□◆□…優嵐歳時記(2131)…□◆□ 

  大橋も淡路も隠し霾ぐもり   優嵐

「霾(よな)ぐもり」とは黄沙のことです。土曜日の夜は雨で風も強く、春分の日の朝は黄沙で霧が立ち込めたようになっていました。アートセラピーのために大阪に向かいましたが、いつもは明石駅を出ると目の前に見える明石海峡大橋がまったく見えず、直下まできてようやく橋桁と主塔の本土側がぼんやりと見え、黄沙の凄さを実感しました。

今日のワークは粘土を使いました。信楽焼で使われる陶土を各自3kgほどずつとり、まず球形にします。陶芸用の粘土に触れたのは初めてでした。ひんやりとして気持ちがよかったのですが、球形にするのはなかなか大変でした。粘土というと小学生時代にさわった紙粘土のイメージしかなかったのですが、陶芸用粘土は容易には混じり合ってくれず、ぼろぼろと崩れていきます。

押し付けて強引にくっつけようとしたらダメというメンバーの方のアドバイスを受け、ちょっと気持ちをゆったりさせ、粘土そのものが自然になじむように穏かにゆらしていくと、不思議にもそれなりに球形になってくれました。

何でも急いで結果を出したがる私は周りの方の粘土が球形になっていくのに自分の粘土がなかなか思い通りにいかなかったので、少々焦っていました。こういうときに気持ちを落ち着け、アドバイスを受け入れるということが今の自分にとっては必要なことなのかもしれない、とふと思いました。

球形を作っている間かなり和やかな雰囲気でした。講師の方によれば、円や球というのは人間にとって根元的な形で、癒されるのだそうです。子どもが最初に描くのは円ですし、作るのは球形の泥団子です。

球形を作ったあと、そこから芋虫を作ってくださいと言われました。球形は卵であり、そこから芋虫が生まれるのです。球形の粘土をゆっくり転がして円筒形にしていこうと思うのですが、形を変えていくと粘土にヒビが入ってなかなかまとまりません。

再び自分だけが遅れている、という焦りが頭をもたげます。手の熱で粘土が乾いてきていると言われ、表面に霧を吹いて粘土を指でこねてくっつけることを何度も繰り返してなんとか芋虫らしい形にもってきました。内部はぼろぼろであっても外側はその形に落ち着いてやれやれという気分でした。

全員の芋虫を前にそれぞれワークの感想を述べあったとき、他の方もヒビ割れていること、そこをなんとか取り繕ったことなどを話されました。これを聞いて少しほっとしました。同時に、自分はかなりいい加減な人間だと思っていたのですが、結構生真面目な部分もあるのかもしれないとも思いました。

自分が芋虫のヒビ割れをごまかしているという意識があり、それが良くないことだという思い込みがどこかにあったのですね。ただ、臨機応変ということがあっていいし、生まれて初めて触れた粘土で簡単に形を整えられるものではないのだから、そのところを差し引いて考えていいでしょう。

アートセラピーで作る作品は「うまく」とか「美しく」とかを目指すものではありません。作品そのものよりも作る過程で自分が感じたことや気づいたことの方が大事なのです。

アートセラピーにプロのアーティストの方が参加されたときのことを講師の方が話してくださいました。参加するまでは、そのアーティストの方は「自分は普段から作品と向き合っているのだから、そんなことをしなくても自分のことはよくわかっている」と言われていたそうですが、実際にやってみると全く違うことに気づかれたのだとか。

その差はどこにあるのかといえば、「意識と無意識」ということになります。いろいろな言い方はあるのでしょうが、意識して、テクニックの粋をこらして作品を作るのがプロのアーティストの仕事だとするならば、アートセラピーはあえてテクニックを外し、わざわざ扱いにくいパステルや陶芸用の粘土を使って無意識領域を掘り下げることを試みます。

プロのアーティストの目標とするものが素晴らしい作品だとするならば、アートセラピーは自分の内面を見つめ、気づき変革していくためにアートを使います。言葉や表面的な理屈では到達できない部分にもアートを通してなら近づくことができるからです。


今日の名言:不幸なあなたは希望をもて。幸福なあなたは用心せよ。


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