□◆□…優嵐歳時記(2169)…□◆□
さわさわと風通りけり竹の秋 優嵐
晩春になると竹の葉が黄ばんできます。地中の筍を育てるために一時的に葉が衰えるからです。これを他の植物の秋の様子になぞらえて「竹の秋」と言います。周囲の野山は若葉の季節を迎えており、萌え出した緑を揺らす風が黄ばんだ竹の葉も揺らしていきます。
四月は間もなく終り、春も終りです。八十八夜が5月2日、立夏は5月5日です。さすがに晴天になると日差しが強くなったことがわかります。風がさらりとしているため、まだ暑さはそれほど感じませんが、目を細めていないと光がまぶしく、紫外線も強くなっています。
<錯覚>
人間の最大の錯覚は
変わらない「個」としての自分が存在する
と思い込んでいること
こうして呼吸している間にも
自分は変わっている
身体中の細胞が刻一刻と
入れ替わっている
食べたものと呼吸したものによって
ひとときの休みもなく
独立した「個」というものはありえない
入れ替えによって
すべてがつながっているから
それなのになぜこれほどはっきり
「個」が存在すると勘違いしているのか
誰がそう思い込んでいるのか
そう思い込んでいるのが
「自我」という名で呼ばれるもの
そう錯覚しなければ自我は存在し得ない
今日の名言:いつまでも人を恨んでいてはならない。あなたが恨んでいる人は、人生を楽しんでいる。
さわさわと風通りけり竹の秋 優嵐
晩春になると竹の葉が黄ばんできます。地中の筍を育てるために一時的に葉が衰えるからです。これを他の植物の秋の様子になぞらえて「竹の秋」と言います。周囲の野山は若葉の季節を迎えており、萌え出した緑を揺らす風が黄ばんだ竹の葉も揺らしていきます。
四月は間もなく終り、春も終りです。八十八夜が5月2日、立夏は5月5日です。さすがに晴天になると日差しが強くなったことがわかります。風がさらりとしているため、まだ暑さはそれほど感じませんが、目を細めていないと光がまぶしく、紫外線も強くなっています。
<錯覚>
人間の最大の錯覚は
変わらない「個」としての自分が存在する
と思い込んでいること
こうして呼吸している間にも
自分は変わっている
身体中の細胞が刻一刻と
入れ替わっている
食べたものと呼吸したものによって
ひとときの休みもなく
独立した「個」というものはありえない
入れ替えによって
すべてがつながっているから
それなのになぜこれほどはっきり
「個」が存在すると勘違いしているのか
誰がそう思い込んでいるのか
そう思い込んでいるのが
「自我」という名で呼ばれるもの
そう錯覚しなければ自我は存在し得ない
今日の名言:いつまでも人を恨んでいてはならない。あなたが恨んでいる人は、人生を楽しんでいる。
コメント
コメント一覧 (2)
ここ数日風が強くて、我が家は優嵐さんの句どおりの風情です。
竹の秋っていうのですね。すてきな言葉をまた一つ覚えました。
そして、今日の名言にどきり。うらんでいるほどの人はいないのですが、
過去いやだった人のことを話すときは、つい感情的に。
昔も今も負けている証明ですね。 へなちょこ心にパーンチ
季語には素敵な言葉がたくさんありますよね。歳時記は俳句を詠む人だけでなく、和菓子職人さんとか、広告関係の方とかも愛読して、言葉を探されるそうです。
「ゆるす」というのは、奥深い言葉だなと思います。本当の宗教はみんなこのことを説いていますね。その意味するところも深くて、ゆるすことによってゆるす側が解放される部分が大きいんだろう、と思います。