□◆□…優嵐歳時記(2285)…□◆□

  秋扇盛んに揺れるホームかな   優嵐

お盆を過ぎたのに厳しい残暑で、朝は「土用の朝曇」のような状態になっています。「朝曇」とは、暑い日照りの続く頃、蒸発していた水蒸気が朝の気温低下で冷やされ、靄がかかって曇ったような空に見えることです。晩夏の季語です。この時期になってもこういう状態とは、いかに残暑が厳しいかですね。

アートセラピーのために大阪へ行きました。朝のホームでは電車を待つ人たちが扇子を使っており、その様子が漣のようでした。七月から「観る」というテーマでワークを行っています。このところ、いかに自分が観ていないか、についてようやく少し気づけるようになってきました。

それには、注意深さが足りず、見ていながら見えていない状態であるという場合、自分の思い込みのために見る目が曇っている場合、その二つが複合している場合があります。「観る」というのは、簡単なようでいて、実はかなり深い技法といえるかもしれません。

今日のひとつめのワークでは、桜の葉を一枚画用紙大に拡大してパステルで描きました。私はクレパスで描いていたのですが、パステルが望ましいとのこと。パステルを使った場合、描き手は指や掌を使ってパステルを擦るという描法をおこないます。皮膚を使い、直接紙に触れることによって、粘土を扱っているような効果が絵を描きながら得られ、それがアートセラピーにとっては大きな意味があるのです。

一枚の葉を拡大して描き、さらにその葉から感じたエネルギーを葉のまわりに描いていきます。これによって、目に見えないことを感じ取り「観る」ことを試みます。「観る」ことには、目に見えないことを感じ取ることがポイントになるのです。

ふたつめのワークでは、背景を赤・黄・青のグラデーションに塗り分けた紙に花と根のついた植物を描きました。ここではその植物が生長したように下から上へと描いていきます。これによって植物の生命力(背景・環境)を感じ取ります。種であったそれが根を伸ばし、茎を伸ばし、やがて花を咲かせるに至ったその時間や過程を想像しながら描きました。

今、眼の前に見えているものを注意深く観ることによって、その存在の今の状態、ここに至る過程への洞察を深めることが可能になります。観ることは理解することです。


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