□◆□…優嵐歳時記(2197)…□◆□
風いつもそこにありけりカラー咲く 優嵐
カラー、別名オランダカイウは1843(天保14)年オランダ船によって日本にもたらされました。南アフリカ、ケープ地方が原産です。仏像の光背のような見事な苞を仏炎苞(ぶつえんほう)といい、サトイモ科にはミズバショウをはじめ、美しい仏炎苞を持つものが多く、カラーはその代表です。切り花で室内に飾られていても、周囲に風が吹いているような雰囲気を感じさせてくれます。
カラーは坂井泉水さんが好きだった花です。彼女が亡くなって今日で丸三年になります。YouTubeに書かれている彼女へのメッセージには、感謝とともに、「励まされた、勇気づけられた」というのが目だちます。私の場合は「導かれた」というのが近いですね。なぜかはわかりませんが、彼女が導き手のひとりになってくださった。感謝しています。泉水さんが新しい世界で、さらなる歩みと成長を続けられますようお祈りしています。
さて、今日は、ZARDには珍しく自伝的要素が入った『forever you』を取り上げます。6枚目のオリジナルアルバム『forever you
』(95.3.10)のタイトル曲です。坂井泉水さんが女性の視点で詞を書いている楽曲であっても、私は、彼女が自分自身のことを直接的に歌っているものはあまり無いと思っています。その中でこれは数少ない一曲ではないでしょうか。
forever you
「若い頃は人一倍好奇心が強くて いろんな周囲(まわり)の人や家族に迷惑ばかりかけてた」と始まる冒頭。実際に『きっと忘れない
』によれば、彼女は大変好奇心の強い子どもだったらしく、「なぜ?」「どうして?」の質問はご両親が困り果てるまで繰り返されました。
さらに、人とはちょっと変わった視点を持ち、一度興味を覚えると、もの凄い集中力で対象に向かっていき、周囲を驚かせたといいます。後のZARD・坂井泉水の片鱗はこのあたりからすでに芽生えていたのです。
それにしても「若い頃は…」って、この楽曲発表当時の彼女は28歳になったばかりです。つまり制作時はそれより若く、20代半ばです。ティーンエイジャーとはいえませんが、まだ自分自身が十分「若い」といえる年齢でしょう。
ただ、彼女が若くして亡くなる運命にあったということを考えてみると、彼女にとって一年が過ぎる速さは平均寿命まで生きる人の倍に相当していたのかもしれない、と思います。28歳ではあっても精神年齢としては50代から60代くらいの成熟度に達していたかもしれません。亡くなった直後のテレビのインタビューで、デビュー当時のZARDのメンバーだった方が、彼女のことを「大人だった」と形容されていました。
スピリチュアル的に見れば、人間は、肉体の脳の意識では知らなくても、いつこの世を去るかを、霊の意識では理解しているそうです。私がZARDの楽曲を聴くようになったのは亡くなった後のことですから、全体を俯瞰して一気に聴きとおすことができました。そして、私自身も、坂井泉水さんは精神の深い部分では、この世にそんなに長くは滞在しないことを知っていたのではないかと思いました。
詞に使われている言葉、題名、活動方法など全てをあわせてみると、彼女の「たましい」は何をいつどのようにおこなうべきかを知っていたと感じられるのです。ラブソングの体裁をとりながら、よく歌詞を吟味してみると、何か「大きな存在からの啓示」といえる要素が入っているものが少なくありません。
風いつもそこにありけりカラー咲く 優嵐
カラー、別名オランダカイウは1843(天保14)年オランダ船によって日本にもたらされました。南アフリカ、ケープ地方が原産です。仏像の光背のような見事な苞を仏炎苞(ぶつえんほう)といい、サトイモ科にはミズバショウをはじめ、美しい仏炎苞を持つものが多く、カラーはその代表です。切り花で室内に飾られていても、周囲に風が吹いているような雰囲気を感じさせてくれます。
カラーは坂井泉水さんが好きだった花です。彼女が亡くなって今日で丸三年になります。YouTubeに書かれている彼女へのメッセージには、感謝とともに、「励まされた、勇気づけられた」というのが目だちます。私の場合は「導かれた」というのが近いですね。なぜかはわかりませんが、彼女が導き手のひとりになってくださった。感謝しています。泉水さんが新しい世界で、さらなる歩みと成長を続けられますようお祈りしています。
さて、今日は、ZARDには珍しく自伝的要素が入った『forever you』を取り上げます。6枚目のオリジナルアルバム『forever you
forever you
「若い頃は人一倍好奇心が強くて いろんな周囲(まわり)の人や家族に迷惑ばかりかけてた」と始まる冒頭。実際に『きっと忘れない
さらに、人とはちょっと変わった視点を持ち、一度興味を覚えると、もの凄い集中力で対象に向かっていき、周囲を驚かせたといいます。後のZARD・坂井泉水の片鱗はこのあたりからすでに芽生えていたのです。
それにしても「若い頃は…」って、この楽曲発表当時の彼女は28歳になったばかりです。つまり制作時はそれより若く、20代半ばです。ティーンエイジャーとはいえませんが、まだ自分自身が十分「若い」といえる年齢でしょう。
ただ、彼女が若くして亡くなる運命にあったということを考えてみると、彼女にとって一年が過ぎる速さは平均寿命まで生きる人の倍に相当していたのかもしれない、と思います。28歳ではあっても精神年齢としては50代から60代くらいの成熟度に達していたかもしれません。亡くなった直後のテレビのインタビューで、デビュー当時のZARDのメンバーだった方が、彼女のことを「大人だった」と形容されていました。
スピリチュアル的に見れば、人間は、肉体の脳の意識では知らなくても、いつこの世を去るかを、霊の意識では理解しているそうです。私がZARDの楽曲を聴くようになったのは亡くなった後のことですから、全体を俯瞰して一気に聴きとおすことができました。そして、私自身も、坂井泉水さんは精神の深い部分では、この世にそんなに長くは滞在しないことを知っていたのではないかと思いました。
詞に使われている言葉、題名、活動方法など全てをあわせてみると、彼女の「たましい」は何をいつどのようにおこなうべきかを知っていたと感じられるのです。ラブソングの体裁をとりながら、よく歌詞を吟味してみると、何か「大きな存在からの啓示」といえる要素が入っているものが少なくありません。
コメント
コメント一覧 (2)
子どもの頃から人一倍好奇心が強いという性質もお釈迦さまに似てますね!たぶん、泉水さんの知恵の目が人より早く覚醒したのかも。
>泉水さんの精神の成熟性
子どものように好奇心が旺盛な部分と年齢を超えて成熟した部分とが彼女の中で並存していたというのが、魅力を形づくったのではないか、と思います。こういうのはなかなか有り難い。
アンチエイジングといいますが、精神はやはり成長して、成熟したいと思います。そしてそれには肉体と違って限界がありませんから。