□◆□…優嵐歳時記(2176)…□◆□
森の道永く歩きし夏来る日 優嵐
こどもの日も晴天で気温が高く、広峰山からさらに北の旧・香寺町の奥須加院近くまで森の中を歩きました。染まってしまいそうなほどのみずみずしい緑、少し視界が開けると連なる山が見えます。途中マウンテンバイクに一台であったくらいで、のんびりゆったりと森歩きを楽しみました。
先日から因果律やら観音菩薩やらと仏教的・スピリチュアル的な気づきについて書いてきました。今日の坂井泉水さんの誕生の「日」に関しても、ZARDの楽曲の中からそういう雰囲気を持ったものを取り上げてみようかと思っていました。詞の内容そのものがスピリチュアルだなと私が思うのは、『止まっていた時計が今動き出した』です。ラブソングの体裁を残してはいますが、哲学的ともとれる歌詞です。
この歌詞について書こうかと考えていたら、今朝目が覚めた時、「ふとした瞬間に視線がぶつかる〜」という声がしました。あれ、これは…、ああ『負けないで』だよね。うん、はいはい、とこの歌詞を反芻していました。眠っているときはどこかでインスピレーションをいただけるようです。
これは何かのヒントだろう、と考えているうちに、この歌詞を読みかえれば非常にスピリチュアルだということに気がつきました。
負けないで
「ふとした瞬間に 視線がぶつかる幸運(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ」---このフレーズですが、文字通り恋人同士の視線が交錯するという場面ではなく、<内的な出会い>つまり、観音菩薩などに代表される、人間の内面に働きかけてくれる聖なる何者かとの邂逅の瞬間を描いている、と解釈すればすべてが変わります。
さらに歌詞のサビの部分、「負けないで もう少し 最後まで走り抜けて どんなに離れてても心は そばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を」というのは、生身の人間よりはもっと違う何か大きな存在からの言葉のようにきこえませんか? どんなに離れてても心はそばにいる、なんていうところが特に。物質的存在でないならば、どのような距離・時間・障壁も問題になりません。出会うのは心だからです。
その聖なる存在は言うのです、こんな風に。
『負けないで〜観音菩薩ver.』
出会いの瞬間の幸せを覚えていますね?
そのままの輝いているあなたでいてください
負けないで
どんなに離れているように思えても
私はここにいます
何が起きても大丈夫
あなたのことをいつも思っています
忘れないでください
負けないで
目指すものは近づいています
あなたを常に支えています
心を澄ませば私を感じられるでしょう
森の道永く歩きし夏来る日 優嵐
こどもの日も晴天で気温が高く、広峰山からさらに北の旧・香寺町の奥須加院近くまで森の中を歩きました。染まってしまいそうなほどのみずみずしい緑、少し視界が開けると連なる山が見えます。途中マウンテンバイクに一台であったくらいで、のんびりゆったりと森歩きを楽しみました。
先日から因果律やら観音菩薩やらと仏教的・スピリチュアル的な気づきについて書いてきました。今日の坂井泉水さんの誕生の「日」に関しても、ZARDの楽曲の中からそういう雰囲気を持ったものを取り上げてみようかと思っていました。詞の内容そのものがスピリチュアルだなと私が思うのは、『止まっていた時計が今動き出した』です。ラブソングの体裁を残してはいますが、哲学的ともとれる歌詞です。
この歌詞について書こうかと考えていたら、今朝目が覚めた時、「ふとした瞬間に視線がぶつかる〜」という声がしました。あれ、これは…、ああ『負けないで』だよね。うん、はいはい、とこの歌詞を反芻していました。眠っているときはどこかでインスピレーションをいただけるようです。
これは何かのヒントだろう、と考えているうちに、この歌詞を読みかえれば非常にスピリチュアルだということに気がつきました。
負けないで
「ふとした瞬間に 視線がぶつかる幸運(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ」---このフレーズですが、文字通り恋人同士の視線が交錯するという場面ではなく、<内的な出会い>つまり、観音菩薩などに代表される、人間の内面に働きかけてくれる聖なる何者かとの邂逅の瞬間を描いている、と解釈すればすべてが変わります。
さらに歌詞のサビの部分、「負けないで もう少し 最後まで走り抜けて どんなに離れてても心は そばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を」というのは、生身の人間よりはもっと違う何か大きな存在からの言葉のようにきこえませんか? どんなに離れてても心はそばにいる、なんていうところが特に。物質的存在でないならば、どのような距離・時間・障壁も問題になりません。出会うのは心だからです。
その聖なる存在は言うのです、こんな風に。
『負けないで〜観音菩薩ver.』
出会いの瞬間の幸せを覚えていますね?
