□◆□…優嵐歳時記(2194)…□◆□
青羊歯や谷ひたすらに明るくて 優嵐
目が覚めた時、「汝自身を知れ」という言葉が浮かんできました。夢を見ていたのです。ライオンの母子のマンガでした。コマ割りのマンガですけれど、全然見たこともない画風で、一言でいえば母ライオンが子どもを守って死んでいくというような話でした。現実にはそんなことはありえません。
以前、ライオンの生態を描いたドキュメンタリーを見たことがあります。ライオンは母系社会で、一夫多妻です。狩も子育てもすべて雌がおこないます。雄はたてがみは立派ですが、狩をするには体が重すぎるのか、ハーレムの主になって、子どもを残すだけで、あとはぶらぶらしています。
生まれた子どものうち、雌は群れに残りますが、雄はある一定の年齢になると追い出されてしまいます。若いはぐれ雄はハーレムの主が老いて弱くなっているところに目星をつけ、戦いを挑みます。彼が勝てば、ハーレムはすべて新しい雄のものとなり負けた雄は追い払われてしまいます。
その先ですが、新しい雄が最初にやることは古い雄の残した子どもを皆殺しにすることです。情などというものはそこにありません。わが子が殺されていくのを母親は平然と見ており、子どもが死ぬと雌は発情して雄を受け入れ、新しい雄の子どもを妊娠します。
今、ツバメの子育ての様子を身近で見ることができます。動物の親というのは、本当に献身的に子育てをします。池田晶子さんが『14歳からの哲学
』で「完全な親というのは、動物にしかいない」と書いていました。確かにそうだろうと思います。子育てのさまざまな問題や時に報道される悲惨な虐待の話をきき、「動物ですらあんなに素晴らしい子育てをするのに」という人がいます。
しかし、これは本末転倒です。人間だから子育てが困難になり、ときに虐待も起きてしまうのです。動物の子育てはすべて本能に支配されており、そこから一歩も出る必要もなければ出ることもできません。人間には「自由意志」というものが与えられています。本能のくびきをはずれ、自分の理性を使って自分の人生を切り開いていける自由です。だからこそ、汝自身を知らなければならないのです。
<いつも>
もしかしたら
人生で一番大事な人に会ったのかもしれない
その人はずっと私のことを知っていた
黙っていつもそばにいた
私がバカなことをしたり
怒ったり愚痴を言ったり怠けたり嘘をついたり
数え上げるもきりがないほどの
愚考と愚行を繰り返している間
ずっと
今もそばにいてくれるはずだ
私は孤独ではない
生まれた時から死ぬまで
ずっとその人はそばにいてくれるのだ
もったいないほどの高貴さと美しさをたたえて
今日の名言:自分こそ正しい、という考えが、あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。これほどばかげていて根拠のない考えはない。
青羊歯や谷ひたすらに明るくて 優嵐
目が覚めた時、「汝自身を知れ」という言葉が浮かんできました。夢を見ていたのです。ライオンの母子のマンガでした。コマ割りのマンガですけれど、全然見たこともない画風で、一言でいえば母ライオンが子どもを守って死んでいくというような話でした。現実にはそんなことはありえません。
以前、ライオンの生態を描いたドキュメンタリーを見たことがあります。ライオンは母系社会で、一夫多妻です。狩も子育てもすべて雌がおこないます。雄はたてがみは立派ですが、狩をするには体が重すぎるのか、ハーレムの主になって、子どもを残すだけで、あとはぶらぶらしています。
生まれた子どものうち、雌は群れに残りますが、雄はある一定の年齢になると追い出されてしまいます。若いはぐれ雄はハーレムの主が老いて弱くなっているところに目星をつけ、戦いを挑みます。彼が勝てば、ハーレムはすべて新しい雄のものとなり負けた雄は追い払われてしまいます。
その先ですが、新しい雄が最初にやることは古い雄の残した子どもを皆殺しにすることです。情などというものはそこにありません。わが子が殺されていくのを母親は平然と見ており、子どもが死ぬと雌は発情して雄を受け入れ、新しい雄の子どもを妊娠します。
今、ツバメの子育ての様子を身近で見ることができます。動物の親というのは、本当に献身的に子育てをします。池田晶子さんが『14歳からの哲学
しかし、これは本末転倒です。人間だから子育てが困難になり、ときに虐待も起きてしまうのです。動物の子育てはすべて本能に支配されており、そこから一歩も出る必要もなければ出ることもできません。人間には「自由意志」というものが与えられています。本能のくびきをはずれ、自分の理性を使って自分の人生を切り開いていける自由です。だからこそ、汝自身を知らなければならないのです。
<いつも>
もしかしたら
人生で一番大事な人に会ったのかもしれない
その人はずっと私のことを知っていた
黙っていつもそばにいた
私がバカなことをしたり
怒ったり愚痴を言ったり怠けたり嘘をついたり
数え上げるもきりがないほどの
愚考と愚行を繰り返している間
ずっと
今もそばにいてくれるはずだ
私は孤独ではない
生まれた時から死ぬまで
