□◆□…優嵐歳時記(2283)…□◆□
秋口の蟻が引きおる蝶の翅 優嵐
残暑が厳しく感じられるひとつの理由として、雨が降らないことがあるように思います。お盆の前に台風が接近しましたが、あまり雨らしい雨は降りませんでした。高温が続いて積乱雲が発達しているにもかかわらず、全く夕立がなく、夏の間に一度も雷鳴を聞きませんでした。
八月も下旬に入り、夕暮れ時が随分早くなっているのを実感します。夏休みに入ってから、毎日夕方になると子ども会の「早くお家に帰りましょう」という放送があります。初めのころはまだ日が高かったのが、今では夕方という感じになっています。そろそろ夏休みの宿題の追い込み時期でしょう。
<波を鎮める>
わくわくすることをやりなさい、と
スピリチュアル系の書物によく書いてある
わくわくすることがあなたのやるべきことだ、と
わくわくすることは確かに楽しい
しかし
わくわくだけで人生は終わらない
山が高いほど谷も深くなる
わくわくが大きければ大きいほど
それに付随してやってくる落ち込みも大きいだろう
わくわくしかないというのは
日向しかない風景のようなものだ
光が強ければ影は濃い
目指すべきなのは
波をフラットにすることではないか
高揚感と落ち込みに振り回されるのではなく
ものごとの中央にたち
静穏な心ですべてのものを見る
波が静かになった心の水面には
自分のほんとうの姿が映るだろう
秋口の蟻が引きおる蝶の翅 優嵐
残暑が厳しく感じられるひとつの理由として、雨が降らないことがあるように思います。お盆の前に台風が接近しましたが、あまり雨らしい雨は降りませんでした。高温が続いて積乱雲が発達しているにもかかわらず、全く夕立がなく、夏の間に一度も雷鳴を聞きませんでした。
八月も下旬に入り、夕暮れ時が随分早くなっているのを実感します。夏休みに入ってから、毎日夕方になると子ども会の「早くお家に帰りましょう」という放送があります。初めのころはまだ日が高かったのが、今では夕方という感じになっています。そろそろ夏休みの宿題の追い込み時期でしょう。
<波を鎮める>
わくわくすることをやりなさい、と
スピリチュアル系の書物によく書いてある
わくわくすることがあなたのやるべきことだ、と
わくわくすることは確かに楽しい
しかし
わくわくだけで人生は終わらない
山が高いほど谷も深くなる
わくわくが大きければ大きいほど
それに付随してやってくる落ち込みも大きいだろう
わくわくしかないというのは
日向しかない風景のようなものだ
光が強ければ影は濃い
目指すべきなのは
波をフラットにすることではないか
高揚感と落ち込みに振り回されるのではなく
ものごとの中央にたち
静穏な心ですべてのものを見る
波が静かになった心の水面には
自分のほんとうの姿が映るだろう
コメント
コメント一覧 (4)
私もわくわくする人生に憧れましたが、今は静穏な人生を目差して毎日を丁寧に生きています。
将棋の大山康晴名人は、「平凡は妙手にまさる」と言いましたが、平凡で静穏な毎日を続けることこそ難しいと思います。
時にはわくわくすることがあってもいいとは思いますが、優嵐さんの詩のように、波が静かになった心の水面に写ったほんとうの自分を見てみたいです。
わくわくをキーワードに掲げているところは結構ありますね。一見納得できるのですが、真の幸福感というのは、そういう派手なものではないだろうな、と近頃思っています。外からどう見えるか、でなく自己の心の内がどうか、ということですから。
言葉はいろいろ違っても、内なる平安を見出して、いついかなる時もそれとともにいられるようになったら、達人だと思います。「静穏な人生を目差して毎日を丁寧に生きて」というフクヤンさんのお言葉に同意します。
私がふだん感じていることと似たような感覚ではないかと
思いました。
スピリチュアル系の書物ではないのですが
いま、世の中全般に
「楽しいことをやりなさい」「楽しみながらやることがよいこと」
といった風潮が蔓延しているように思います。
これ、子どもたちが通う学校でも、そうなんです。
世の中、どちらかというと
楽しいことよりも、
苦しいことやつらいことの方が多いと考えている私は
とても違和感を感じているのです。
もちろん、楽しいこと、ワクワクすることを否定するわけではありません。
そのような心境で物事に対面することができれば、
理想的だと思っています。
でも、
楽しくないからやらない、
ワクワクしないから避けて通る、
そのための言い訳になっていないかな、と。
目の前の物事に集中する。
その結果、苦しくもあり、つらくもあるが、得るものも、楽しさも
いっしょくたになって、自分の中に醸成されるのではないかと
思うのですが。。。古くてカタい考えなのでしょうね。
だからとても生きづらいと感じているのですが
それも含めて人生だ、とも思っています。
お子さんを育てられる中ではいろいろ理屈だけではないことがあるでしょうね。「楽しめることをしよう」といえる世の中になったのは望ましいことでしょう。ただ、「楽しませてもらう」「楽をする」ということに流れたら、その先に待っているのは倦怠感かもと思います。
困難を乗り越えた先にある何か、が本当に「喜び」といえるものだと思いますから、ただただ楽しいだけでは多分成長はないだろうなあと。嫌なことをいやいややれというのではないですが、「楽しさ原理主義」は逆に楽しさを殺すような気がしますね。