□◆□…優嵐歳時記(2180)…□◆□
藤房に残りし雨の雫かな 優嵐
周囲の山々はフジの花盛りです。季語の分類では晩春に入っていますが、花の時期は四月下旬から五月にかけてです。蔓性の落葉高木で、高木をよじ登り高い鞘から長い花穂がぶら下がります。
自然の状態では、林内を出ない蔓には花が咲かないため、近くで花の咲く様子を観察するのは難しいのですが、藤棚で咲かせているものを見ると、実にうまい構造になっているものだと感心してしまいます。花は五十個から百個にも及び、香りに誘われて虫がやってきます。
日本固有種であり、古来から人々の目をひいて『万葉集』ですでに歌に詠まれています。遠くからは紫の藤の房が波打つように見えるところから「藤波」という言葉も生まれ、『万葉集』でフジを詠んだ二十七首のうち、十八首までが藤波と表現しています。
藤波の花は盛りになりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を思ほすや君 (大伴四綱)
<森>
落葉広葉樹の森の影が濃くなった
ほぼ毎日同じ森を歩いていると
森が生きていることがよくわかる
一本一本の木が生きているのと同時に
森全体がひとつのリズムを持ち
大きな流れを体現するように変化していく
芽吹いた小楢も阿部槙も若葉を広げ
すっかり頭上を覆っている
椎の花が咲き始めた
今日の名言:あなたらしくあれ!そうすれば世界は豊かで美しい。
藤房に残りし雨の雫かな 優嵐
周囲の山々はフジの花盛りです。季語の分類では晩春に入っていますが、花の時期は四月下旬から五月にかけてです。蔓性の落葉高木で、高木をよじ登り高い鞘から長い花穂がぶら下がります。
自然の状態では、林内を出ない蔓には花が咲かないため、近くで花の咲く様子を観察するのは難しいのですが、藤棚で咲かせているものを見ると、実にうまい構造になっているものだと感心してしまいます。花は五十個から百個にも及び、香りに誘われて虫がやってきます。
日本固有種であり、古来から人々の目をひいて『万葉集』ですでに歌に詠まれています。遠くからは紫の藤の房が波打つように見えるところから「藤波」という言葉も生まれ、『万葉集』でフジを詠んだ二十七首のうち、十八首までが藤波と表現しています。
藤波の花は盛りになりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を思ほすや君 (大伴四綱)
<森>
落葉広葉樹の森の影が濃くなった
ほぼ毎日同じ森を歩いていると
森が生きていることがよくわかる
一本一本の木が生きているのと同時に
森全体がひとつのリズムを持ち
大きな流れを体現するように変化していく
芽吹いた小楢も阿部槙も若葉を広げ
すっかり頭上を覆っている
椎の花が咲き始めた
今日の名言:あなたらしくあれ!そうすれば世界は豊かで美しい。
コメント
コメント一覧 (4)
「藤波」とは素敵な言葉ですね!その頃に見立ての感性があるのは、とても興味深いです。
「ほぼ毎日同じ森を歩いていると 森が生きていることがよくわかる」という心境は、もうそれだけで幸せかもしれませんね♪ 森も生きていて、自分も生きているという、なんというかオーガニックなつながりの感覚というか喜びというか。
フジの花、きれいですよ。遠目に見るのも近づいて見てもどちらも素敵です。自然の花の色というのはなぜこんなにきれいなんでしょうね。やっぱり人間の登場を予期して準備してくれていたんんだ、と思わずにはいられません。
森を歩くのはほんとうにいいです。なんと表現していいかわかりませんが、自分が生まれてきたふところに帰る、そんな感覚があります。包まれている、そういう感じです。アウトドアでの活動はいろいろしてきましたが、こうして一ヶ所をじっくり味わうことでしか知ることのできない感覚かもしれない、と思います。
藤の季節になってきましたね。フジ属マメ科のつる性の落葉木本だそうですが、いつも思うのですが、つる性の植物というのは本当に上手く遺伝的に進化した植物だと思います。つる性植物というと、アイビー、アサガオ、ブドウ、イチゴといったものがありますね。我が家にはアイビーとアサガオと苺が植わっているのですが、彼らはとても頭がいいんです。
花壇に咲く花は実際には壮絶なる縄張り争いをしているんですね。どれか一つの草花が一気に領土を拡げると他の草花は隅っこに追い遣られたり敢えなく枯れて死滅したりしてしまいます。土に近い部分は人口密度が異常に高いので、他の多くの草花がまるで陣地争いや縄張り争いの熾烈な闘いを繰り広げているんです。
そこにゆくと、つる化の草花は、そういった人口密度の高い「勝ち目のない勝負」を避けて、花壇から外にどんどんツルを伸ばして、通常の草花が到達できない塀とか家の壁とかそういったところにどんどん伸びて行くんです。そこは環境としては有利ではないんですが、何と言っても競争が少ない場所なので、生き延びられるんですね。わざわざ南極という生存に不利な極地を選んだペンギン、わざわざ北極という生存に不利な極地を選んだ北極熊などは、わざわざ深海という生存に不利な極地を選んだ深海魚などは、競争するよりも競争しないで済む不利な環境の方を選んだことで、その不利な環境で独占的地位を獲得できたわけですね。(^_-)-☆
フジはマメ科ときくと、そうだなあ、と納得します。花をそばで見ると、まさしくマメの花の豪華版という感じ。はるさんがおっしゃっているように、自然界の生存競争の中で彼らはニッチ部分に活路を見出した種類でしょうね。
特にフジの説明を読んでいて、「林内の蔓には花をつけない」と書いてあったのを読み、さらに見事だと感じました。他の高木が日光を求めて高く背を伸ばしているその背にするすると這い登り、その枝先に出て自分の花をぶらんとぶら下げるのですから、他人のふんどしで相撲をとっている。熾烈な価格競争を避けて、おいしいところだけ持っていっているそんな感じでしょうか(笑)
森に入ると、植物の生存競争のさまをつぶさに見ることができます。高く背を伸ばすアラカシの群落の下に入ってみると、下草がほとんどありません。日光ははるか上空ですべてカシやシイに吸収され、下まで届かないから他の植物はほとんど育たない。で、上空では、同じそれら高木の枝と葉がぴったりとまるでパッチワークのように軒を接して、一分の空きもありません。
植林された針葉樹は手入れが行き届かないため、荒れているところが増えています。彼らは動物で言えば飼いならされたペットだなと思います。人間の手で世話をしてやらないとうまく育てないんですね。ああいう放置された森をもともとの姿のものに戻してやれば、災害を防ぐのに役立ってくれると思います。