□◆□…優嵐歳時記(2263)…□◆□
朝涼のガラスボウルにシリアルを 優嵐
夏の朝の清涼感は格別です。「朝涼(あさすず)」はそれを表した季語です。日中の暑さが予感できるだけにそれがさらに大きいのかもしれません。木曜日に梅雨明け後初めてのまとまった雨が降り、少し空気に秋の気配が感じられるようになってきました。朝夕からしだいに秋が顔をのぞかせ始めます。
昨日の詩にナックルボールを取り上げました。ナックルを投げるピッチャーをナックルボーラーと言います。ナックルは現在の魔球といわれ、習得が大変難しい球種であるためメジャーリーグでさえ、これを武器とするピッチャーは数えるほどしかいません。
現在もっとも優れたナックルボーラーはボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールドです。以前、テレビで彼が登板しているところを見たことがあります。まるでキャッチボールをしているようなあっけないフォームから投げられるゆっくりしたボール、けれどバッターは打てません。その不思議なさまがずっと印象に残っていました。
彼はバッターとしてプロ入りしたものの、鳴かず飛ばずでメジャーに昇格できませんでした。ところが、たまたまふざけてキャッチボールでナックルを投げているところがコーチの目にとまり、投手に転向。92年にメジャー昇格、当時在籍していたピッツバーグ・パイレーツの地区優勝に貢献しています。
昨年、42歳にして初めてオールスターに選出されました。こういう「瓢箪から駒」のようなお話、それが特にシビアな実力の問われるプロスポーツの世界とあっては、何か楽しい気持ちになってきます。
<ニュートラル>
努力することは素晴らしい
なせばなる
目標を持ってひたむきに打ち込む
確かにある一面ではそうだろう
しかし
努力が執着になったらどうだろう
目的のためなら手段を選ばないといった
えげつないことだけでなく
目標だと思っていたことが
単なるとらわれだということもある
どうしてもその道しかないのか
少し下がって考えてみよう
画面に顔をくっつけていたら
全体像は見えなくなってしまう
正しい方向に進んでいると思っていたのに
実は地形が変わっているかもしれない
トランスミッションの真ん中は
ニュートラルだ
いつでもそこに帰れるような
柔軟さを持っていたい
朝涼のガラスボウルにシリアルを 優嵐
夏の朝の清涼感は格別です。「朝涼(あさすず)」はそれを表した季語です。日中の暑さが予感できるだけにそれがさらに大きいのかもしれません。木曜日に梅雨明け後初めてのまとまった雨が降り、少し空気に秋の気配が感じられるようになってきました。朝夕からしだいに秋が顔をのぞかせ始めます。
昨日の詩にナックルボールを取り上げました。ナックルを投げるピッチャーをナックルボーラーと言います。ナックルは現在の魔球といわれ、習得が大変難しい球種であるためメジャーリーグでさえ、これを武器とするピッチャーは数えるほどしかいません。
現在もっとも優れたナックルボーラーはボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールドです。以前、テレビで彼が登板しているところを見たことがあります。まるでキャッチボールをしているようなあっけないフォームから投げられるゆっくりしたボール、けれどバッターは打てません。その不思議なさまがずっと印象に残っていました。
彼はバッターとしてプロ入りしたものの、鳴かず飛ばずでメジャーに昇格できませんでした。ところが、たまたまふざけてキャッチボールでナックルを投げているところがコーチの目にとまり、投手に転向。92年にメジャー昇格、当時在籍していたピッツバーグ・パイレーツの地区優勝に貢献しています。
昨年、42歳にして初めてオールスターに選出されました。こういう「瓢箪から駒」のようなお話、それが特にシビアな実力の問われるプロスポーツの世界とあっては、何か楽しい気持ちになってきます。
<ニュートラル>
努力することは素晴らしい
なせばなる
目標を持ってひたむきに打ち込む
確かにある一面ではそうだろう
しかし
努力が執着になったらどうだろう
目的のためなら手段を選ばないといった
えげつないことだけでなく
目標だと思っていたことが
単なるとらわれだということもある
どうしてもその道しかないのか
少し下がって考えてみよう
画面に顔をくっつけていたら
全体像は見えなくなってしまう
正しい方向に進んでいると思っていたのに
実は地形が変わっているかもしれない
トランスミッションの真ん中は
ニュートラルだ
いつでもそこに帰れるような
柔軟さを持っていたい
コメント
コメント一覧 (2)
>目的のためなら手段を選ばない
こういう風潮がどうも身の回りに多くなってきました。政治の世界から、経済の世界、企業間競争の世界、個人間競争の世界…、僕の好きな風潮ではありません。こういう強硬手段は生きるか死ぬかの絶体絶命なときだけに取っておくべきで、普通に使うものではないと思います。
僕自身、「ずるいことをして勝つよりも、馬鹿正直にやって負けた方が遥かにいい」ということを少年時代に学びました。小学校のときなんですが、勝つとか負けるとかそういった場面ではないのですが、小さな嘘をついてしまいました。そしたら、嘘をついた自分がとても嫌な奴に見えて、それからは「嘘をついたり、手練手管を使ったりして勝つよりは、正直誠実にやって負ける方が自分が自分を嫌いにならずに済む」ということに気付きました。どんなに何かに勝っても自分を嫌いになったらどうしようもないですから。
はるさんと同じようなことを私もようやくこのところ実感するようになってきました。悪口とか愚痴とか嘘とかそういうのは、結局自分自身を害する、ということが肌でわかるようになってきたのです。
こういうことをやると自分がいや〜な気分になります。「情けは人のためならず」じゃないですが、「よくないことは自分にとってよくないからやらないでおこう」と思いますね。究極の自己中心主義かもしれません。それでいいのだと思います。自分がどうしたらいい気持ちでいられるか、そのことに集中する方が、他人にどうあって欲しいかに気をもむよりずっといいですよね。