□◆□…優嵐歳時記(2187)…□◆□

  はつ夏の風ビル街を通り抜け   優嵐

アートセラピーのため、土曜日は堂島近くのホテルに滞在しました。四月から六月までの三ヶ月間はコミュニケーションをテーマにワークをおこないます。今日は二人で一組になり、透明水彩を使って自由に絵を描きました。その際どちらか一方がリーダー、もう一方がサポーターという役割分担をします。

リーダーが主導権を握り、何をどのように描いていくかを決めて進めていきます。サポーターは合いの手を入れていく感じでリーダーの筆に応じて描いていきます。絵を通してリーダーとは何をする人か、サポーターの役割とは何かを感じるのです。

これはいつもそうですが、描き終わった後の感想を聞くと、それぞれ同じようなことをしていてもひとりとして同じことを経験してはいません。世界を経験するのはあくまで自分の視点、自分の主観を通してなのだということがよくわかります。

ここでいうリーダーとは必ずしも大組織を束ねるような役割と解釈する必要はありません。人が何らかの役割を担うとき、その役割に関してはその人がリーダーだと言えます。リーダーの仕事は決定することです。自分で決め、その決定に責任を持つということかもしれません。

サポーターはリーダーを支えるのが役割です。自分を持ちつつ自分を主張しない。優れたサポーターとは、受けに回ることができ、そのためには自分をきちんと確立している必要があります。

コミュニケーションについて、依存や判断といったことがワークの中で話題になりました。リーダーであるということは、依存しないということです。依存とは自分で判断せず、決定を他者にあずけてしまうことです。意外にも多くの人がその罠にはまっており、誰かの判断の後についていこうとします。自分で責任をとることから逃れたいと思うからかもしれません。

「これをしてもいいですか?」という言葉を相談やセラピーではよく聞きます。しかし、それは時と場合、人によって変化するものです。どちらにせよ自分で決めてそれを選ぶということが大事です。それが自分自身を確立するということだからです。

判断は、生起した出来事にレッテルを貼らずにはいられないという人間の性質と関係しており、大きな苦しみの原因です。本来物事にいいも悪いもありません。いいか悪いかに執着するから苦しみが生まれるのです。世界が主観によって成立しているなら、自身の視点を変えていくことによってしか「判断」という磔から自由になる道はありません。


今日の名言:苦難の時代は忘れよ。だが、苦難が君に教えたことは決して忘れるな。


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