□◆□…優嵐歳時記(2289)…□◆□

  朝風の運ぶ新たな涼しさよ   優嵐

ようやく暑さが一段落した感じです。朝の空気には、はっきり秋冷の気配があります。蝉はまだ鳴いていますが、もうすぐそれも終りだと思うと、何か名残惜しい思いがしますから、人の心理は勝手なものです。暦の上の初秋というのは、体感ではまだまだ暑いのですが、心理として秋への準備をさせる時期だという気がします。

今日の坂井泉水さんの月命日には、ZARDの36番目のシングル『瞳閉じて』(03.7.9)のカップリング曲『愛しい人よ〜名もなき旅人よ〜』について書きます。8月6日に取り上げた『お・も・ひ・で』と同様、この楽曲にも珍しく長者ヶ崎という地名が出てきます。三浦半島の葉山町にある岬で、葉山マリーナ、葉山御用邸などが近くにあります。彼女にとっては思い出深い場所なのでしょう。


愛しい人よ〜名もなき旅人よ〜



この楽曲は遠い夏の日の恋を振り返る主人公の心情を歌っています。ここで歌われる「愛しい人」はZARDの楽曲によく登場する”子どもの雰囲気を残した人”です。恋人に呼びかけるように歌いながら、その一方で自分自身をも重ね合わせている、かつての自分自身に向かって歌っている、そんな印象を受けます。こういう歌詞があるからです。

---何かに虜りつかれていた そんな夢を描いて
追いかけていたのは 遥か昔で
器用に生きれたとしても 何かを見失って
戻れない道と 決めて出てきたけれど

彼女自身の心情でしょうか。歌手になるというのは彼女の子どもの頃からの夢でした。その夢への足がかりとしてモデルをやり、模索を続けていたのがZARDとしてデビューする前の彼女の姿だった、と想像します。器用な人ではないようですし、芸能界とは無縁の家庭に生まれ育った彼女にとって、どこに取っ掛かりを見つければいいのか、見当もつかないことだったはずです。

「何かに虜りつかれていた そんな夢を描いて」というのは、坂井泉水さん自身の正直な気持ちでしょう。表現したいことがある、伝えたいことがある、それはおさえがたい衝動として内側から彼女を突き動かしました。

「虜りつかれていた」に使っている漢字が凄いですね。捕虜、虜囚のリョであり、とりこ、しもべ、という意味です。その時点ではまだ存在しないZARDというものが彼女をとりこにし、それに向かって駆り立てた、それを素直に漢字にするとこうなるのでしょう。

同じように自伝的な空気を感じる『forever you』でも

---手さぐりで夢を探していた あの日 
自分が将来(あした)どんな風になるのか 
わからなくてただ 前に進むことばかり考えていた

…と歌っています。歌手になるなんて、まして、それで成功をおさめるなど普通は夢物語です。彼女自身、通常の学校生活を送り、会社員として就職しています。デビューが24歳と比較的遅いのも模索の結果かと思います。しかし、逆にあの時までデビューしなかったからよかった、時代がZARD・坂井泉水を待っていた、そんな気がします。

「召命(しょうめい)」という言葉があります。「神の恵みによって神に呼び出されること」として聖書の中に出てきます。カトリックでは聖職につくという意味で用いられますが、プロテスタントでは、「一般の職業に、神の導きのうちに天職としてつくこと。(Vocation)」という用い方がされます。もっと平たく言うならば「それをするために生まれてきた」といえる何かです。

この曲発表の四年後には、坂井泉水さんはすでにこの世を去っています。召命を果たすために、彼女だけに見えていたゴールに向かって走り抜けた生涯だった、と思います。「名もなき旅人」とは誰なのでしょう。それは彼女自身であり、同時に聴いている人すべてなのかもしれません。