ずっとその人はそばにいてくれるのだ
もったいないほどの高貴さと美しさをたたえて
今日の名言:自分こそ正しい、という考えが、あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。これほどばかげていて根拠のない考えはない。
コメント
コメント一覧 (5)
母系社会と父系社会、不思議な仕組みですね。実は、母系社会の哺乳類と父系社会の哺乳類について調べたことがあるのですが、興味深いことが色々分かりました。
父系社会は雄が群れに留まり(嫁迎え)雌が群れから出て行って他の群れに入ります(嫁入り)、母系社会では雄が群れから出て行き(放浪一匹狼)雌が群れに残ります(婿養子迎え)。
当然ながら哺乳類では母系社会が圧倒的に多く、一匹狼の雄が争って勝った者がハーレムを形成しますね。ハーレムが交代するときには雄同士の壮絶な死闘と、陰惨な子供虐殺が起きますが、いったん社会が安定すると一定の期間平和が続くようです。
父系社会では雌に比べて腕力がある雄がほぼ全員群れに残るので、雄集団の強烈な派閥ができて、特に飢えていなくても他の群れの集団を襲ったり(戦争行為)、他の群れから復讐を受けたり(報復戦争)して、平和な期間が殆どないそうです。チンパンジーや人類は群れに食物が充分あっても定期的に別の群れを攻撃するので、食べ物を確保するために縄張り争いしている訳ではないそうです。なんちゅうこっちゃです。
哺乳類では母系社会が圧倒的に多いのですが、サル科の種族を見ると、ボノボだけが母系で、チンパンジーや人類など父系社会が圧倒的に多いそうです。どんな理由が母系社会にし、どんな理由が父系社会にするのか、これはまだ僕には厳密には分からないのですが、余剰食物などの資産が生まれると、その資産を守ったり奪ったりするために雄の集団(軍隊)が必要になって、自動的に父系社会になってしまうそうです。
哺乳類以外では、置かれている環境に応じて性転換する種も多いので、そもそも母系とか父系という概念が当て嵌まらないことが多いようです。(^_^;
さて、母系と父系、どちらがより平和なのかは何とも言えませんが、父系社会が戦争だらけになることは避けられず、チンパンジーも人類も果てしなく戦争と殺戮を繰り返しているのが今でも全く変わりませんね。運命とはいえこれは悲しいことです。
しかし、全ては天や宇宙の運命、善し悪しではなくただひたすらたゆたう運命の中で人類がより賢い道を歩んでゆくことを祈念したいところです。
いつもドップリ深いテーマで申し訳ありません。(^_^;
父系社会は戦闘的というのに、なるほど、と思いました。日本でも古代は母系社会だったといわれていますね。平安時代の貴族も「妻問婚」ですから、婿取り。ところが武家社会になると完全なる父系・嫁入社会となり、それが今まで尾をひいているわけですね。
しかし、今は名目上は女性が姓を変えて嫁入り形式が残っていますが、家に入るというパターンは珍しくなり、離婚した場合も女性が子どもを連れて行く(つまり、男性が家族サークルから出る)という母系社会的な社会慣習になりつつあるように思います。マスオさんも多いし。
動物は家族形態が固定されていますが、人間の場合は社会の要請によって家族形態が変わっていくんだろうなあ、と思いました。ですから、家族とはかくあるべし、というような硬直した考え方は実はあんまり人間的ではない、といえると思います。
不思議な夢ですね!ライオンのマンガが全然見たこともない画風というのは、生まれてから今までの記憶ではないという可能性があり興味深いです♪
もっと遠い過去の記憶かしら?
母ライオンが子どもを守って死んでいくのも不思議な内容です♪ライオンとは関係ないですが、怪獣映画で母モスラが子(幼虫)を守るためゴジラと闘い、死んでゆくというシーンを思い出しました。母が子を守るというのは、神話のころからあるのかもしれません。なにかを象徴してるのかしら?
「母性本能」という言葉、心をくすぐるものがありますよね。ただ、動物が子どもを守ろうとするのは実際に「本能」、つまり自分ではどうしようもできない反射的な行動だと思うのですね。だから子どもに養育の必要があるときはそれが発現しますが、子どもが巣立つ時や、このライオンの子殺しのように種の保存にとって好都合なときは、すっぱり切れるようになっています。
人間は本能からある程度自由な存在であり、理性と自由意志を与えられていますから、それの使い方しだいで、虐待がおこったり、子離れが難しかったりするのだと思います。そしてお互いの思惑がすれ違うため、数々の家族の悲喜劇が起きるのでしょう。それもまたこの世の修行、でしょうか。
この夢の場合、ライオンの母が子を守って死んでいくというありえないことがマンガに出てきたのは、人間が持つ本能から外れた部分の「自由意志」に注目せよということではないだろうか、と私は解釈しました。
これは今の私にとっての解釈であり、別の人がまったく違う状況の中で同じような夢を見たらまた全然違う意味にとれると思います。夢の解釈が難しいのはこの辺でしょうね。全然論理的ではないから。