そのままの輝いているあなたでいてください
負けないで
どんなに離れているように思えても
私はここにいます
何が起きても大丈夫
あなたのことをいつも思っています
忘れないでください
負けないで
目指すものは近づいています
あなたを常に支えています
心を澄ませば私を感じられるでしょう
コメント
コメント一覧 (4)
「どんなに離れてても心はそばにいる」というところ、なんとなく守護霊というか高次元の存在というかを連想しました。そういう意味では、泉水さん自身のスピリットもずっとファンの方々のそばにいるのでしょう♪
今日の自由詩、とてもポジティブな気分になります!
・この「負けないで」の曲はバブル崩壊直後の1994年に日本人の心が最も落ち込んでいたときに発表された曲で、しかもそれが「負けないで もう少し 最後まで走り抜けて どんなに離れてても心は そばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を」というとてもポジティブな応援の歌なので世相にもマッチして大ヒットしましたね。
・でも、僕はこの歌詞、何度も何度も聞いていると、坂井さんが他の人を応援しているんじゃなくって、坂井さんが自分自身を応援して鼓舞しているんじゃないか?と思うようになりました。これは女性から男性へのラブストーリーでも何でもなくって、自分で自分を鼓舞している・・・と。ですから、優嵐さんが指摘されているように、まるで観音菩薩さまが坂井さんに囁きかけているという説もほぼ僕のと同じですね。
・坂井さんの曲は恋愛の曲が大半ですが、恋愛曲のように見せかけて置いて、実は自分で自分を励ましているような歌が多々あるように思います。坂井さんの傷つきやすい心の内側を知ることができるようで、マシンガンのようにパソコンのキーボードを打っている僕の手がふと止まって仕事が中断しまうことがあります。(^_^;
>マミさんと視線がぶつかったことを思い出しました(笑)
ははは、坂井泉水さんの詞はこうした現実の感情に象徴的な意味を重ね合わせているんじゃないか、と思います。その意味ではお経に近いかもなあと思ったり。表面は方便で「恋愛」という万人に受け入れられやすい形態をとりながら、背後に何らかの別の深いメッセージが隠されている、そんな気がしますね。
>泉水さん自身のスピリットもずっとファンの方々のそばにいる
YouTubeのメッセージなどを読んでいると、きっとそうなんだろうな、と思います。もともとほとんどメディアに出ず、ベールの彼方にいる人という雰囲気でしたから一層それが印象深いですね。
自由詩の感想ありがとうございます!「負けないで」の変奏という感じです。
>他の人を応援しているんじゃなくって、坂井さんが自分自身を応援して鼓舞しているんじゃないか?
さすがはるさんの解釈ですね。坂井泉水さんの詞はよくよく聴いてみると、かなりスピリチュアルな要素があると感じます。けれどそれを前面に押し出さず、恋愛物語のオブラートでくるんでいて、だから非常に見事だとも思います。聴く人によってさまざまなメッセージを受け取れるようになっている。
「しあわせ」に「幸福」ではなくあえて「幸運」という字をあてている、このあたりにも彼女が伝えたかったメッセージが入っていると思えます。単なる恋愛なら「幸福」の方がしっくりくると思いますので。
私は坂井泉水さんも一種の「遣わされた人」だと思っています。活躍時期が象徴的だし、その亡くなり方も。ある仕事をするためだけに一時期ここにやってきた、そんな感じですね。恐らく人一倍繊細で傷つきやすい部分があっただろうと思います。だからああいう作品が生み出せたともいえますけれど。
彼女自身が自分を励ましながら歌った曲が同時に人々をも大いに励ました…、お疲れさまでしたと言ってあげたいですね。