葉時代からすでにある古い言葉です。春先にごく薄く張る氷、または溶け残った氷を指す場合もあります。古典和歌の場合は氷の一形態としてもっぱら冬のものとして詠まれてきました。それを春先のものとしたのは高浜虚子です。
1934年(昭和九年)の『新歳時記』において虚子は初めて「薄氷」を春・二月の部に採用しました。ただ、古典和歌にも「春の薄氷」と詠んだものがあり、「うすらひ」という語感の美しさとあいまって早春の季語として定着していきました。「残る氷」「春の氷」「うすごおり」とも詠まれます。
日本人の美意識は、はかないもの、何かと何かのあわいにあるもの、微妙なもの、こわれやすいものに特に敏感なようです。完璧で堅固で轟然としたものも確かにいいのですが、そういうものよりは、傷つきやすいフラジャイルなものにより美しさを感じてきた、そんな気がします。「うすらひ」はそれを象徴するような季語だと思われませんか?
<達人>
高さ15cmの平均台なら
平気で歩けるのに
地上15mに渡された板の上を
歩くのは難しい
人生は
15cmの平均台だろうか
15mに渡された板だろうか
同じように渡ることができたなら
達人だ
コメント
コメント一覧 (2)
「傷つきやすいフラジャイルなものにより美しさを感じてきた、そんな気がします。「うすらひ」は
それを象徴するような季語だと思われませんか?」というご指摘、その通りだと思います♪
ほんとに日本人の感性ってデリケートですよね。
「うすらひ」という読み方も日本語ならでは。
日本に生まれてよかったなと思います。
日本人のデリケートな感性を育んだのはこの風土だと思います。この季節の移り変わりの中にあるえもいわれぬ微妙さ。季節を詠う俳句という定型詩が生まれ、今もなお楽しまれているのはこの自然の美しさゆえだなあ、と感謝ですね。