□◆□…優嵐歳時記(2222)…□◆□
大橋をすっぽり隠し夏の霧 優嵐
霧は単独では秋の季語です。日曜日にはアートセラピーのために大阪へ行ってきました。梅雨の播磨灘は濃霧に包まれており、明石海峡大橋が全く見えませんでした。このところ、お昼は近くのイタリア料理店のランチを食べるようになりました。前菜、パスタにパン、デザート、ドリンクがついて千円というお値段が魅力です。そのせいか小さな店内はいつもお客さんでいっぱいです。
四月から「コミュニケーション」をテーマに絵を描いてきました。この日は参加者九人で二畳ほどの広さの紙を囲み、「自分と家を入れた夏の風景」というテーマでそれぞれがそれぞれの風景を自分の前に描いていきました。最初に自分にとって紙の一番手前の部分に土を描き、そこから中央部に向かって風景を描いていきます。
単純な同じ課題ですが、それぞれに解釈が異なっていて、できあがってくる絵が違っているのは面白いものです。私自身はまず夏の風景を象徴するものは何かと考え、入道雲を描こうと最初に決めました。緑濃い山の上に高く白く輝く入道雲です。
その次は自分の存在をはっきりさせたかったので、キャラクター的な似顔絵を描きました。家に関してはそれほど深く考えず、家らしく見えればそれでいいだろうと考え、切妻屋根の日本家屋を描きました。三つの言葉のうち一番比重が軽かったのが「家」だったかもしれません。
描きあがった後、どちらを下にするか決めて壁に貼り、感じたことをシェアしあいました。二ヶ月前に描いたマンダラを思い出してそれとの比較で語られる人が何人かありました。マンダラのような幾何学模様ではなかったため、今回の方が隣の人と接する位置がスムーズに融合できたという方が多かったようです。手前の部分に「土」があり、それが全体をまとめていて、それが描き易さの土台になっていたというところもあるでしょう。
私自身は、マンダラのときも今回も他の人の絵はあまり気にならなかったし、接するところも「まあ適当に」という感じで自分が描きたいように描きました。あまり周りを見ないというのは変わっていません。好きなようにさっさと自分のペースで描いてしまうというのが私のやり方のようです。
家と自分との関係はいろいろでした。家の中にいる人、外にいる人、意外だったのは、ほぼ全員が絵のどこかに木を描いていることでした。講師の方は一言も「木を描いてください」とは言われていませんが、なぜか目だつ位置に木があるのです。これは何か心理的な理由があるのかもしれません。
大橋をすっぽり隠し夏の霧 優嵐
霧は単独では秋の季語です。日曜日にはアートセラピーのために大阪へ行ってきました。梅雨の播磨灘は濃霧に包まれており、明石海峡大橋が全く見えませんでした。このところ、お昼は近くのイタリア料理店のランチを食べるようになりました。前菜、パスタにパン、デザート、ドリンクがついて千円というお値段が魅力です。そのせいか小さな店内はいつもお客さんでいっぱいです。
四月から「コミュニケーション」をテーマに絵を描いてきました。この日は参加者九人で二畳ほどの広さの紙を囲み、「自分と家を入れた夏の風景」というテーマでそれぞれがそれぞれの風景を自分の前に描いていきました。最初に自分にとって紙の一番手前の部分に土を描き、そこから中央部に向かって風景を描いていきます。
単純な同じ課題ですが、それぞれに解釈が異なっていて、できあがってくる絵が違っているのは面白いものです。私自身はまず夏の風景を象徴するものは何かと考え、入道雲を描こうと最初に決めました。緑濃い山の上に高く白く輝く入道雲です。
その次は自分の存在をはっきりさせたかったので、キャラクター的な似顔絵を描きました。家に関してはそれほど深く考えず、家らしく見えればそれでいいだろうと考え、切妻屋根の日本家屋を描きました。三つの言葉のうち一番比重が軽かったのが「家」だったかもしれません。
描きあがった後、どちらを下にするか決めて壁に貼り、感じたことをシェアしあいました。二ヶ月前に描いたマンダラを思い出してそれとの比較で語られる人が何人かありました。マンダラのような幾何学模様ではなかったため、今回の方が隣の人と接する位置がスムーズに融合できたという方が多かったようです。手前の部分に「土」があり、それが全体をまとめていて、それが描き易さの土台になっていたというところもあるでしょう。
私自身は、マンダラのときも今回も他の人の絵はあまり気にならなかったし、接するところも「まあ適当に」という感じで自分が描きたいように描きました。あまり周りを見ないというのは変わっていません。好きなようにさっさと自分のペースで描いてしまうというのが私のやり方のようです。
家と自分との関係はいろいろでした。家の中にいる人、外にいる人、意外だったのは、ほぼ全員が絵のどこかに木を描いていることでした。講師の方は一言も「木を描いてください」とは言われていませんが、なぜか目だつ位置に木があるのです。これは何か心理的な理由があるのかもしれません。
コメント
コメント一覧 (4)
アートセラピーのお描き♪楽しかったでしょうか?
>...意外だったのは、ほぼ全員が絵のどこかに木を描いていることでした。講師の方は一言も「木を描いてください」とは言われていませんが、なぜか目だつ位置に木があるのです。これは何か心理的な理由があるのか...<
「木は」抽象的に描かれていたのかな...と!?子供の絵なら、「木」というモチーフは〜
無意識的に「自分」を描いてることがあります。もしくは精神的に「癒し」を求める時に描かれるのかな...?!
多分そこに、皆さんの共通的に持ってるもの(自分自身の潜在的な意識面からの「メッセージ」?)があるかもね...)
アートセラピー、楽しんでいますよ。絵を描くことそのものよりも、その後のいろいろな気づきや発見が新鮮で面白いです。ものの見方が変わりますね。
木はほとんどが具体的な図でした。「自分」ですか〜。なるほど、そうかもしれませんね。自分を描いてくださいと言われて、無意識に木につながったのかも。家の形や自分の姿、「夏」そのものすら全然違うのに、なぜか木が共通しているというのは、興味深い現象でしたね。
お!まず、写真に目がいきました。目にも鮮やかな赤ですね!これは、なんの花ですか?あら、虫もとまってますね!
とても夏を感じる写真です♪
家と自分の位置関係は興味深いですね。家族と自分との関係性を象徴してるのでしょうか?
アートセラピー、毎回興味深いお題ですね♪お題をこなすうちに、いろんな発見があり、無意識にねむっていたことが意識化されていくようで、奥深いです♪
この花はつるばらの一種だと思います。ご近所の生垣の上に咲いていました。花も虫も微妙に毎日変っていって、そこがまたいいです。
家はその人の外側との境界線かもしれませんね。自我の境界があいまいな人はしっかりした家を描けないらしいです。絵は言葉にしきれないものが姿を変えて出てくるので、描く人にとっても気づきのきっかけになるでしょう。