□◆□…優嵐歳時記(2148)…□◆□

  椿寿忌や花鳥風詠どこまでも    優嵐

4月8日は高浜虚子の忌日です。1959年(昭和34)に85歳で亡くなりました。虚子が椿を愛したことにちなんで、「椿寿忌(ちんじゅき)」と呼ばれています。1877年(明治7)2月22日愛媛県松山市に生まれ、一歳年上の河東碧梧桐とともに正岡子規のもとで俳句を学びました。虚子の号は本名の清から子規がつけたものです。

子規が亡くなったあと、しばらく俳句から遠ざかっていましたが、碧梧桐の俳句がしだいに新傾向になっていくのに反対し、「俳句は有季定型」との確信をかかげて俳句に復活しました。虚子は、それを外れるならばもはや俳句ではないと言っています。十七文字で詠むという制約があるからこそ生きてくるものがあります。そしてそれを広げるのが季語の役割です。

「俳句はこころでつくってこころを消す」という言葉があります。うれしいとか悲しいとか、そういう感情表現を入れるにはあまりに短い詩形であり、あえてそれを入れず季語の持つイメージによってあらゆることを語らせるのです。

一茶が幼い娘を失ったときに詠んだ「露の世は露の世ながらさりながら」という句があります。季語は露(秋)です。悲しいともつらいとも書いてありませんが、露というはかないイメージを呼び起こす季語を通して、娘を失った一茶の慟哭が伝わってきます。さらにそれを痛切なものにしているのが「さりながら」という最後の五文字です。

わが子を失った親であるなら、いくら書いても書ききれないほどの悲しみがあったでしょう。しかし、一茶はそれをこの五文字にすべて託して言っており、それがこちらの心を揺さぶります。これが十七文字の制約と季語が持つ力だと思います。

●高浜虚子・代表句
遠山に日の当たりたる枯野かな
春風や闘志抱きて丘に立つ
去年今年貫く棒の如きもの


今日の名言:結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。



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