□◆□…優嵐歳時記(2106)…□◆□

  誰もみな己が影連れ不器男の忌   優嵐

芝不器男(しば・ふきお)は1903年(明治36年)愛媛県に生まれた俳人です。不器男は本名で、論語の「君子不器」(君子ハ器ナラズ=人間は一つの器にとどまらないで、全人的完成をめざすべきであるの意)から命名されたと言われています。東京帝国大学農学部に入学し、帰省中に関東大震災がおきたため、中退して東北帝国大学工学部に転じました。

そのころより句を作り始め、吉岡禅寺洞の『天の川』、高浜虚子の『ホトトギス』などに投句し、早くから注目を集めました。1928年(昭和3年)伊予電鉄の副社長・太宰孫九の長女・文江と結婚。しかし翌年、睾丸の悪性腫瘍を発病、1930年2月24日、わずか26歳でこの世を去りました。愛媛県松野町にある生家は現在、芝不器男記念館になっており、私は所属する俳句結社のみなさんと訪れて句会をしたことがあります。落ち着いたいい雰囲気の場所です。

・代表句
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
永き日のにはとり柵を越えにけり
寒鴉己が影の上におりたちぬ


<春霞>
春は一歩前進した
薄手のフリース一枚で歩く山道
それでも額に汗が浮かぶ

風は無く
頂の西行と業平の歌碑は
春霞の市街を背景に
ゆったりとくつろいでいる

ベンチに寝転がれば枝越しに
やわらかな春の青空が広がる


今日の名言:君がいいと思った事は、どんな小さな事でもするがいい。


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