□◆□…優嵐歳時記(2291)…□◆□
存在のすべて透明秋の昼 優嵐
日差しがとてもまぶしく感じられます。冬から春になっていくときは日差しの強さが増していくことで、そのまぶしさに驚きます。光が弱まっていく秋に感じるまぶしさは光の強度ではないようです。空気の透明度が増しているせいでしょうか。
夏と最も違うと感じるのがこの透き通った感覚です。夏のぎらぎらした光の強さではなく、すーっと何かつきものが落ちたような、そんな感じがあります。エネルギーと熱に満ちていた時期が去り、ものみなすべてが鎮静に向かっていく秋です。
<循環>
目の前の生簀に網が入ってきた
一匹の鯵がすっと掬い取られる
数が減った鯵はしばらく底近くに固まっていた
網に入った一匹はすぐに刺身に姿を変え
カウンターの向こうで客の元へと運ばれていく
私の前にもすでに空になった刺身の皿があった
さっきまで泳いでいたのだということを
今更ながらに知らされる
命をいただいているのだ
切り身になってパックされた「食品」ではなく
生き物が殺され食べものとしてそこに並ぶ
そのことを忘れないようにしたい
他の生き物の命をいただくことによって
命の流れの循環のなかに
自分も存在場所を与えられているのだということを
存在のすべて透明秋の昼 優嵐
日差しがとてもまぶしく感じられます。冬から春になっていくときは日差しの強さが増していくことで、そのまぶしさに驚きます。光が弱まっていく秋に感じるまぶしさは光の強度ではないようです。空気の透明度が増しているせいでしょうか。
夏と最も違うと感じるのがこの透き通った感覚です。夏のぎらぎらした光の強さではなく、すーっと何かつきものが落ちたような、そんな感じがあります。エネルギーと熱に満ちていた時期が去り、ものみなすべてが鎮静に向かっていく秋です。
<循環>
目の前の生簀に網が入ってきた
一匹の鯵がすっと掬い取られる
数が減った鯵はしばらく底近くに固まっていた
網に入った一匹はすぐに刺身に姿を変え
カウンターの向こうで客の元へと運ばれていく
私の前にもすでに空になった刺身の皿があった
さっきまで泳いでいたのだということを
今更ながらに知らされる
命をいただいているのだ
切り身になってパックされた「食品」ではなく
生き物が殺され食べものとしてそこに並ぶ
そのことを忘れないようにしたい
他の生き物の命をいただくことによって
命の流れの循環のなかに
自分も存在場所を与えられているのだということを
コメント
コメント一覧 (2)
今日の俳句は、感性の鋭い俳句ですね。
秋に感じるまぶしさが、空気の透明度が増しているためと感じるなど実に鋭いと思います。
私も秋の透き通った、静かな感覚が好きです。
<循環>もとてもいい詩だと思います。
「命をいただいて生きている」ことを、これほど見事にわかりやすく表現した詩を他に知りません。
まさに、「命」をいただいて、「命の循環」の中に私たちは生きています。
クリスチャンだけれど、本を読んで輪廻転生を知っている私には、とても共感するものがありました。
いつも丁寧なコメントを書いていただき、ありがとうございます。
俳句と詩のご感想をいただき、こちらこそとても嬉しく感謝しています。
秋になって、なんだかほっとするものを感じています。四季それぞれすべてに魅力があって、その移り変わりを感じるときが一番好きですね。
輪廻転生は、大きな命の流れとして、自分自身には最もしっくりくる考え方です。個としての命と同時にそれを大きく包む全体の命の流れがあり、生と死はそこへの往来だと感じています。